2008年10月に3回連続企画として放送されたドラマシリーズの第一回。シンガーソングライター・竹内まりやさんのデビュー30周年を記念して、彼女の歌の世界のイメージでそれぞれ20代、30代、40代の女性を主人公とした恋愛ドラマが企画された中の20代女性編にあたります。勝地くんはヒロイン・さくらの相手役・笹倉祐樹を演じています。
この時期、勝地くんは7月放映開始の連続ドラマ『四つの嘘』、8月放映開始(全6回)のドラマ『キャットストリート』、そしてこの『カムフラージュ』とテレビドラマに連投していて(あとNHK大河ドラマ『篤姫』にもごくたまに出演していました)、時期が近いだけに長めの髪型含めたビジュアルはどれもそう変わらなかった(やはり同年10月放映開始の連続ドラマ『小児救命』では短髪でしたが)――はずなんですが、不思議なほどに印象が違う。
キャラ的にも『四つの嘘』の英児は野性的で荒々しい性格のボクサー、『キャットストリート』の浩一はクールで無口なコンピューターマニア、そして今作の祐樹は職業設定はSEですが、コンピューター関連の知識を披露する場面よりもっぱらさくらを思いやり精神的にケアする場面の目立つ、穏やかな優しさとちょっと夢見がちな空気を纏った柔らかな青年と全然違ってるんですが、勝地くんは表情から雰囲気から見事にキャラに応じて演じわけていて、同じ顔のはずなのにそう感じさせない、それぞれのキャラクターをリアリティをもって立ち上げていました。
初めて見た頃は若干祐樹の行動に疑問(後述)を感じはするものの、総体としてはさわやかでメルヘンタッチの可愛い話という印象を持っていたんですが、今回これを書くために詳細に見直してみたら結構ドロドロ。特にヒロインさくらの見えざる心の闇に痛ましいようなちょっと怖いような感覚を覚えました。
さくらはいわゆる不思議ちゃんキャラというか「見てのとおり光合成」「さくらの森へようこそー」など“それ、どうなの?”的言動が少なくない(番組公式サイトのコメントによると、さくら役加藤ローサちゃんもこうしたさくらを自然に演じるのが難しく「「わざとらしい演技になっていないかなぁ」(笑)と、気にしたこともありました」とのこと。ローサちゃんのほんわかした夢見るような雰囲気と風貌はさくら役のそうした部分を可愛く見せるのに大いに貢献していたと思います)。
けれどその内面を探ると単に不思議ちゃん、恋人の言動に傷ついてる、では済まない幼少期から積み重ねられた「歪み」が浮かびあがってくる。そんなさくらを筆頭に、周作にもその手前勝手な考え方にむかついたり、百合の計算高さとそこまでする男へのはまりっぷりが恐ろしかったり、本放送の時は軽く見積もってた部分が重く生々しくのしかかってくるようでした。
その中でも一番の問題児が祐樹。浮気性の周作と対比的に、さくらのことをちゃんと見てくれる心優しい誠実な青年という立ち位置の祐樹ですが、その実遠距離恋愛中の彼女とさくらを体よく二股かけてやしないかとは初見から感じていました。さくらのそばにあまりにも的確なタイミングでたびたび現れるのもストーカー一歩手前(さくらが気味悪がってないからいいけれど、もっと過敏な子の視点で見たなら十分ストーカーの枠内に入る)みたいだし。
今回見返してみて、祐樹がラストの告白シーンに至るまで恋人あおいとの関係を清算していない(「あおいとは気持ちはつながってなかったんだ」というだけでちゃんと別れたとは言っていない)のが改めて気になってしまった。この先ちゃんと別れる予定ではいるんでしょうが、さくらの気持ちをちゃんと確かめて恋人同士になるまではキープしとこうという意図が見え隠れしてるというか。
そもそも「気持ちはつながってなかったと」いうのは祐樹の一方的な言い分で、あおいの方は変わらず彼を想っているのかもしれない。少なくとも頻繁に国際電話を、それも自分から(通常相手の気持ちを確かめる意味も含めて男の方からかけさせる女が多いと思われる)かけているというだけで、あおいが彼と別れる気はない、繋がっていたいと思っているのは間違いないでしょう。
毎日(たぶん)電話で話してる祐樹はそれを承知のうえで他の女に心を移し、さらにそれを隠してあおいとも続いていたわけですから(なかなか別れられなかったのを彼の優しさの表れと解釈するにしても)、一見したイメージほど誠実な男とは到底言えないでしょう。
さくらと付き合えるかもわからないうちにあおいと別れるのはもったいないと考えてしまうのはまあ普通にありがちなズルさであって、声高に責めるほどのことではないのですが、さくらのことを好きになった、あおいから完全に心が離れた時点で、さくらに彼氏がいようとそのため彼女と付き合える見込みが薄かろうと、「悪いけど他に好きな人ができたから」とちゃんとあおいに告げてフリーになってこそ、さくらに対しても真に誠実な態度というものでしょう。
言うなればさくらは浮気性の男と別れて新しい恋を見つけたものの、その相手も前の女とずるずる続いたまま自分に心変わりするようなそこそこズルい男であるという――実はさりげなくバッドエンドなのかもしれません。
こう見ていくと実は相当生々しい、ドロドロしたお話なんですが、意外なほどそれが前面に出てこない。さくらと祐樹の、公園やさくらの家でのツーショットに代表される微笑ましい可愛らしいやりとりや、公園の緑と観葉植物の生き生きとした色鮮やかさがドロドロを上手に覆い隠してくれています。
