今日は娘が新選組大好き!の流れで、期間限定で今日まで見ることができた新選組の副長だった土方歳三(ひじかたとしぞう)愛用の和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)の刀身を見に、日野市にある土方歳三資料館へ行って来ました。
鬼の土方・・と新選組の時は恐れられていたほどなので、どんな刀なんだろう?と思っていましたが、150年以上の歳月を経て、思いのほか優美で刀の切っ先を見ても、生々しいものは浄化されてしまっているかのようでした・・
拵え(さやの部分)は会津塗りで赤と茶色を混ぜたような渋い色で牡丹と鳳凰の図柄が見えます。
土方家の6代目の子孫に当たる方で土方愛(めぐみ)さん(ほんとうにお名前通り愛らしい方でした)が、見学しに来ている人達にいろいろと解説をしてくださいました。
それによるとこの兼定を見守っていた研師(とぎし)の方の話しでは、相当に激しい戦いを何度も潜り抜けてきた形跡があるとのことでした。柄の部分は糸が磨耗して相当傷んでいたし、何箇所か刃こぼれもあったとのこと(研師により修復されています)
そうやって改めて見てみると、土方がこの刀と共に過ごした激動の幕末に思いを馳せてしまいます・・
多摩から京に上り、最後は函館の五稜郭の戦いに敗れ、そのときに側近が土方家まで運んできた遺刀になりますが、たった6年間という期間でしたが確かにきらきらと存在していた人なんだな、と。
この刀の前でずっと座り込んで眺めている人も居ました・・・
他にも土方さんが実際に戦闘の時に使っていた、鎖帷子(くさりかたびら)や鉢金(はちがね)、書簡や俳句を書いたもの、多摩時代に薬の行商をしていた時に実際に土方さんが背負っていた薬箱などがありました。
鬼の副長も俳句をたしなむ粋なところもあるなんて、意外性があって素敵です。
わかりやすい句としては
"しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道"
"うぐいすや はたきの音も ついやめる"
などなど沢山あるようです・・すごくわかりやす~い!!
資料館は実際に土方さんが生まれた所から、少し離れた所に移築した住まいの後に出来たものだそうです。残念ながら当時住んでいた頃の屋敷は10年以上前に老朽化の為解体してしまったのですが。
左の写真は土方さんが17歳か18歳の頃に、実際に庭に植えたという矢竹が今も残っています(古来より矢の材料に用いられていたので矢竹というそうです)
右の写真は"牛額草"と言って、資料館の玄関の脇に置かれていたものです。
土方家が打ち身や捻挫に効くとして造っていた民間薬の原材料の草になっていました。
服用の方法はお酒を飲みながら・・ということで痛みもお酒のせいで酔っ払って感じなくなっちゃうかも?(笑)
最後に菩提寺がある高幡不動尊に行ってきました。
ここで土方さんの像をパチリ、なかなか立派です・・
六月からは紫陽花祭りがあるそうです。
鬼の土方・・と新選組の時は恐れられていたほどなので、どんな刀なんだろう?と思っていましたが、150年以上の歳月を経て、思いのほか優美で刀の切っ先を見ても、生々しいものは浄化されてしまっているかのようでした・・
拵え(さやの部分)は会津塗りで赤と茶色を混ぜたような渋い色で牡丹と鳳凰の図柄が見えます。
土方家の6代目の子孫に当たる方で土方愛(めぐみ)さん(ほんとうにお名前通り愛らしい方でした)が、見学しに来ている人達にいろいろと解説をしてくださいました。
それによるとこの兼定を見守っていた研師(とぎし)の方の話しでは、相当に激しい戦いを何度も潜り抜けてきた形跡があるとのことでした。柄の部分は糸が磨耗して相当傷んでいたし、何箇所か刃こぼれもあったとのこと(研師により修復されています)
そうやって改めて見てみると、土方がこの刀と共に過ごした激動の幕末に思いを馳せてしまいます・・
多摩から京に上り、最後は函館の五稜郭の戦いに敗れ、そのときに側近が土方家まで運んできた遺刀になりますが、たった6年間という期間でしたが確かにきらきらと存在していた人なんだな、と。
この刀の前でずっと座り込んで眺めている人も居ました・・・
他にも土方さんが実際に戦闘の時に使っていた、鎖帷子(くさりかたびら)や鉢金(はちがね)、書簡や俳句を書いたもの、多摩時代に薬の行商をしていた時に実際に土方さんが背負っていた薬箱などがありました。
鬼の副長も俳句をたしなむ粋なところもあるなんて、意外性があって素敵です。
わかりやすい句としては
"しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道"
"うぐいすや はたきの音も ついやめる"
などなど沢山あるようです・・すごくわかりやす~い!!
