【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

手ぶくろを買いに

2022-01-13 | 絵本




冷たい雪で牡丹色になった子狐の手を見て、母狐は毛糸の手袋を買ってやろうと思います。
その夜、母狐は子狐の片手を人の手にかえ、銅貨をにぎらせ、かならず人間の手のほうをさしだすんだよと、よくよく言いふくめて町へ送り出しました。
はたして子狐は、無事、手袋を買うことができるでしょうか。
新実南吉がその生涯をかけて追及したテーマ
「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」を、今、黒井健が情感豊かな絵を配して、絵本化しました。


寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました。
ある朝、洞穴から子供の狐が出ようとしましたが、
「あっ。」と叫んで眼を抑えながら母さん狐のところへころげて来ました。
「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴、早く早く。」と言いました。
母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。


母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解りました。昨夜のうちに、真っ白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽さまがキラキラと照らしていたので、雪は眩しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。


子供の狐は遊びに行きました。真綿のように柔らかい雪の上を駈け廻ると、雪の粉が、しぶきのように飛び散って小さい虹がすっと映るのでした。
すると突然、うしろで、「どたどた、ざーっ。」と物凄い音がして、パン粉のような粉雪が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十米も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹絲のように雪がこぼれていました。


間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする。」と言って、濡れて牡丹色になった両手を母さん狐の前にさしだしました。母さん狐は、その手にはーーっと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖かくなるよ、雪をさわるとすぐ暖かくなるもんだよ。」と言いましたが、かあいい坊やの手に霜焼ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊やのお手々にあうような毛絲の手袋を買ってやろうと思いました。


暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮かびあがっていました。
親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。


やがて、行手ににぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねぇ。」とききました。
「あれはお星さまじゃないのよ。」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。「あれは町の灯なんだよ」
その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思い出しました。およしなさいっと言うのもきかないで、お友達の狐が、ある家の家鴨(あひる)を盗もうとしたので、お百姓に見つかってさんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん、何してんの、早く行こうよ。」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、坊やだけを一人で町まで行かせることになりました。


「坊やお手々を片方お出し。」と、お母さん狐が言いました。その手をお母さん狐はしばらく握っている間に、かわいい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手を広げたり握ったり、抓(つね)って見たり、嗅(か)いで見たりしました。
「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、又その、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円いシャッポの看板のかかってる家を探すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間から、こっちの手、ほらこの人間の手を差し入れてねこの手にちょうどいい手袋を頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ。」と母さん狐は言い聞かせました。
「どうして?」っと坊やの狐はききかえしました。
「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴(つか)まえて檻(おり)の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ。」
「ふーん」
「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ。」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨を、人間の手の方へ握らせてやりました。


子供の狐は、町の灯を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十(とお)にもふえました。
狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。


やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。
けれども表の看板の上には大(たい)てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画(えが)かれ、あるものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分からないのでした。


とうとう帽子屋が見つかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電灯に照らされてかかっていました。
子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は。」
すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸(約3cm)ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、(お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手を)すきまからさしこんでしまいました。


「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木の葉で買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい。」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指のさきにのっけて、カチ合わせて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚から子供用の毛絲の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言って又、もと来た道を帰り始めました。


「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有(おっしゃ)ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの。」と思いました。けれども子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何というおっとりした声なんでしょう。
「ねむれ ねむれ
 母の胸に
 ねむれ ねむれ
 母の手に  」
子狐はその唄声(うたごえ)は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。 


するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼(な)いてるでしょうね。」
すると、母さんの声が
「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ。」


それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳んで行きました。お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖かい胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。


二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや。」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖かい手袋くれたもの。」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」とつぶやきました。



この本は、『校定 新実南吉全集』(大日本図書刊)所収の「手ぶくろを買ひに」を底本としています。読みやすくするため、旧かなづかいを新かなづかいにあらため、一部改行しましたが、そのほかは原文のままです。(巻末より)
【作者紹介】
作・新実南吉(にいみ なんきち)
1913年愛知県に生まれる。東京外国語学校英語部文科卒業。
中学時代より文学に興味をもち、童話・童謡・詩・小説などを書き続ける。
1943年没。その作品は民芸品的な美しさと親しみ深さを感じさせ、今も多くの人に愛されている。
主な作品に「ごんぎつね⇒こちら」「手ぶくろを買いに」「おじいさんのランプ」などがあり、全業績は『校定・新実南吉全集』(全12巻・大日本図書)に網羅されている。
絵・黒井 健(くろい けん)
1947年新潟市に生まれる。新潟大学教育学部中等美術科卒業。
1983年、第9回サンリオ美術賞を受賞。主な絵本作品に『ごんぎつね』『手ぶくろを買いに』(新実南吉作)
『猫の事務所』(宮沢賢治作)画集に『雲の信号』(宮沢賢治詞)『ミシシッピ』(偕成社)がある。

