『幸福な食卓』で演じた大浦勉学に関して、
「(大浦くんの魅力を)僕は見てるお客さんに伝えなきゃいけないかってのもあるとは思ったんですけど、まず第一に佐和子にとって大浦くんがどんだけこう大切な存在になるかってことが大事だと思ったんで」。
この作品の主人公は佐和子であり、物語はほぼ完全に佐和子の視点で描かれている。だから大浦くんというキャラクターもあくまで「佐和子の目に映る大浦勉学」なのですよね。
佐和子の知らない大浦くんの一面というのも確実に存在しているはずですが(たとえば「崩壊してる」家族といるとき、大浦くんはどんな表情をしているのか)、それは佐和子視点である以上描かれない。
主人公に視点を固定するのは一人称「私」の語り形式の小説では何ら難はないですが、映像だと観客の目に直接生身の役者が見えるわけで、視点となるべきキャラを通さず情報を受け取る形になるのでどうしても視点が三人称的になってしまう。何せ視点となるべきキャラも脇のキャラと同じように画面に映ってるわけですから。
しかしこの映画は極力原作同様に佐和子の目線に寄り添おうとしていた。そして勝地くんは『幸福な食卓』という作品があくまで「佐和子の物語」であることをきっちり理解したうえで、「佐和子にとっての大浦くん」を演じようとしていた。
そんな彼の姿勢が大浦くんをあそこまで嫌味なく愛すべきキャラたらしめた(恋する少女の目に映る彼氏はアバタもエクボで実体以上の素敵っぷりなはず)ように思います。
比較する意味でついでに書くと、一方の『ソウルトレイン』でも終始勝地くん演じる主人公・須藤の視点で話が進む。
『幸福な食卓』同様、視点となるべき須藤くんも画面に映ってるわけですが、膨大な量のモノローグ(実質ナレーション)が須藤の視点を補強し、時にはカメラが須藤の目線そのままを追っていることもあって、『幸福な食卓』以上に視点はきっちり固定されている。
主人公の妄想でストーリーが回ってゆく展開のため、まわりのキャラクターも須藤の目に映る彼であり彼女であることに徹していました(ワンシーンのみ意識的になされた例外があります。くわしくは『ピクトアップ』(3)を参照)。
結果としてあんまり「いい人」が出てこないわけなんですが(笑)。
ついで『ソウルトレイン』に関して。このインタビューに限らず勝地くんが須藤について語った言葉を見聞きしてると、彼にとってこの作品はほとんどファンタジーの世界だったようですね。そのくらいの別世界。
『ソウルトレイン』を鑑賞して深い共感を覚えた男性がこの番組を見たら「所詮こいつもあっちの世界の人間か」とかがっかりしちゃったりして。
「自分がこの仕事と出会ってなかったら」どうしてただろうかとイメージを働かせて須藤のキャラクターをつかんでいったそうですが、まあもし俳優になってなくても彼が須藤みたいな生活をしてた可能性はゼロに等しいでしょうね。
フリーターはともかくモテないわけないですもん(現在発売中の『ザ・テレビジョン』1月25日号のミニインタビューで「モテない」旨の発言をしてますが、絶対謙遜でしょ)。
これまでも幅広い役柄を演じてきた勝地くんではありますが、「見るからにモテなそう」、格好良かったらNGという役は今のところ唯一無二なのでは?(なぜかはっきり美形設定な役もやってないですけど)
その意味では時代劇の若侍や、ともすれば女の子キャラよりもかけ離れた役どころ。外見的な制約がある中、よくあれだけ演じきったものだと思います。
なので、「(25歳フリーターの須藤をイメージするにあたって)自分が今の実質年齢より過去に遡るだけでなく、また未来を見なきゃいけなくて、すごく楽しかったですね。」という言葉にちょっと驚きました。てっきり「すごく大変でした」と続くのかと思っていたので。
そのあとに「年上を演じるってかなり大変なことだとは思ったんですけど」とも言ってましたが(昔から実年齢より上の役が多い気がしますが)、「楽しかった」という言葉が先に出てくるあたりが頼もしいです。
しばしば書いてることですが、試行錯誤の大変さも含めて、彼は演じることが本当に好きなんだなあと改めて思いました。
最後に「自身のイメージ」について。
つい先日『演劇ぶっく』2008年1月発売号での長谷川博己さんとの対談を読んだときも思いましたが、彼はよくこれだけ「自分が足りない部分」を見つけてくるな、と(笑)。単に謙遜して言ってるのではない切実なものが言葉に篭っています。
ここでは比較的「普通の人」を演じることが少なかった彼が、普通人の日常を演じることの難しさ、自分が20年間生きてきたにもかかわらず自身の生活経験・感情をちゃんとストックできていないことへの反省と危機感を語ってます。
本人はそう言うものの、バラエティーやトーク番組などで朗らかによく笑い、時には涙を流し、くるくると表情を変える彼を見る限り、人一倍豊かな感情の持ち主のように思えるのですが。プライベートでも映画を見ては泣き音楽を聴いては泣いてるようですし。
そしてそうした感情の豊かさはちゃんと役柄に反映されてるように感じます。
泣き、怒りなど感情の起伏の激しい芝居は言うまでもなく、むしろ日常のささやかな場面を演じるとき、大げさにもならず棒演技にもならず、言葉での説明が難しいほどの微妙な表情の変化で感情の細やかな動きを表現するのは彼の得意分野じゃないかと思うんですが、本人的にはまだまだ、なんでしょうね。
この向上心あればこそ現在の若手演技派俳優としての彼がいる。そしてこれからも成長し続けてゆくのでしょう。先行き楽しみです♪