資料館は実際に土方さんが生まれた所から、少し離れた所に移築した住まいの後に出来たものだそうです。残念ながら当時住んでいた頃の屋敷は10年以上前に老朽化の為解体してしまったのですが。
左の写真は土方さんが17歳か18歳の頃に、実際に庭に植えたという矢竹が今も残っています(古来より矢の材料に用いられていたので矢竹というそうです)
右の写真は"牛額草"と言って、資料館の玄関の脇に置かれていたものです。
土方家が打ち身や捻挫に効くとして造っていた民間薬の原材料の草になっていました。
服用の方法はお酒を飲みながら・・ということで痛みもお酒のせいで酔っ払って感じなくなっちゃうかも?(笑)
最後に菩提寺がある高幡不動尊に行ってきました。
ここで土方さんの像をパチリ、なかなか立派です・・
六月からは紫陽花祭りがあるそうです。
まっちゃさん、さすがですねーっ!
まっちゃさんのお話伺うたびに
「中学生だった私っていったい・・・(汗)」
ってなるんですよね・・・(笑)
あまりに子供だった自分が恥ずかしくなります~。
新選組も大好き、土方歳三も大好きです♪
以前テレビで見て、この資料館には行ってみたいなって思ってたんです。
和泉守兼定、見てみたいです! いいなぁ~♪
moimoiさんが「思いのほか優美」「浄化された」
って書いてらっしゃるのにちょっとぐっときました。
いろんな場面を経験した刀なんだなって、あらためて思いました。
大河ドラマで土方歳三に興味を持ちました^^
和泉守兼定は、ついついじぃ~と見ちゃいました。
この帰りは土方さんのお墓に行きました。
絶えることなく人が来ていました、土方さんも寂しくないですね~♪
土方さんのものが写真を初めとしていろいろ残っているし、あちこちにも転戦していたり小説にもなったり、子孫の方が熱心に活動されていたりと、どうしても熱心なファンを沢山生んでしまってますね。写真も洋装のせいかちっとも古く思えません(いい男だから余計そう思うのかな~?あはは)
"しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道" かぁ・・・ごもっとも。笑
実は幕末時代は、資料がありすぎ、のめり込む人居すぎ、
で、あえて避けていたんですけど、笑
あんな劇的な人生を送った人が、こんなストレートな歌を詠むなんて、
興味わいちゃうじゃないですか!
実家に司馬先生の本あったなぁ・・・。
ん?泥沼への一歩になる?笑
土方さんって大胆にして、繊細って感じなんでしょうか~?魅力的ですよね!
司馬さんの"燃えよ剣"は読み出したらおもしろくって・・土方さんがあまりにもリアルっぽく描かれていて、好きな女性との関わりも切なくて泣けてきました~
函館市にはたくさんの遺跡や資料が残っていて、
小学校くらいの時には色々見て回りました。
碧血の碑ではわなわなと震えそうになりました。
では行って参ります
senchanが函館の方だったとは知りませんでした!そして土方さんのこともお詳しそうですね。碧血の碑を調べてみたら中国の故事から「義に殉じた志士の血は、3年経つと碧に変わる」からきているそうですが、大切に函館でもまつられているのですね。