moimoiず だいありい

おいしいもの、ほっと和めるもの、ぶらぶら街歩き、気になってること等々の身辺雑記でしょうか・・

’08 京都(二)

2008年09月03日 | 京都
京都に来て小さな山に二つ行きました。

ひとつはウエスティン都ホテルの敷地内に設けられた探鳥路で、7階にある別館で佳水園の入り口あたりから上ることができ、標高210Mの華頂山につながっています。30分くらいで行けるということだったので、朝ご飯前に運動がてら行ってみよう!ということで早起きして6時位からのぼりはじめました。
50種類ほどの野鳥がこの森では観察されるそうですが、行った日は盛夏・・蝉の鳴き声が響き渡っていて、主役は一時交代しているようでした。
山あいが見えるところに出ると、東山連峰と呼ばれている大日山、神明山、大津・琵琶湖方面が見えるとのこと・・ちょっとわかりづらかったけど案内板で確かめてみました。ここまでくると汗ばんできて爽やか・・というのとはちょっと違ってきてしまいましたが、朝食前の散歩なんていつ行ったか忘れるくらいだったので楽しかった・・
 

散歩の後はいったん部屋に戻って朝食に行きました。
モーニングブッフェ、いくつかお店を選べましたが、普段は宴会場になっている眺めのいいところにしました。
 

散歩してちょっと動いたと思って、安心して食べ過ぎたような気がします^^;
私は洋のほうでまとめてみましたが、和食もいろいろ選べます。
玉子料理はリクエストしてその場で作ってくれます、オムレツを頼んでみました。
           

ロビーにはちょっと変わった円形にくりぬかれたオブジェが置いてありました、どんな意味があるのかな・・?右は11階の泊まった部屋の窓からの眺めですが、おそらく山側が見えているので蹴上駅、その先の南禅寺あたりでしょうか??
 


もう一つ行った山は金戒光明寺や京都大学が近くにある吉田山、この山にある茂庵と(MO-AN)というカフェに行って見たいなぁ・・と思い、ガイドに書かれていた説明にひかれてわざわざ出かけてみました。
カフェまではいろいろな道筋があったようですが、一番わかりにくそうな北参道辺りからのぼっていったので、途中迷ってしまいましたが何とか辿りつきました。
大正時代の実業家、後に茶道を嗜んだ谷川茂次郎氏が、この山に10近くの茶室も含めた建物を作ったそうですが、現在はそのうち3棟残されていて、その一つで食事棟として使われていた所を、谷川氏の名前を取って茂庵というカフェとして蘇らせたとのこと。
建物自体が山の雰囲気とも合い、古くからある別荘のようにも思えてしまいます。
 

2階がカフェスペースになっていました、太い梁が天井を渡っています。
格子の窓も趣を感じるし、椅子やテーブルもデザインがシンプルで清潔感があります。
 

一番乗りでしたので^^;好きな席に座れました、ここからは大文字山(如意ヶ岳)が見えるようです、五山送り火の時もここから眺められたんでしょう。
階段そばの明かりはもしかして当時のまま?
 

ここのお店の定番のメニュー、ピタパンサンドと月変わり?のメニューの蕎麦を頼みました。
きんぴらのピタパンと茄子とズッキーニとベーコンのピタパン、真ん中は蕎麦を頼んだら一緒についてくるオクラのスープといちじく・・お蕎麦は鶏のささ身が乗っていて目に涼しげでいかにもカフェで食べるお蕎麦という感じでお洒落です。
 

こちらのピタパンサンドは白味噌ソースのついたハンバーグとトマトとモッツァレラチーズ、
ケーキははマンゴーシフォンとのことで頼んでみました。
水が入っているグラス一つとっても、シンプルで好きな感じ。
   

店先にあった石の花器、これも昔からそこに置いてあったという感じが・・
建物の1階の板が貼られた部分はさすがに年月を感じますが、いい色になっています。
鳥居をくぐりながら来た道とは違ったルートで降りてみました、帰りのほうがカフェの案内板があったりしてずっとわかりやすかった。神楽岡を通るのが面白そうな道順のようです・・もし行けることが又あったらこちらのコースで・・と覚えておきたいです。

ここではコンサートや寄席が催されたり、別棟の2棟の和室ではお茶会が催されたりといろいろなことを発信している場所でもあるようです。
散歩がてらこの個性的な山のカフェ、お勧めしたいです。
それにしても、「も」というのが頭に付いたカフェ・・にいいところがあるような気が今のところしています(笑)

