カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 復活節第6主日   

2014年05月22日 | 神父様からメッセージ(A年)
キリスト信者は、単独で自分の信仰を守って生きることはしないものです。イエス様に従う者たちは、共同体の中で祈り活動し、信仰を守り信仰を生かすことになります。なぜならイエス様自身が、ご自分のそのような弟子のあり様が欲しかったからです。自分の愛する共同体の中に、キリスト信者が神様の欠かせない愛を受けて、経験し、神様の愛を生かし、神様の愛に応えることが出来るためです。キリスト信者はルールを守る、知識的な概念を詰め込むよりも、自分の心の中でイエス様から受けけた暖かい愛を生かし、その愛で神様の愛に応えて、自分の周囲に神様の姿を示してくださる姉妹、兄弟を愛します。助け合って支え合う、一緒に喜び、一緒に悲しむことはイエス様の共同体の欠かせない素晴らしい特徴です。

「ヨハネによる福音書 」14・15-21
 復活節の第六主日の福音書は、もう間近になった大きな祝い、主の昇天の主日と聖霊降臨祭、三位一体の主日、主の聖体の主日のため心の準備をしてくれています。イエス様の話しに、強調された言葉の一つがあります、それは「愛」のことです。普遍的に神様に愛される私たちが、どのようにその愛に応えることが出来るのか、キリスト信者にとって基本的な思いだと思います。イエス様ご自身が次のような行いを勧めてくださいます。「私を愛しているならば、わたしの掟を守る」確かに掟というのは日本の字で表すように厳しいものです。しかし聖書の中では、その言葉のとりかたは少し違います。旧約聖書によると、十戒、そしてそれぞれの神様が教えてくれた掟は、神様との愛の約束のしるしとして扱われています。イスラエル人たちは、神様の愛に応えるために、神様の掟を約束として厳しく守るように決めていました。ヨハネ福音紀者は、掟と言う単語をイエス様の言葉として示しています。だからイエス様の愛に応えるために、愛された人はまず、イエス様の言葉を聞いて受け入れます。そしてその言葉を大切にし、その通りに生かすことです。その言葉を大切にすることによって、私たちはイエス様の愛に応えることが出来ます。イエス様を愛する人にイエス様は大きな愛情の中で、ご自分の姿を現されます。実はイエス様の言葉の深さを理解させるのは、イエス様から送られた聖霊です。その霊は私たちと一緒にずっとおられて、犯罪人を守る弁護士のように、私たちを保護されています。そしてヨハネの福音書によると、私たちの耳に不思議に聞こえて、心にしみ込むイエス様の表現がもう一つがあります。それは「父の内にいること」「イエス様が私たちの内にいて」「私たちがイエス様の内にいます。」というような言葉です。これは愛の用語としてだけで理解できます。この「内」と言う単語はイエス様ご自身の愛を示しながら、ご自分の思いを全て私たちに示すことです。嫁に行く人の場合、00家に入ると、それからその嫁にとって自分の家族、自分の思い、自分の理想は愛の内に入った家庭が全てになります。イエス様の表現は同じようにとらえられるべきです。イエス様が愛の用語を使いながら、どのように私たちの人生の内に生きておられるか、またどのように私たちがその愛に応えるべきかが、優しく語られています。              モヨリ神父         

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