moimoiず だいありい

おいしいもの、ほっと和めるもの、ぶらぶら街歩き、気になってること等々の身辺雑記でしょうか・・

八月の歌舞伎座も盛り上がってました!

2005年08月28日 | 歌舞伎
                

夏休中に一回は歌舞伎座に行きたいね~と娘と言っていたのですが、この前の平日にやっと行ってきました。

八月納涼歌舞伎(8/28日迄)ということで、午前11時開演の第一部を見てきました。
チケットは事前に取っていなかったので、また当日手に入れるつもりで行きましたが、ガ~ン!この前の6月に行ったときと様子が違っていて人が湧いているのです。歌舞伎座のまん前に観光バス仕立てでやってきた銀座のジュエリーショップのロゴが入ったバスが横付けされて、バスからマダム?達が次々と降りてきてたり、何々会という受付の小机が出てお土産を渡してたりと明らかに人出が多いのです。

それに演目にはベテラン勢から新進気鋭の若手まで、バランスよく出演しているので人気があって当然なのでした。
あと10席しか残ってない!と言われた幕見席に滑り込み、(一等席なら空いていたそうですが、あとは幕見を残して全て完売!)休憩を挟み2時間以上!立ち見になってしまいましたが、それがあまり苦にならないくらいおもしろかったのでした。

一番目の演目は「祇園祭礼信仰記 金閣寺」
雪姫演じる中村福助のあでやかなこと。歌舞伎では三姫といってかなり難易度の高い演目になるとのこと。降り落ちる桜の花びらを足で寄せてねずみの絵にする所が、縄を掛けられていて手が使えないというのもあって必死の状況なのにかえって愛らしく思えてしまう。
その美しい雪姫を捕らえ苦しむ姿を見て楽しむ、敵役の松永大膳役に坂東三津五郎、
絵師である雪姫の夫は中村勘三郎。やはり縄を掛けられ囚われているところの場面しかお目にかかれずちょっと残念!この後の二部、夜の三部に連続出演なので仕方ないか・・
染五郎は涼しげな印象でいい役回り。

二番目の演目は「橋弁慶」
ご存知、京の五条大橋で弁慶と牛若丸の有名な戦いの場面。
旬な役者が二人揃ったから、この演目は得に若い女性客が幕見席に増えたような気がしたりして。
隈取をして実際より大きく見えた迫力満点の弁慶演じる中村獅堂、大長刀を自在に使いこなし見得を切るところは、おぉ~、獅堂頑張ってる~!
変わって白っぽい装束に身を包み、女性にも思える神秘的な雰囲気さえ感じる牛若を演じるのは中村七之助。素足で軽々と身をかわし橋の上にひらりと身を移すところは見事。

三番目の演目は「雨乞狐 野狐の五変化」
野狐になったのは中村勘三郎の長男である勘太郎、父親勘三郎が同じ演目で評判を取ったものに、勘太郎が初挑戦。いろいろな人物に早変わりしていくさまは見ていて楽しい。踊りも切れがあり勢いもあり、最後の場面で煙の中からもとの白狐に戻って空中に跳ね上がってくるシーンには思わず皆拍手!

という感じで、どの演目もそれぞれに見ごたえがあって興味深かかったのでした。

帰りに急な雨に降られ雨宿りに軒を借りた処が、たまたま知らなかったのですが、とても素敵な手ぬぐい屋さん(歌舞伎役者の手ぬぐいもあり!)の大野屋さんでした。
ちょっとおもしろい手ぬぐいがあったので、ほしそうにしていた娘に買ってあげました(笑)
縁起物とかの柄は、手ぬぐいサイズ専用の額もあるので、飾るのも粋な感じです。
下の写真は「かぶり色々」と書いてありいろいろな結び方が絵柄で書かれていておもしろいな~。
            

イノダコーヒ本店へ

2005年08月27日 | 喫茶店・茶房
京都に行ったら、まず行きたい喫茶店がありました。
あれ、和菓子じゃないの?という感じですが、とりあえずなぜかこの店を押さえかったというわけで・・あと評判のケーキ屋さんやかわいらしい甘味処、食べ物系のお店を・・書けたらいいんだけどついついひとつが長くなってしまって^^;

イノダコーヒに、それも本店に行ってみたかった、今迄何度か行けそうで行けなかった所なんですが。
「イノダコーヒ」と言って、コーヒーと伸ばさない所が、1940年創業というのを感じさせます。
お店は堺町通りにあり、来てみたら入り口の部分がこじんまり思えて、えっ?ここが本店なの~?と一瞬拍子抜けしそうな間口に思えました。
でも中に入ってみたら結構な広さで、奥は天井が高く吹きぬけになっていて、一階の外には噴水もある池が見え、その脇にテラス席もあったり…(日中はさすがに暑いのでテラス席に座ってる方は居なかった)
さすがイノダコーヒの本店という落ち着いたサロン的雰囲気を醸し出してる喫茶店。