少し長くなってきたのでいったんここで・・
間に別な話を入れてしまうかもしれませんが、京都シリーズ?(三)として2年続けて行ってしまった聖護院川原町の和食のお店や寺社巡りのお話など書けたらいいなぁ・・

’08 京都 (一)

2008年08月23日 | 京都
今年も短い期間でしたが京都へ・・
何箇所か、印象に残った場所やお店などを・・

《源光庵》
京都の北西、鷹ケ峰(鷹峰)にあるお寺に行ってきました。
大徳寺の僧が開創し、その後の元禄7年(1649年)に、京都では珍しいという曹洞宗の寺として再興した源光庵へ。
本堂にある丸窓と四角い窓が特に目をひきます。
 

丸い窓は「悟りの窓」と名づけられています、円は禅の心を表し、宇宙を表現するそうです。
四角い窓のほうは「迷いの窓」と名づけられていて人間の生涯を象徴し、生老病死の四苦八苦を表現しているとのこと。
見る順番も角窓から見たほうがよいとのことでしたが、丸から見ていたような・・?
完成された一枚の絵を見ているような、そんな気もしてしまいます。
紅葉の頃は特に美しいとのことですが、緑の頃も目にまぶしいようです。
 

そしてこの落ち着いた窓と相対するように、本堂の天井は血天井になっています。
慶長五年(1600年)、徳川家康の忠臣、鳥居元忠の一党1800人余りが石田三成の軍勢と交戦し、380人余りが自刃して果てたところが伏見城でした。
こうしたことを弔うという意味もあり伏見城の廊下板の遺構が源光院本堂の天井として使われています。
天井のあちこちには血で染まった跡がそのまま残っている甲冑のような模様の跡や、手型、いまでも大男と思えるような足型が残されていました。
昔の方はこんなふうにして弔う気持ちを現したのですね・・じっと見ていると何ともいえない気がしてきますが、無念な気持ちで逝った人たちのことをずっと忘れずに供養していこう・・ということでしょうか。
この他に伏見城の遺構が使われている血天井は京都の寺に五箇所に分かれてあるそうです。
本堂裏は枯山水の庭園になっていました。
 

《光悦寺》
このあとはすぐ近くにあった、江戸時代の初期に本阿弥光悦が芸術の拠点とした光悦寺にも寄ってみました。参道が緑でうっそうとしていて、厳しいくらいの夏の日差しも遮ってくれるので余計ほっとしてしまいます、もみじが沢山植えられていて紅葉の頃を想像してしまいました。
真ん中の写真が光悦寺、右は境内の苔・・


境内には七つの茶室があり、一番左は大虚庵(だいこあん)、ちょっとしか映っていませんが回りを光悦垣といって竹を斜めに組んだ特徴ある垣根に囲まれています。
真ん中も茶室で了寂軒、後ろには鷹ケ峰三山、鷹、鷲、天の名前の小高い山の峰が連なっています。
一番右は帰り道で撮った参道、菱形に敷かれた石がいい感じです。


《高桐院》
このあとバス移動になりましたが、比較的そばにある大徳寺の塔頭(たっちゅう)で慶長6年(1601年)に利休七哲の一人、細川忠興が父の幽斎の菩提所として創建した高桐院、こちらは3年前に初めて行ったのですが娘がすっかり気に入ってしまい再度訪れることにしました。
変わらずに美しいこの参道・・そういえば光悦寺の参道も雰囲気が似ていたような・・
夏でも既に紅くなる種のもみじも参道に見えました。
        

庭園を前にお抹茶も頂いてみました。添えられていた菓子は末廣菓舗のあやごろも、羽二重餅でした。
 

思い思いに皆さんあちこちに・・毛氈に座ったり、畳に座ったりして庭園を眺めていました。


明り取りの桜の形がかわいらしい、灯りは思いのほかモダンなデザインなものがありました。
       

左は利休亭の広間を移築したと伝えられる書院の意北軒、右のほの暗い茶室は徳川秀吉が北野天満宮で催した大茶会の時に、忠興が設けた茶席を移築したと言われている松向軒があります、どちらも静かに時間を重ねてきたという風情が漂っていました。
           

