moimoiず だいありい

おいしいもの、ほっと和めるもの、ぶらぶら街歩き、気になってること等々の身辺雑記でしょうか・・

ひさしぶりに中華街

2006年05月28日 | ちょっと出かけて・・
山手洋館巡りのあとはやっぱり中華街へ(元町もぶらぶらしたかったのですが、通過するだけになってしまいました)朱雀門から入っていきました。

2006年3月に南門シルクロード沿いに出来た、女神を祀る横浜媽祖廟(まそびょう)も見てみたいな、と思っていました。

媽祖は最初は海の神様として祀られていましたが、いまでは広く自然災害や厄病、安産の祈願もされているのだそうです。
最初この場所にはマンションが建つ予定になっていましたが、用地を買い取り媽祖廟を建立するきっかけになったとの事。
現在26か国1500箇所位に渡って媽祖廟が祀られていて、中でも台湾では約800箇所存在が確認されているとのことなので、すごくポピュラーで親しまれて敬われている女神様なんですね。媽祖さまの写真は遠慮しましたが、お参りはさせて頂きました。(最近いつもあちらこちらの神様に祈願する事は家族に関することで、全く同じ内容なんですが・・^^;)

今日のお昼は軽くお粥にしようと思いながら歩いていたら、すごく目立つ肉まんの看板が目について・・
それもTV放映時の映像が流れていて荒川静香さんらが"おいしい・・"なんて言ってるのを目にしたし、ちょっとその場で買って食べてみる。
"皇朝天心舗"の肉まんですが、小ぶりですが一つ90円と安い!で、ひとり当たり3つです・・?って書いてあったけどこのあとのお昼もあるのでふたりで三つにする。一口食べてみたらおいしい!というよりうま~・・という感じです(笑)立ち食いしながらの肉まんですもんね・・
              
このあと香港路にあるお粥の店に行くつもりでしたが、そのちょっと奥にある"海員閣"、ここはいっつも並んでいるなぁ・・と以前から気になっていた店だったのですが、この日は若干行列が少ない・・う~ん、少し悩みましたが予定変更でこちらに並ぶことに(^_^;)
初めて行く店だったし、事前に何がおいしいか全く知らないまま並ぶこと20-30分・・(こういうときはお店の人に素直に聞けばいいのにね・・ってあとから気がついたりしても遅いか・・)
店はこじんまりしてて、気取りも何もなくって席も相席必至という感じですが、こういうお店も好きです。

シュウマイはお土産にしてもらってる人を沢山見かけたので、では、という感じでえびそばとシュウマイを頼んでみました。シュウマイは歯ごたえがあるくらいな感じで、肉がしっかりしててジューシーです。
えびそばは、具も麺もすごいボリュームで食べきれないくらいでした!!
あとから調べたらここはシュウマイのほかに牛バラ飯や車海老のから煮がお勧めだったとのことです。

久しぶりの中華街だったので知らない建物も多く見ます、チャイナスクエアの中はウェイティングの人も居た人気の占い店がありました。
山下公園へもぶらぶら・・いつもながらここは沢山の人を見かけます。
氷川丸も段々貫禄?がついてきたような・・
コンテナを使ったオブジェ、これっていつからあったんでしょう?おもしろいです。

そのあとにわかに雲行きがあれよあれよという間に怪しくなり、激しい夕立に・・
走ってる途中夕焼けならぬ虹が出ているのを見つけて、ちょっと嬉しくなり思わず車中からとってみましたが、あまり綺麗に撮れずあげられなくて残念・・
久しぶりに訪れたけれど、中華街はやっぱり楽しい街だし、山手の洋館もまた行ってみたいと思ってしまう所です。

洋館巡り再び・・イン横浜

2006年05月25日 | ちょっと出かけて・・
先週末は久しぶりに横浜へ行ってきました。
横浜元町・山手・中華街あたりはしばらく行かないでいると、行きたくなってくる好きな場所のひとつかもしれないです。