キャッチフレーズが「京都の朝はイノダコーヒの香りから」というのがあるらしく!京都には思いのほか喫茶店も多くモーニングとかも充実しているようです。
ここは七時からの営業というのもあり、このあたりの旦那、若旦那衆がゆったりと本館にある指定席(常連席?)に座ってコーヒーを飲みながら新聞を読む姿が見かけられるとのことで、地元の人に親しまれ支持され続けてるお店なんだぁ~というのが自然に納得出来る雰囲気が伝わってきます。

一階は満席だったので、案内され階段を回り込むようにして二階にあがり(上から下の眺めもグッド!大きな窓ガラスから外の庭が涼しげに見える)お茶してみることに。
コーヒーは「アラビアの真珠」というのに・・なんでも最初からミルクと砂糖は投入?されてくるとのこと。かなり濃厚な味のコーヒーなんでしょうか?
選択は自由で、自分の加減で混ぜたい人はミルクと砂糖は置いていってくれるとの事だったので、ストレートな「アラビアの真珠」の味を確かめてみたくなりミルク等は置いていってもらう事に。一口飲んでみたら、ストレートよりやはり何か投入したほうがかえってコーヒーの味が生きてくる感じがしました。

でも考えると、京都の方はこの最初からミルクと砂糖が入ったコーヒーをイノダコーヒとして好んでいるのだから、その割合で飲んでみたら良かった!と後悔してみたり・・旅行者はこういう所でまた悩んだりするわけで(自分だけ?かな)
コーヒーと一緒にラム酒が効いたチョココーティングされている「ラムロック」というケーキを一緒に頼んでみる。結構なボリューム感、うんうん、ここのコーヒーにはぴったり合うケーキでした。
写真は二つに割ってみたのを撮ったけど、かえってわかり辛くなっちゃったようですね。

                

真夏な京都(ニ)

2005年08月20日 | 京都
どれも今回訪れたお寺は心に残るところばかりでしたが、あと一つだけあげるとすると高桐院(こうとういん)でしょうか?

広い敷地の大徳寺の中には22もの塔頭(たっちゅう)が点在していますが、常時4つの塔頭は拝観が出来、そのうちのひとつが高桐院になります。同敷地内で龍源院も見に行くことができましたが、こちらも日本最小の石庭があったりと見どころが沢山・・
7月をもって閉じられた京都在住のモヨコさんのブログコトモノBLOGの最後のほうの記事で、高桐院がとても素敵に紹介されていたので、娘と行きたいね~と言っていた場所のひとつになっていました。

高桐院は慶長6年(1601年)に、利休七哲の一人といわれた細川忠興(ただおき)が父親の菩提を弔うために建立した寺になるそうです。
忠興(三斎公)は戦国時代きっての智将でもあり、茶道を極め、歌道をたしなみ文武両道に秀でた粋な人であったようです。

高桐院でまず心洗われてしまうような所があります、表門から続く敷石の参道がとてもとても美しい!
木々の緑に遮られて、昼でも少しほの暗く静かで赴きのある雰囲気の中、別世界につながる道のようにも思えます。
苔むした地面から伸びている両側の緑のもみじと、竹を使った仕切りが真っ直ぐ伸びたその先にある門までの道のりが、これから高桐院を訪れることが出来るという、静かな期待を増幅させる効果があるように思えます。


小さな入り口から上がりますと目の前にまず庭園の一部が目に飛び込んできました。
そして右側に千利休の屋敷の広間を移築したという「意北軒」さらにその奥には秀吉が主催した北野天満宮の茶会に使っていたものを移したという「松向軒」(しょうこうけん)とお茶に非常にゆかりの深いものばかりがあります。
茶の湯との関連も深い寺ゆえに、派手さというものはありませんが凛とした中に気品があります。

寺が用意した履物をはいて中から外の庭園も出てみてまわることが出来ます。
本堂西側には三斎(細川忠興)と妻ガラシャ婦人(明智光秀の娘)の石灯籠となっている墓石が静かに据わっています、そこまで敷石を踏みながら進むことが出来ました。

そして書院の左、南側には江戸時代初期につくられたという庭園があり、縁側にも腰掛けられるような感じでのびやかな空間が広がっています。
訪れた方は皆ここでしばらく庭園を見ながらくつろいでいます。
(2枚とも携帯写真になってしまってますが、よく見たらぼ~っと座ってるのは旦那さんでした^^;)

そして庭園は夏の暑さを一時忘れさせてくれるような清涼感があり、そこだけ別な風が吹き抜けているような感じがします。
楓を主としたつくりの庭になっていてもみじも植えられていて、現在は夏の青々とした景色が広がっていますが、紅葉の頃は庭には真っ赤に紅葉した落ち葉が敷き詰められるそうです。
紅葉の絨毯、その頃も見てみたいものです。

真夏な京都(一)

2005年08月18日 | 京都
なんだか随分間があいてしまいました~。
ところで今年も真夏の京都!に行って参りました。

何回目かの再訪の寺もいくつかありましたが、今回は初めて行った、得に印象に残っているお寺を二つばかり・・
あと別日になるかと思いますが、スィーツとか食べ物のこととかも書けたらなって思ってます。