新実南吉  ごんぎつね PART2

2021-10-16 | 絵本


新美南吉・作
いもとようこ・絵


これは、わたしが小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。むかしは、わたしたちの村の近くの、中山というところに、小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。
その中山からすこしはなれた山の中に、「ごんぎつね」というきつねがいました。ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱいしげった森の中に、あなをほってすんでいました。そして、夜でも、昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。
畑へはいっていもをほりちらしたり、なたねがらのほしてあるのへ火をつけたり、百しょうやのうらてにつるしてあるとんがらしをむしりとっていったり、いろんなことをしました。
ある秋のことでした。二、三日雨がふりつづいたそのあいだ、ごんは、外へも出られなくて、あなの中にしゃがんでいました。


空はからっとはれていて、もずの声が、きんきん、ひびいていました。
ごんは、村の小川のつつみまで出てきました。
あたりの、すすきのほには、まだ 雨のしずくが光っていました。川はいつもは水がすくないのですが、三日もの雨で、水がどっと増していました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、はぎのかぶが、きいろくにごった水によこだおしになって、もまれています。
ごんは川しものほうへと、ぬかるみ道を歩いていきました。
ふと見ると、川の中に人がいて、なにかやっています。
ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
「兵十(ひょうじゅう)だな。」と、ごんは思いました。


兵十はぼろぼろの黒いきものをまくしあげて、こしのところまで水にひたりながら、さかなをとる、はりきりという、あみをゆすぶっていました。はちまきをした顔のよこっちょうに、まるいはぎの葉が一まい、大きなほくろみたいにへばりついていました。
しばらくすると、兵十は、はりきりあみのいちばんうしろの、ふくろのようになったところを、水の中からもちあげました。
その中には、しばの根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でも、ところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、太いうなぎのはらや、大きなきすのはらでした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみといっしょにぶちこみました。
そして、また、ふくろの口をしばって、水の中へいれました。
兵十はそれから、びくをもって川からあがり、びくを土手においといて、なにをさがしにか、川かみのほうへかけていきました。


兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。
ごんは、びくの中のさかなをつかみ出しては、はりきりあみのかかっているところよりしもての、川の中をめがけて、ぽんぽんなげこみました。
どのさかなも、「とぼん」と音をたてながら、にごった水の中へもぐりこみました。


いちばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、なにしろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。
ごんはじれったくなって、頭をびくの中につっこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎはキュッといって、ごんの首にまきつきました。そのとたんに兵十が、むこうから、「うわあ、ぬすとぎつねめ。」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。
うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま、よこっとびにとび出して、いっしょうけんめいに、にげていきました。
ほらあなの近くの、はんの木の下で、ふりかえってみましたが、兵十はおっかけてはきませんでした。
ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして、あなのそとの、草の葉の上にのせておきました。


十日ほどたって、ごんが、弥助というお百姓の家の裏をとおりかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内が、おはぐろをつけていました。鍛冶屋の新兵衛の家のうらをとおると、新兵衛の家内が、髪をすいていました。
ごんは、「ふふん、村に何かあるんだな。」と思いました。
「何だろう、秋まつりかな。まつりなら、たいこやふえの音がしそうなものだ。それにだいいち、お宮にのぼりが立つはずだが。」
こんなことを考えながらやってきますと、いつの間にか、表に赤い井戸のある兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのきものをきて、こしにてぬぐいをさげたりした女たちが、おもてのかまどで火をたいています。大きななべの中では、なにかぐずぐずにえていました。
「ああ、葬式だ。」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう。」