人形博物館のそばを通り抜け、フランス山のちょっと急な階段をのぼっていくとそこは港の見える丘公園がひろがっていて、そこからはベイブリッジが・・天気もどうやら晴れてきました。
          
公園から少し歩いていくと右手に赤い屋根の洋館が見えてきました。
昭和12(1937)年にイギリス総領事館公邸として建築された「イギリス館」だそうです。ここも前に訪れた旧岩崎邸庭園のようにピアノのコンサートなどが行われる時もあるそうで、1階の広い居間ではその打ち合わせをしている人達がいました。

すぐそばにあるローズガーデンには多種に渡って色とりどりな薔薇が見事に咲いていました。真ん中の微妙な色がなんともいえない薔薇がすごく目だっていて、柵から身を乗り出して思わず写真をとっていましたが、肝心の名前を忘れちゃいました・・確かとても上品な?外国の方の名前が付いていたような・・

イギリス館のすぐそばには「山手111番館」があります。かわいらしいような外観で白壁のスパニッシュ様式の西洋館です。
J・H・モーガンの設計で大正15(1926)年、イギリス人両替商のラフィン氏の住宅として建てられたとの事。

山手111番館の入り口から左手側の1階には"ローズガーデン えの木てい"があります。エリスマン邸や山手234番館のそばにある本店の"えの木てい"も洋館を使っていて素敵ですが、ここはガーデン席もあり、犬を連れた近所の方が散歩の途中でお茶をしていたりと雰囲気がのんびりしててとってもいい感じ。
             
朝早く出てきていたので昼食には間があったし、軽くブランチっぽくアフタヌーンティーセットみたいなローズガーデンセット(1365円)というのを分けて頂いてみました、小さなクレームブリュレも付いていましたが、別にケーキ(オレンジのシブースト525円)も頼んでみました^^; オレンジの酸味とクリームの甘みが丁度よくて好きな味のケーキでした。 窓からは薔薇園が目の前に見えて、この時期は店名にぴったりだし嬉しくなってしまいます(笑)
  
お茶してちょっと落ち着いたあとは、ぶらぶらと再び山手に点在する洋館を巡ってみました。

外人墓地の脇を通りすぎて少し行くと「山手234番館」が見えてきます。
ここは昭和2(1927)年頃に朝香吉蔵氏の設計により、当時は4世帯入居出来る外国人向けの共同住宅になっていて、第2次世界大戦中は海軍に接収されていた時期もあったそうです。現在は部屋ごとに区切られいるわけでなくて、全体的に一つの建物のように修復されていました。ただ玄関脇のドア部分は隣り合ってドアノブが付いていたりと、往時を偲ばせるものも見つけられます。

次は通りを挟んで反対側にある、「エリスマン邸」へ行ってみました。
大正15(1926)年に、絹糸貿易商会の支配人であるスイス人のエリスマン氏の私邸として建築され、平成2年(1990)年に山手127番地からこの場所へ移築復元されたそうです。ペパーミントグリーンのような色が使われていて印象的・・
設計はチェコ生まれのアメリカ人アントニン・レーモンド氏で、軽井沢の聖パウロカトリック教会や、東京女子大のチャペルなど多数の建造物を設計したことで知られています。

洋館巡り最後は、回った中では一番大きな規模の「ベーリックホール」へ。
イギリス人貿易商のB・R・ベリック氏の邸宅として建築され、「山手111番館」(ローズガーデンえの木ていがある所)を設計したモーガン氏が手がけた同じくスペイン風な洋館です。いいなぁ、こういう所へ一度でいいから・・なんて妄想してしまいます(笑)

まさしくホールのような居室で、ピアノが置かれた部屋の隣にはガラスが沢山はめ込まれた明るい雰囲気の部屋も見えます。
きっとこの洋館では頻繁にパーティーなども催されていたことでしょう、華やかで伸びやかな趣きです。暖炉も立派・・

廻り階段を昇って2階へ上がると、ベリック家の家族それぞれの部屋に仕切られていました。窓の形もかなり凝っています、それぞれの部屋にはこのデザインの窓が・・何かの花の形でしょうか?