それとアクシデント発生!旅行一日目にして、レンズがズームで出たままのデジカメをアスファルトに落としレンズ部分強打して壊してしまった事です(T_T)
あとの3日間は携帯カメラと使い捨てカメラで過ごしました・・幸いメモリー部分は生きてたので一日目のみPCに画像移せましたが、後からメーカーのカスタマーセンターに連絡を取って修理の見積もりを出してもらったところ、新しいのが買えちゃうような金額を言われたので修理は諦めます・・ちょっと悲しい~~
あっ!ついついぐちが~

本題に戻って今回すごく印象に残ったお寺ですが、一つは大原にある天台宗の宝泉院です。
平安時代に宿坊として建てられたのが始まりだそうです。
柱で区切られた空間を額縁に見たてた「額縁庭園」と呼ばれる書院に足を踏み入れた時、清々しい感じに圧倒されるような感じで胸がざわざわしてきました。
樹齢700年を越えるりっぱな五葉松や青々とした竹林の後ろにはかすかに大原の里が見えます。柱に区切られたところが本当に一枚づつ絵画のように見えてきます。ここは枯山水庭園で盤桓園(ばんかんえん)といって「立ち去りがたい」という意味になるそうです・・ほんとうにそう思える所です。
下の写真は一日目だったのでデジカメで撮れましたが、そのままの空間の雰囲気はなかなか撮れてませんが・・しかし五葉松が立派ですね・・
 

この庭園の雰囲気と相反して!ここの書院の廊下の天井は「血天井」と呼ばれているのには凄く驚きます・・
関が原の合戦の時に徳川の忠臣・鳥居元忠一党数百名が自刃した場所の伏見城の板間がそのままここの天井に張られているのです!
この血天井を説明された方が事も無げに、竹の棒のようなもので指し示しながら「ここに足跡が見えるでしょ、ここは髪の毛、眼球、ここは眉、口の血の跡が・・それとここは自害したけれど苦しくてもがいた跡とか・・」うぅ~、いくら四百年以上経っているとはいえリアル過ぎる~。以前どこかで読んだ本に京都は場所場所が歴史を刻んだものばかりなので、ここでこの部屋で自刃したお侍さんが居たという所でも、現在は子供部屋として使っていたりとかというのがあるそうです、肝が据わってるということなんですね。

美しい額縁庭園、盤桓園と血天井の対比が強烈すぎて拝観時間をあと数十分に残すのみの駆け込みの鑑賞になってしまったにもかかわらず、心に深く印象を刻んだ寺の一つになりました。

一つが長くなってしまったので、次は間を空けずに大徳寺を・・書いてみたいです。

くろ玉と松浦軒のカステーラ・・

2005年08月06日 | スイーツ
デパ地下で気になるものがあったのでちょこっと買ってみたものがあります。

ひとつは甲府のお菓子くろ玉
ころころとまん丸のお菓子で、二つにぱかっと割ってあるのが見本でありました。
切り口は緑色の餡のように見えました。
表面はつるつるで黒い羊羹のように見えます。
球状のお菓子ってなんか気になります。それに小さくてかわいらしく見えて試し買い?という感じで4個入りを購入・・(高島屋にて)

いただいてみたら、中はエンドウ豆の餡で丸いままのえんどう豆もぷつぷつと入っていました。思ったほど甘さはきつくなくてちょうどいい感じ、おいしいお茶を飲みながら頂きたい。外側の黒い色は黒糖の色で羊羹のような食感でした。こういうお菓子は形からして、結構珍しい感じなのでお土産にするとおもしろいかな~って。山梨なので形からして葡萄風味?と思ってしまいそうですが。

             

もうひとつは岐阜の松浦軒本店の"カステーラ"
ぱっと見かけた時に、その外装の紙の包み紙もなんだかレトロな感じで、持ってみたらふわふわとした感触で、中のカステラは見えなかったんですが、これはもしかして・・おいしいかも、と思い、小さめで良心的な値段(税込で確か400円位)にも惹かれて購入・・(三越にて)

包みを開けてみたら"MATSURA"の焼印が・・一見玉子焼きの様にも見えるカステラですが、口に入れるとしっかりした味で素朴で懐かしい感じがすごく嬉しい。
卵を沢山使ったどっしりしたカステラとは全く違うタイプのカステラと言ったらいいのでしょうか?カステラの原型とも言われているようです。

岐阜の恵那市岩村町は城下町として栄えていたそうですが、今から210年前の岩村藩の医者である神谷雲沢氏が長崎に赴いた時に、オランダ人から蘭学と一緒にカステラの製法も習得し帰藩し、御用菓子司の松浦家に伝授されたのが始まりとのことです。
ちょっと前ですがサライにも紹介されていたそうです。

 

*今迄写真に青枠が付いていて悩んで?いましたが、今回やっと青枠を取るやり方がわかりました^^;
ちなみに娘に教えてもらいました(笑)