お昼がすぎると、ごんは、村の墓地(ぼち)へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠くむこうには、お城のやねがわらが光っています。墓地には、ひがん花が、赤いきれのようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーンと、鐘が鳴ってきました。葬式の出るあいずです。
やがて、白いきものをきた葬列のものたちがやってくるのが、ちらちら見えはじめました。話ごえも近くなりました。葬列は、墓地へはいってきました。人びとが通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。
ごんは、のびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌(いはい)をささげています。いつもは、赤いさつまいもみたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは、兵十のおっかあだ。」
ごんは、そう思いながら、頭を引っこめました。


その晩、ごんは、あなの中で考えました。
「兵十のおっかあは、とこについていて、うなぎがたべたいといったにちがいない。それで、兵十が、はりきりあみをもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとってきてしまった。だから、兵十は、おっかあにうなぎをたべさせることができなかった。そのまま、おっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎがたべたい、うなぎがたべたいと思いながら、死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらしなけりゃよかった。」


兵十が、赤い井戸の所で麦をといでいました。
兵十は、今までおっかあとふたりきりで、まずしいくらしをしていたもので、おっかあが死んでしまっては、もうひとりぼっちでした。
「おれとおなじ、ひとりぼっちの兵十か。」
こちらの物置のうしろから見ていたごんは、そう思いました。
ごんは、物置のそばをはなれて、むこうへいきかけますと、どこかでいわしを売る声がします。
「いわしのやすうりだあい。いきのいい、いわしだあい。」
ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、うら戸口から、「いわしをおくれ。」と言いました。
いわし売りは、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助のうちの中へもって入りました。


ごんは、そのすきまに、かごの中から五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もときたほうへかけだしました。そして、兵十のうちのうら口から、うちの中へいわしをなげこんで、あなへむかってかけもどりました。
とちゅうの坂の上でふり返ってみますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。
ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。


つぎの日には、ごんは山でくりをどっさりひろって、それをかかえて兵十の家(うち)に行きました。
うら口からのぞいてみますと、兵十は、昼めしを食べかけて、ちゃわんをもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。
へんなことには、兵十のほっぺたに、かすりきずがついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとを言いました。
「いったい、だれが、いわしなんかを、おれの家(うち)へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、ぬすびとと思われて、いわし屋のやつにひどいめにあわされた。」
と、ぶつぶつ言っています。


ごんは、これはしまったと思いました。
かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんなきずまでつけられたのか。
ごんはこう思いながら、そっと物置のほうへまわって、その入口に、くりをおいてかえりました。


つぎの日も、そのつぎの日も、ごんは、くりをひろっては、兵十の家(うち)へもって来てやりました。その次の日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三本、もっていきました。


月のいいばんでした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通って、すこしいくと、ほそい道のむこうから、だれかくるようです。話しごえがきこえます。チンチロリン、チンチロリンと、まつむしが鳴いています。
ごんは、道のかたがわにかくれて、じっとしていました。話ごえは、だんだん近くなりました。
それは、兵十と、加助(かすけ)というお百しょうでした。
「そうそう、なあ、加助。」
と、兵十がいいました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とても、ふしぎなことがあるんだ。」
「何が?。」
「おっかあが死んでからは、だれだか知らんが、おれにくりやまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ。」
「ふうん、だれが?」
「それがわからんのだよ。おれの知らんうちにおいていくんだ。」
ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見にこいよ。そのくりを見せてやるよ。」
「へえ、へんなこともあるもんだなあ。」
それなり、ふたりはだまって歩いていきました。


加助がひょいと、うしろを見ました。ごんはびくっとして、小さくなって立ちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさと歩きました。吉兵衛(きちべえ)というお百しょうの家(うち)までくると、ふたりはそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと、木魚の音がしています。まどのしょうじにあかりがさしていて、大きなぼうず頭がうつって、動いていました。ごんは、「おねんぶつがあるんだな。」と思いながら、井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また、三人ほど人がつれだって、吉兵衛(きちべえ)の家(うち)へ入っていきました。
お経(きょう)をよむ声がきこえてきました。


ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、またいっしょにかえっていきます。ごんは、ふたりの話をきこうと思って、ついていきました。
兵十のかげぼうしをふみふみいきました。
お城の前まできたとき、加助が言いだしました。
「さっきの話は、きっと、そりゃ、神さまのしわざだぞ。」
「えっ?」
と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうもそれゃ、人間じゃない、神さまだ。神さまが、おまえがたったひとりになったのを、あわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんでくださるんだよ。」
「そうかなあ。」
「そうだとも。だから、毎日、かみさまにおれいをいうがいいよ。」
「うん。」
ごんは、「へえ、こいつはつまらないな。」と思いました。おれがくりやまつたけをもっていってやるのに、そのおれにはおれいをいわないで、神さまにおれいをいうんじゃぁおれは、ひきあわないなあ。」


そのあくる日も、ごんはくりをもって、兵十の家(うち)へ出かけました。兵十は、物置でなわをなっていました。それで、ごんは、家(うち)のうら口から、こっそり中へ入りました。 そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねが家(うち)の中へはいったではありませんか。こないだ、うなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしにきたな。


「ようし。」
兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火なわ銃をとって、火薬をつめました。
そして、足音をしのばせて近よって、いま戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。


ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよってきました。家(うち)の中を見ると、土間にくりが、かためておいてあるのが目につきました。
「おや。」と、兵十はびっくりして、ごんに目をおとしました。
「ごん、おまい(おまえ)だったのか、いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は、火なわ銃をばたりと、とり落としました。青いけむりが、まだつつぐちからほそく出ていました。
 
子どもの心に優しさ灯す
「ごんぎつね」は1956年に小学校国語教科書に登場して以来、半世紀以上、掲載され続けている不朽の名作です。
主人公は、いたずら好きの子ぎつね・ごん。ある日、漁師の兵十が病気の母親のために捕ったウナギをごんが奪ってしまいます。その後、兵十の母の死を知ったごんは、自分と同じ一人ぼっちになった兵十に、せめてもの償いをと、こっそり栗やマツタケを届けます。でも善意は伝わらず、悲しい結末を迎えます。
新実南吉は1913年愛知県半田市に生まれました。「ごんぎつね」を書いたのは1931年満州事変の起きた年です。雑誌『赤い鳥』の翌年1月号に掲載。この時南吉は18歳でした。南吉は病弱な母を持ち、自らも体が弱く1943年、29歳で結核のため亡くなった。
新実南吉は「ストーリーには悲哀がなくてはならない、悲哀は愛に変わる」の言葉を残しています。
「ごんぎつね」を読んで、ごんと兵十の心のふれあいを望みながら、悲しい結末に心をふるわせ、愛を感じとってくれる子どもたちへ。
「手袋を買いに」など数々の名作を残した南吉。
戦時下、多くの文人が戦争賛美の作品を書く中で、小さきもの、弱きものへの目線を失いませんでした。社会主義運動と接点があったことも、戦後、発掘されています。
アカハタ日曜版より

あなたへ・・・・・  いもとようこ
私が「ごんぎつね」に最初に出会ったのは電車の中でした。電車の揺れるたびに動く文字を読みにくいなあと感じながら追っていくうち、いつのまにか、どんどん話の中にひきこまれていきました。そして最後の行まできたとき、どっとこみあげてくる思いと涙で、頭をあげることもできず下車駅までずっとうつむいたままだったことを今も忘れることができません。
それから何度このお話を読んだことでしょう、最後の「青いけむりがまだつつぐちからほそく出ていました」というところは、なんと余韻を残す言葉でしょう。それはなんともやりきれない運命の悲劇を感じさせます。
この作品に出会って以来、いつか私も「ごんぎつね」を描きたいと思いつづけてきました。でもいつも「今はまだ描けない,描いてはいけない、私などが触れてはいけない!」この作品はそんな崇高さをずうっと感じさせてきました。
今回「ごんぎつね」を描かせていただくにあたり、正直いってこの気持ちは消えていません。
あまりにも多くの人に読まれ愛されている「ごんぎつね」それ故にそれぞれのイメージがあると思います。
でも、どれもみなそれぞれほんとうの「ごんぎつね」なのではないでしょうか。
私にとってこれほど描きたくて、描きたくなかった作品はありません。
みなさんのごんと兵十に愛をこめて
(「ごんぎつね」カバーのそでより)


ヒガンバナ:愛知県半田市矢勝川堤 2015.9.19

2015-09-30 | デジカメ紀行
愛知県半田市矢勝川堤の彼岸花、すぐそばに新美南吉記念館があります。行ってきました。
きっかけは2012年10月5日絵手紙繋がりのMさんからの「花だより:彼岸花編」 です。

矢勝川の堤一体はヒガンバナがいっぱい・・・

ふと思いました、
わんちゃんちの近くの煤谷川河川敷公園の斜面を彼岸花でいっぱいに・・・はどうでしょうか?

