正直去年のこの日は、素直に喜べなかったのです。
当時私がリアルタイムで知っていたのはほぼ19歳の彼だけ、その19歳―少年以上青年未満の彼があまりに「綺麗」であったがゆえに、20歳という大人の年齢になってしまうのが、とてももったいないような悔しいような心地さえ覚えたものでした。
実際には20歳になっても幼さの残る面差しも透明感も相変わらず(大人びたかなと思ってもすぐに揺り返しがくる)だったので、最近はそうした胸苦しさを感じることもなくなっていたのですが、8月20日が近付いてくるにしたがって、彼がまた一つ年を重ねる―大人になってゆくことに、一抹の寂しさがよぎるように。
当時私がリアルタイムで知っていたのはほぼ19歳の彼だけ、その19歳―少年以上青年未満の彼があまりに「綺麗」であったがゆえに、20歳という大人の年齢になってしまうのが、とてももったいないような悔しいような心地さえ覚えたものでした。
実際には20歳になっても幼さの残る面差しも透明感も相変わらず(大人びたかなと思ってもすぐに揺り返しがくる)だったので、最近はそうした胸苦しさを感じることもなくなっていたのですが、8月20日が近付いてくるにしたがって、彼がまた一つ年を重ねる―大人になってゆくことに、一抹の寂しさがよぎるように。
そんな折読んだインタビューで、衝撃を受けたのが次の一言。
「早くシワができてほしいんですよ。年を取って、味のある役者さんになりたい」(「escala cafe」参照。)
インタビュー記事やトーク番組などを見聞していると、彼の発言に胸をつかれることがしばしばあるのですが、これは相当ガツンときました。
一般人でもアンチエイジングに精を出す昨今、20歳前後でもう「劣化」したの何のと言われてしまう若手俳優・女優さんたちは、容姿を保つことへのプレッシャーも相当なはず。
なのに彼は、女性も羨むような滑らかな肌と端整な目鼻立ちを持っていながら、こんな言葉をあっさりと口にする。
「年を取って、味のある役者さんになりたい」というのは他のインタビューでも言ってましたが、普通なら「老化」「劣化」と見なしてしまうだろう皺を、成長の徴、人間的な味として捉えていることに驚愕しました。
若さにしがみつくどころか年を重ねることを楽しんでいる。
時に現状に満足してしまいそうになる自分を叱咤しながら、未来はより輝かしいものだと真っ直ぐに信じて、いつも前を見つめ続けている。
こんな彼はきっと40になっても50になっても、「老化」ではなく「成長」しつづけてゆくのでしょうね。伸びやかな肢体や肌の色艶を失う代わりに、もっと大切なものを身に付けながら。
今の彼よりさらにずっと素敵な、渋い大人になった彼に出会える日が楽しみです
(本当言うと今より素敵な状態というのが想像つきませんが。私にとってはとっくに最高値です)。
ゆっくりと理想の自分へ向かって歩いていってください。今日はその長い旅路の里程標。
お誕生日おめでとう。