あと代表的な洋館ではイタリア山庭園のほうに「ブラフ18番館」「外交官の家」というのがあったのですが、今回は行かれずに残念!又の機会にとっておくこととしました。

このあと中華街へぶらぶらと・・またちょこっと書きたいこともあり今度は間をあけずに・・^^;

5月14日いろいろ・・

2006年05月15日 | 日常いろいろ
5月14日・・
最近ではいろいろな趣向を凝らして、お母さん達を喜ばせているようですが
月並みですが、やっぱりどうしてもお花をあげてしまいます。

日曜日は母の居る実家へ何も連絡をせずに寄ってみる。
居た、居た・・よかった、構えられると悪いかな、なんて思ってふらっと寄ることも多い。
父は丁度出かけるところだったので、母とふたりになる。
紫陽花(ハイドランジア)と花びらのふちがフリルのように改良された微妙な色合いのカーネーション、それと果物が好きな母なので、マンゴーなどを渡す。
  
花は近くのオザキフラワーパークで用意する。
紫陽花もカーネーションと同じくいろいろな種類や色あいのものが、昔に比べて随分出てきてるなぁ~と思う。左のハイドランジア(日本の紫陽花をヨーロッパで改良したもの)はうまくいけば結構長く花が楽しめるそうです。

お昼を食べてから行ったので、緑茶を飲みながらのんびり1時間近くおしゃべりをしていく・・
最近母と長くしゃべっていなかったので、近況をいろいろ聞いているうちに、また心配になってしまったりする。

話してる途中、実家に住み着いてしまったミケが来る。すごく甘え上手な猫で私が帰る時は、仰向けになっておなかを見せてくれたりする時が多い。
多分もう結構な年になっていて、一時期よりもさすがに毛並みとかは潤いが少しなくなってきたけど、結構まだいけている美猫かも・・^^;
        
手土産といえば母にもうひとつ、和菓子で持っていきたいなぁ~と思っていたものがありました。
甘いものはあまり摂らない方がいいのですが・・
大泉学園にある大吾という和菓子屋さんの「爾比久良(にいくら)」という和菓子。割合近くなのに最近まで知らなかったお店だったので、おそらく母も知らないのではないかな~?と思ったのです。
下の写真は2週間程前に初めて食べてみた時の「爾比久良」(410円)の写真です。
          
栗の甘露煮が一粒丸ごと餡に包まれていて、外側は卵の黄身を使った羽二重餡になっているそうです。口当たりはほろほろと口溶けがよく、中の餡や栗の味も上品。
切り分けて食べるようにちょっぴり普通の和菓子よりも大ぶりになっているところも個性的です。
1975年頃、ニューヨークで働いていた和菓子職人の方が日本領事館でのパーティー用とお土産用につくったのがこのお菓子だそうで、帰国後、ここ大吾を開店したとの事。
残念ながら日曜日は大吾まで足を伸ばせず、母へのお土産にはなりませんでしたが^^;今度行くときは持って行ってあげたい!と思ってしまうお菓子です。

何も連絡しないで来たけれど、母からは「きっと来ると思ってたから、お豆を煮といたよ、他にもいろいろ・・・」なんて言われたりすると、さすがに嬉しいけれど、やっぱり来るのを待っててくれたんだな、と思うと連絡せずに来たことがちょっぴりうしろめたいような気がしてきます。
気がつけば親も随分年とってきたなぁ~、立ち居振る舞いを見てて最近そう思うことが多くなってきました。
これからはもっと立ち寄るようにしたいし、話しも沢山聞いてあげたい・・

森戸海岸あたり・・

2006年05月07日 | ちょっと出かけて・・
暑いくらいのすごく良い天気の連休の一日、ちょっと行ってみたいなぁ~というお店(マーロウ(MARLOWE))もあって、神奈川県葉山町近辺へ出掛けてみました・・