バスツアーのその日がシルバーウィークの初日であるってこと、
ぜ~んぜん気づかずに申し込んだわんちゃんでした・・・
添乗員さんがとても気にして「4連休の初日ですから・・・」っと。

少しの渋滞はなんのその、ほぼ予定通りでしたよ

バスツアーですから途中いろんなところに寄り道です。
盛田 味の館

海のそば。道をはさんだ堤防の向こうは伊勢湾、その向こうに中部セントレア空港。

倉庫のような建物

ここで昼食


「そこやったら『ねのひ』やろ?」っと長男が言うてました。


館内では利き酒、順番に試飲させていただきました。


また、この地方では”赤だし”といえば、お味噌汁のことをいいます。

その”赤だし”を日本で始めて商品化したのがここ盛田株式会社。

あのSONY創業者故盛田昭夫氏のご実家。館内には「人間・盛田昭夫展」が常設されており、盛田氏およびソニーの歴史を学ぶことができます。
今回初めて知ったこと。「盛田」は創業初期のソニーに資金援助し、ソニーの筆頭株主だったそうです。

常滑やきもの散歩道を体感(写真はクリックで拡大します)


地図を片手に1時間30分あまり、退屈なしに歩き巡り・・・

登り窯

登り窯の10本の煙突は両端に行くに従って次第に高くなっている。
これは通気性を利用して窯の隅まで均一に焼けるように考えた当時のアイデアです。






招き猫


土管坂




新美南吉記念館 


『ごんぎつね』は大好きな本の一冊です、最後の
「ようし。」
 兵十は立ち上がって、なやにかけてある火なわじゅうを取って、火薬をつめました。そして、足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。
 ごんは、ばたりとたおれました。
 兵十はかけよってきました。うちの中を見ると、土間にくりが固めて置いてあるのが、目につきました。
「おや。」
と、兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。
「ごん、おまい(おまえ)だったのか、いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は、ひなわじゅうをばたりと取り落としました。
青いけむりが、まだ、つつぐちからほそく出ていました。

いつもウルウルのわんちゃんです。
特に「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました」の箇所が・・・


新美南吉・作
いもとようこ・絵
『大人になっても忘れたくない いもとようこ名作絵本』
『ごんぎつね』に思いを込めた いもとようこさんの絵が大好きだから・・・

帰りの高速道路は渋滞なくスス~ッと・・・

夕焼けがとてもキレイでした⇒土山SA(18:09)


花だより:彼岸花

2012-10-05 | 折々の花

【花だより】
絵手紙繋がりのうさこさんから花便りが届きました




うさこさんより
奈良でも見られるのにと言う話ですが、10月初旬、半田市の矢勝川堤のヒガンバナを見に行ってきました、まだ少し早かったようでした。
堤一面赤く染まり、周りの稲とのコントラストが綺麗だろうと思われます。
土日にはお祭り(山車などもでる)もあったようでした。
その川の近くに、ごん狐で有名な新美南吉の記念館があり、童話の世界に浸ってきました。なんでも、来年生誕100年のイベントがあるそうです。

Re:わんちゃん
半田市の矢勝川堤のヒガンバナ、毎年行きたいなって思いながらなかなか行けてません、花便りアリガトウです。
それに新美南吉の記念館にも行かれたそうで、新美南吉の童話の世界はちょうど『読み聞かせの講座』に通ってて馴染みの『ごんぎつね』読めば読むほど奥の深さをカンジます。
来年生誕100年のイベントがあるのですか?そうなんですか?

Re:うさこさん
見てください! ハロウインのランタン。娘が彫りました?くりぬきました?。
白いお化けは大根で、私の作品です(笑)。



Re:わんちゃん    
もうハロウウインなんですねぇ・・・なんと可愛いですこと!!

2010年 仏隆寺のヒガンバナ➱こちら
2007年 ウチの庭で➱こちら