《今宮神社、あぶり餅》
このあと歩いていける今宮神社そばで「あぶり餅」があるので食べてみたいね・・ということで一息つくことに。
           

あぶり餅のお店が、2店舗向き合って営業していました。
かざりやというお店のほうに寄ってみることに。
手でちぎって串に指したお餅で、それだけに独特な形をしています。白みそをベースに秘伝という甘しょっぱいタレが付いていて楽しく食べられました。     
          

《上賀茂神社》
ここから上賀茂神社がわりあいそばにあるということで、見学時間も特にガイドなどに記載されていなかったので少し遅い時間でしたが境内には自由に入れるのかな?と思って、またバスに乗り込み上賀茂神社まで向かうことに。
途中、鴨川(賀茂川)にかかる橋を渡り立派な鳥居が見えてきましたが、人影があまりありません・・
あれ・・五時台で閉門されていて中には入れないようになっていました・・残念。
せっかくだから門の外から中を撮ってみました。
拝殿前にある二つの円錐形の盛り砂「立砂(たてずな)」は神が降り立つ神聖な場所とのこと・・遠目にここも確認出来てちょっぴり来た甲斐があったかな?
 

《社家》
せっかくだからここから近い社家(しゃけ)の街並みをぶらぶらしてみることに。
社家とは上賀茂神社の神官を世襲する家柄の屋敷が明神川に沿って並んでいたところで、室町時代から門前の集落として発展した地域。以前は300軒ほどあった社家も今は10分の1近くになっているそうです。
家々の玄関口の前には必ず明神川を渡る石橋があり、そこを渡らなければ家に入れないようになっています。家にも水を取り込み庭の池に巡らせていて、水は神官がみそぎに使ったといわれています。
土塀の続く立派な家が並んでいました。
  

このあとも京都(二)続けたいです。

’07 京都(二)

2007年08月30日 | 京都
京都に行ったらひとつは幕末ものを押さえたい!?という家族の意向で伏見にある坂本龍馬が定宿としていた船宿だった「寺田屋」へ行ってみました。
         

左の写真の階段は慶応2年(1866年)伏見奉行所が龍馬を捕らえようと寺田屋にやってきたときに、後に妻となったお龍が入浴中だったにもかかわらず階段を駆け上り難を知らせたといわれている階段、真ん中は龍馬がよく使っていた部屋、右はそのときの防戦で龍馬も拳銃を発砲したとのことでその痕や刀傷もすぐそばの部屋の入り口付近に見ることもできました。

左の通りは寺田屋からすぐ脇を入った道で竜馬通り、と名づけられていました。
右の京町通は寺田屋から少し離れて伏見桃山駅のすぐ近くで撮ったものです。
この近辺は鳥羽伏見の戦いで官軍と幕府が激しい戦いを繰り広げていた所なので、通りに面した町屋の格子戸に流れ弾のような後がついているところが現在でも残っている所があります。
 
京町通りに面してあったお店でたまたま入ってみた十二屋という処、とても感じの良い店でした。
 
寺田屋近辺は京阪線の中書島(ちゅうしょじま)駅か伏見桃山駅、または近鉄線だと桃山御陵前駅が近くですが、JRだとちょっと歩きますが奈良線の桃山駅が最寄となります。

その途中には伏見の名水として名高い御香水が湧く御香宮神社があり、近所から沢山の人がタッパーやタンク持参で水を汲みにきていました。
たまらず一口だけ飲んでみました。柔らかな口当たりです。
酒蔵が沢山ある町だし記念館などもあったのでそのあたりをもうちょっと覗いてくればよかった^^;


そのあとは桃山から宇治の平等院へ向かいました。永承7年(1052年)藤原頼通が関白藤原道長の別荘になっていたものを寺院に改め平等院としたということで10円玉の裏のデザインにもなっている世界遺産の優美な姿の鳳凰堂は1000年近くたっている建造物になります。

残念ながら9月末日まで国宝の阿弥陀如来像などが修理のために見られず鳳凰堂の中には入れませんでしたが鳳凰堂の外観や庭園、ミュージアムの中は通常通り見ることが出来ました。10円玉の構図で撮ってみたかったのですが、工事の方が入っていて仮設の作業台も見えたりしていました。
        

写真には撮れませんでしたが、ミュージアムの鳳翔館の中も素晴らしかったです。
通常は鳳凰堂の天蓋に取り付けられていて間近には見られない円蓋が今回の大修理で外されて展示されていました。
まばゆいばかりの黄金色で蓮の花をイメージしたものといわれ目を奪われるものでした。