う~ん、やっぱりすごい渋滞にぶつかりました・・
マーロウはGW中は予約は不可で、前の日は来客人数が多くて12時半にはランチがいっぱいになってしまったとのこと・・

間に合いそうになくなってきたので、その店のランチはあきらめかけてたところ、途中いい感じの青い色のレストランを発見!!
おぉ~、なんとシーサイド仕様??のデニーズではありませんか!(デニーズ葉山森戸店)
テラス席もあり、ここからの眺めもなかなかです。
最初テラス席で食事しようと希望を出していましたが、この日は風が強すぎてテーブルに備え付けのパラソルも開けない状態だったので、変更して店内でおとなしく?ランチしました。
     
おなかもそこそこいっぱいになったので、ここから歩いてすぐの所に森戸神社があったので寄ってみました。
このあたりは源頼朝公ゆかりの場所にもなっているところで、歴代将軍はこの地で流鏑馬(やぶさめ)や相撲などの武事を行っていたそうです。
右の写真は、ちょっと後ろの山の緑と重なってわかり辛くなってますが、岩山の上に立派な松が生えています。これは千貫松(せんがんまつ)といって、源頼朝公が城に向かう途中、森戸の浜で休憩した時に、珍しい松だ、とほめたところ、出迎えた和田義盛という武士が千貫の価値があるので千貫松と呼んでいます、と説明したといういわれがあるそうです。       
              
このあたり、干潮になると磯遊びみたいに岩づたいに歩けるようになっている所があったので、ちょっと出かけてみました。
この森戸海岸あたりは初めて降りる場所でした。
近所?のワンちゃんが気持ち良さそうに海水浴?してるのを目撃。見ていたら2回も出たり入ったりしてて、やっぱり長い毛のワンちゃんは余計暑かったのかも、なんて思ったり・・・
   
近くには沢山の漁船もとまっていました。
フジツボが沢山張り付いているのを目にしました。よ~く見ると名前がわからないフナ虫みたいなのやら、石をちょっとどかすと小さなカニが横歩きで急いで逃げていくのが見えます。
   
もうちょっとゆっくりしてみたかったのですが、娘が横須賀・浦賀の黒船来航の場に行ってみたいという希望があったので、また渋滞する海岸通りを進んでいきました・・
途中行きたかったマーロウを通過。せめて評判のプリンをティータイムに食べたいなぁ・・と思ったのですが、駐車場があいてなかったので、再度Uターンして別の駐車場も空いてないかもう一度トライしたのですが、やっぱり超満員で入れず、残念!!
左はマーロウの店先、右はHPからのプリンの写真ですが、ハンフリー・ボガートが演じた?フィリップ・マーロウのイラストが耐熱ビーカーのイラストに描かれています。プリンとこのイラストっていう取り合わせがおもしろい、それにプリン自体がやっぱりやけにおいしそう~~!
       
段々と日も傾いてきた頃に、浦賀に到着。
嘉永6年(1853年)米国の艦隊司令長官ペリーが黒船艦隊4隻で浦賀沖に来航、上陸した場所です。
時は幕末の動乱の頃、威容さを放っていたでしょう黒船を見に来たという、吉田松陰、佐久間象山など、沢山の人の心を揺るがせた黒船来航の地は現在では思いのほか静かでした。近くにはペリー公園や資料館もありましたが、資料館(見学無料)は4時半迄の開館だったので見学出来ずまたまた残念^^;
「泰平のねむりをさますじょうきせん たった四はいで夜も寝られず」という句碑が公園内に建てられていました。じょうきせんというのは"蒸気船"とお茶の銘柄の"上喜撰"をかけている、とのことで浦賀の近くにすむ人達の心穏やかではいられなかった様子が伝えれています。
        
そんなこんなで、渋滞にはまりながらも天気に恵まれた一日だったので、森戸~葉山~浦賀へと訪れることが出来ました。