他にも鳳凰堂内部の壁に架けられている52体の雲中供養菩薩像のうち半数がミュージアムの壁に架けられていました。
たなびいた雲に乗っている小ぶりな木造の菩薩像、それぞれ楽器を手にしていたり、舞を踊っていたりとさまざまで親しみやすささえ覚えてしまうものでした。
今度は鳳凰堂で阿弥陀如来坐像をきちんと見たいなぁ・・ 

宇治駅のそばには平等院表参道が伸びていて宇治茶関連のお店が軒を連ねていました。
目当てのお店(中村藤吉本店)は待ち時間が長く閉店時間が迫っていましたが、他にいいお店を見つけて一休みすることに・・
店内では抹茶をひいているのが見えてとてもいい香りがしていました。
観光客も常連さんも同じように扱ってくださりとても気持ちの良い接客をしていてた創業400年という「お茶のかんばやし(上林)」さんというお店です。    


近くには宇治川が流れ、その日はちょうど花火大会がある日でした。
花火を待つ人たちが宇治川に足を浸していたのが印象的で、のんびりした雰囲気がとてもいい感じです。
土手に座り宇治川の花火を楽しみました、源氏物語をテーマに約7000発の花火が宇治川を彩っていました・・それにしても写真がうまく撮れずに残念! 
     
次の日は青蓮院、永観堂、祇園あたり、その翌日は鞍馬・貴船、養源院、東寺などを訪れ、あっという間の3日間でした。
また機会があったら京都のことをアップしたいですが、とりあえず今月はこれにて・・(笑)

’07 真夏な京都(一)

2007年08月19日 | 京都
急に決まって短期間ですが京都へ行ってきました。
行ったところを出来たら全部?書いてみたかったのですが、今回も印象に残ったところをひとつ、ふたつに絞って・・

伏見稲荷大社、ここはずっと行きたかったところでした。
鳥居が幾重にも幾重にも重なっていて、そこをただただくぐってみたかったというのもあります(笑)
全国に何万とあるお稲荷さんの総本宮とのことで、「枕草子」や「蜻蛉日記」に取り上げられていて、和銅4年(711)秦氏が農耕神として祀ったのが始まりと言われています。

左は入り口の参道の鳥居から本殿を臨んだところです、
右は本殿を過ぎ稲荷山に入っていくとしばらくして鳥居が立ち並んでいるのが見えてきて、こっちへ進むんだよ、といざなっているようです。

道の途中に小さな稲荷塚が沢山ありました、ひとつひとつのぞいてみたくなります。
坂道のところでも鳥居があるとなんとか上ってみよう・・という気になってしまいます。

でも段々日も高くなるし、ますます暑くなってくるしできつくなってきました。
そうしているうちに四ツ辻という場所で突然眺望がひらけて眼下には京都の街並みが・・ここが頂上だ~っ!やったぁ!と思ってあとは下るだけ・・と思い込みルートを確認、三ノ峯方面へ、でも何かおかしい下っていることもあるけど上ることも多い、実はこのあとまだまだ先があったのでした、四ツ辻を中心にくるりと頂上の一ノ峯まで一周してまた四ツ辻に戻ってきた時には、あれ??なんで戻ってるの?と思ってしまい自分にとっては結構しんどかった~~^^;

風情あるお土産やさん兼休憩処、よく見るといろいろな方の名前の暖簾が・・
絵馬は普通の形ではなくお狐さんの顔の形になっていました。

段々と稲荷山の裾というか本殿に近づく道を下っていくと、どこにあるんだろう?と思っていた千本鳥居が見つかりました。
2004年のNHK大河ドラマの「新選組!」のオープニングでも実写と版画絵でこの千本鳥居を毎回みて印象が濃くなっていたのもあります、チャン・ツィー主演の映画「SAYURI」の中でも使われていたそうです。
通常は行きの道筋で見つける方のほうが多いと思いますが、道程によっては通らないまま頂上に向かってしまうので(所要時間2時間位です)、時間があまりなく先にここを見たい時は事前に稲荷山の地図をよく見たほうがいいようです。
いずれもこちらは入り口(私たちは出口?)から出口に向かって撮ったものです、反対側から行くと鳥居を奉納した方たちのお名前を見ながら行くことになるので、何も書かれていない面を見せる入り口から入ったほうが風情があるようです。

ずっと2時間近く鳥居に囲まれながら昇り降りし、最後近くにこの千本鳥居、なにか感覚的にちょっと別なものが湧いてくるような気がします、こんな短時間に鳥居を何千本も(万の数とも言われています)くぐること自体が非日常的だし驚きと神秘的なものを感じます。連なる鳥居がエキゾチックで引き寄せられているのでしょうが、お参りしている方でかなりな人数の外国の方を見かけたのはちょっと意外な感じがしてしまいました、すれ違った方とにっこりしあったり、別な方には出口はどこ?と聞かれたりして戸惑いながらもちょっとうれしかったりしました。

間をあけずにまた京都の話しをアップしたいです。

真夏な京都(ニ)

2005年08月20日 | 京都
どれも今回訪れたお寺は心に残るところばかりでしたが、あと一つだけあげるとすると高桐院(こうとういん)でしょうか?

広い敷地の大徳寺の中には22もの塔頭(たっちゅう)が点在していますが、常時4つの塔頭は拝観が出来、そのうちのひとつが高桐院になります。同敷地内で龍源院も見に行くことができましたが、こちらも日本最小の石庭があったりと見どころが沢山・・
7月をもって閉じられた京都在住のモヨコさんのブログコトモノBLOGの最後のほうの記事で、高桐院がとても素敵に紹介されていたので、娘と行きたいね~と言っていた場所のひとつになっていました。

高桐院は慶長6年(1601年)に、利休七哲の一人といわれた細川忠興(ただおき)が父親の菩提を弔うために建立した寺になるそうです。
忠興(三斎公)は戦国時代きっての智将でもあり、茶道を極め、歌道をたしなみ文武両道に秀でた粋な人であったようです。

高桐院でまず心洗われてしまうような所があります、表門から続く敷石の参道がとてもとても美しい!
木々の緑に遮られて、昼でも少しほの暗く静かで赴きのある雰囲気の中、別世界につながる道のようにも思えます。
苔むした地面から伸びている両側の緑のもみじと、竹を使った仕切りが真っ直ぐ伸びたその先にある門までの道のりが、これから高桐院を訪れることが出来るという、静かな期待を増幅させる効果があるように思えます。


小さな入り口から上がりますと目の前にまず庭園の一部が目に飛び込んできました。
そして右側に千利休の屋敷の広間を移築したという「意北軒」さらにその奥には秀吉が主催した北野天満宮の茶会に使っていたものを移したという「松向軒」(しょうこうけん)とお茶に非常にゆかりの深いものばかりがあります。
茶の湯との関連も深い寺ゆえに、派手さというものはありませんが凛とした中に気品があります。

寺が用意した履物をはいて中から外の庭園も出てみてまわることが出来ます。
本堂西側には三斎(細川忠興)と妻ガラシャ婦人(明智光秀の娘)の石灯籠となっている墓石が静かに据わっています、そこまで敷石を踏みながら進むことが出来ました。

そして書院の左、南側には江戸時代初期につくられたという庭園があり、縁側にも腰掛けられるような感じでのびやかな空間が広がっています。
訪れた方は皆ここでしばらく庭園を見ながらくつろいでいます。
(2枚とも携帯写真になってしまってますが、よく見たらぼ~っと座ってるのは旦那さんでした^^;)

そして庭園は夏の暑さを一時忘れさせてくれるような清涼感があり、そこだけ別な風が吹き抜けているような感じがします。
楓を主としたつくりの庭になっていてもみじも植えられていて、現在は夏の青々とした景色が広がっていますが、紅葉の頃は庭には真っ赤に紅葉した落ち葉が敷き詰められるそうです。
紅葉の絨毯、その頃も見てみたいものです。

真夏な京都(一)

2005年08月18日 | 京都
なんだか随分間があいてしまいました~。
ところで今年も真夏の京都!に行って参りました。

何回目かの再訪の寺もいくつかありましたが、今回は初めて行った、得に印象に残っているお寺を二つばかり・・
あと別日になるかと思いますが、スィーツとか食べ物のこととかも書けたらなって思ってます。

それとアクシデント発生!旅行一日目にして、レンズがズームで出たままのデジカメをアスファルトに落としレンズ部分強打して壊してしまった事です(T_T)
あとの3日間は携帯カメラと使い捨てカメラで過ごしました・・幸いメモリー部分は生きてたので一日目のみPCに画像移せましたが、後からメーカーのカスタマーセンターに連絡を取って修理の見積もりを出してもらったところ、新しいのが買えちゃうような金額を言われたので修理は諦めます・・ちょっと悲しい~~
あっ!ついついぐちが~

本題に戻って今回すごく印象に残ったお寺ですが、一つは大原にある天台宗の宝泉院です。
平安時代に宿坊として建てられたのが始まりだそうです。
柱で区切られた空間を額縁に見たてた「額縁庭園」と呼ばれる書院に足を踏み入れた時、清々しい感じに圧倒されるような感じで胸がざわざわしてきました。
樹齢700年を越えるりっぱな五葉松や青々とした竹林の後ろにはかすかに大原の里が見えます。柱に区切られたところが本当に一枚づつ絵画のように見えてきます。ここは枯山水庭園で盤桓園(ばんかんえん)といって「立ち去りがたい」という意味になるそうです・・ほんとうにそう思える所です。
下の写真は一日目だったのでデジカメで撮れましたが、そのままの空間の雰囲気はなかなか撮れてませんが・・しかし五葉松が立派ですね・・
 

この庭園の雰囲気と相反して!ここの書院の廊下の天井は「血天井」と呼ばれているのには凄く驚きます・・
関が原の合戦の時に徳川の忠臣・鳥居元忠一党数百名が自刃した場所の伏見城の板間がそのままここの天井に張られているのです!
この血天井を説明された方が事も無げに、竹の棒のようなもので指し示しながら「ここに足跡が見えるでしょ、ここは髪の毛、眼球、ここは眉、口の血の跡が・・それとここは自害したけれど苦しくてもがいた跡とか・・」うぅ~、いくら四百年以上経っているとはいえリアル過ぎる~。以前どこかで読んだ本に京都は場所場所が歴史を刻んだものばかりなので、ここでこの部屋で自刃したお侍さんが居たという所でも、現在は子供部屋として使っていたりとかというのがあるそうです、肝が据わってるということなんですね。

美しい額縁庭園、盤桓園と血天井の対比が強烈すぎて拝観時間をあと数十分に残すのみの駆け込みの鑑賞になってしまったにもかかわらず、心に深く印象を刻んだ寺の一つになりました。

一つが長くなってしまったので、次は間を空けずに大徳寺を・・書いてみたいです。

くくり猿、不思議と気になり・・

2005年06月27日 | 京都
  

くくり猿、昨年京都に行った時にきれいな色味に惹かれて(娘がとっても気に入ってしまったのもありますが)お土産のひとつにしました。
この写真には写ってませんが細長い人参みたいな形のものがおまけにぶら下がっていたのも珍しい~かな?と思ったのです。

くくり猿についてあまり知らなかったのですが、京都東山区にある八坂庚申堂から始まっているようです。欲をひとつ我慢して願を掛ける・・という意味もあるお守りのようです。
庚申堂のそばのとおりには、何軒かの店の軒先に売り物ではない赤い色のくくり猿が何匹も沢山吊り下げられてゆらゆらしていました。ちょっと雨にも何回か降られて赤い色が褪せているのもかえって風情がありました。

 

上の写真2枚は自由が丘にある茶房古桑庵にて販売していたもので、またまたくくり猿が気になりお土産にしました。
ここのお店もかなりな雰囲気で、靴を脱いでゆっくりしたい時などはお勧めです。

このお店で働いてる方もお年の方が多いのですが、そこがまたいいです。
昨年寄った時は急な夕立があったのですが、傘をお持ちでなかったらどうぞ使ってくださいと、透明なビニール傘でしたが、玄関先で言って頂いたのにはびっくり!ちょうど傘は用意していたので使わせてはもらわなかったのですが、心があったかくなりました。

左の敷物の端にちょこんと付いてるくくり猿、お店でもおひやのコースターとして使われていました。
右のくくり猿はちりめんの生地でつくられてて柔らかな出来ばえで、お猿の頭が完全に中に入ってる~!のでちょっとユーモラス。お手玉として使ってくださいとのこと・・・

お店の人に、くくり猿が沢山ついているものが多いので(トイレットペーパーのホルダーカバーとかにもついてました!)わくわくしながら?「なぜこちらのお店ではくくり猿が??」と尋ねてしまいました。
「何もついてないと寂しいから・・」というお返事を頂いて「へ~っ!」と思ってしまったのですが、八坂庚申堂さんや京都には関連はなかった?ものの古桑庵の方もくくり猿好きだったんだ、と勝手に解釈^^;してしまいました。