さらに、さくらが羽根に埋もれて床に寝ているシーン、(2)で詳述する職場での鏡の使い方などはっと目を瞠るような絵的に綺麗な画面や凝った構図・演出、さくらの部屋の小道具なども作品全体の空気をおしゃれに彩る効果をあげている。むしろストーリーの持つ生々しさを和らげる目的で、絵的におしゃれ感・さわやか感を積極的に打ち出しているんじゃないかという気もします。
キャラ的にも上で書いたようにローサちゃんの容姿や雰囲気がさくらを“変な子”“いかにも心に闇を抱えた女の子”にしなかったように、多分に問題ある祐樹をとことん優しく、繊細な感受性を持ったさわやかで誠実な若者と感じさせたのは、祐樹の醸し出す穏やかで優しい空気――目の光や柔らかな表情でそれを表現できる勝地くんの演技力に負うところ大だと思います。
正直あまりストーリーを深読みせずに前面に表れた絵的な美しさ、さくらと祐樹の可愛らしくもちょっともどかしい初々しい恋愛模様を素直に楽しむのが一番いいんじゃないでしょうか。これだけいろいろ書いておいてあれですけど(笑)。
この時期、勝地くんは7月放映開始の連続ドラマ『四つの嘘』、8月放映開始(全6回)のドラマ『キャットストリート』、そしてこの『カムフラージュ』とテレビドラマに連投していて(あとNHK大河ドラマ『篤姫』にもごくたまに出演していました)、時期が近いだけに長めの髪型含めたビジュアルはどれもそう変わらなかった(やはり同年10月放映開始の連続ドラマ『小児救命』では短髪でしたが)――はずなんですが、不思議なほどに印象が違う。
キャラ的にも『四つの嘘』の英児は野性的で荒々しい性格のボクサー、『キャットストリート』の浩一はクールで無口なコンピューターマニア、そして今作の祐樹は職業設定はSEですが、コンピューター関連の知識を披露する場面よりもっぱらさくらを思いやり精神的にケアする場面の目立つ、穏やかな優しさとちょっと夢見がちな空気を纏った柔らかな青年と全然違ってるんですが、勝地くんは表情から雰囲気から見事にキャラに応じて演じわけていて、同じ顔のはずなのにそう感じさせない、それぞれのキャラクターをリアリティをもって立ち上げていました。
初めて見た頃は若干祐樹の行動に疑問(後述)を感じはするものの、総体としてはさわやかでメルヘンタッチの可愛い話という印象を持っていたんですが、今回これを書くために詳細に見直してみたら結構ドロドロ。特にヒロインさくらの見えざる心の闇に痛ましいようなちょっと怖いような感覚を覚えました。
さくらはいわゆる不思議ちゃんキャラというか「見てのとおり光合成」「さくらの森へようこそー」など“それ、どうなの?”的言動が少なくない(番組公式サイトのコメントによると、さくら役加藤ローサちゃんもこうしたさくらを自然に演じるのが難しく「「わざとらしい演技になっていないかなぁ」(笑)と、気にしたこともありました」とのこと。ローサちゃんのほんわかした夢見るような雰囲気と風貌はさくら役のそうした部分を可愛く見せるのに大いに貢献していたと思います)。
けれどその内面を探ると単に不思議ちゃん、恋人の言動に傷ついてる、では済まない幼少期から積み重ねられた「歪み」が浮かびあがってくる。そんなさくらを筆頭に、周作にもその手前勝手な考え方にむかついたり、百合の計算高さとそこまでする男へのはまりっぷりが恐ろしかったり、本放送の時は軽く見積もってた部分が重く生々しくのしかかってくるようでした。
その中でも一番の問題児が祐樹。浮気性の周作と対比的に、さくらのことをちゃんと見てくれる心優しい誠実な青年という立ち位置の祐樹ですが、その実遠距離恋愛中の彼女とさくらを体よく二股かけてやしないかとは初見から感じていました。さくらのそばにあまりにも的確なタイミングでたびたび現れるのもストーカー一歩手前(さくらが気味悪がってないからいいけれど、もっと過敏な子の視点で見たなら十分ストーカーの枠内に入る)みたいだし。
今回見返してみて、祐樹がラストの告白シーンに至るまで恋人あおいとの関係を清算していない(「あおいとは気持ちはつながってなかったんだ」というだけでちゃんと別れたとは言っていない)のが改めて気になってしまった。この先ちゃんと別れる予定ではいるんでしょうが、さくらの気持ちをちゃんと確かめて恋人同士になるまではキープしとこうという意図が見え隠れしてるというか。
そもそも「気持ちはつながってなかったと」いうのは祐樹の一方的な言い分で、あおいの方は変わらず彼を想っているのかもしれない。少なくとも頻繁に国際電話を、それも自分から(通常相手の気持ちを確かめる意味も含めて男の方からかけさせる女が多いと思われる)かけているというだけで、あおいが彼と別れる気はない、繋がっていたいと思っているのは間違いないでしょう。
毎日(たぶん)電話で話してる祐樹はそれを承知のうえで他の女に心を移し、さらにそれを隠してあおいとも続いていたわけですから(なかなか別れられなかったのを彼の優しさの表れと解釈するにしても)、一見したイメージほど誠実な男とは到底言えないでしょう。
さくらと付き合えるかもわからないうちにあおいと別れるのはもったいないと考えてしまうのはまあ普通にありがちなズルさであって、声高に責めるほどのことではないのですが、さくらのことを好きになった、あおいから完全に心が離れた時点で、さくらに彼氏がいようとそのため彼女と付き合える見込みが薄かろうと、「悪いけど他に好きな人ができたから」とちゃんとあおいに告げてフリーになってこそ、さくらに対しても真に誠実な態度というものでしょう。
言うなればさくらは浮気性の男と別れて新しい恋を見つけたものの、その相手も前の女とずるずる続いたまま自分に心変わりするようなそこそこズルい男であるという――実はさりげなくバッドエンドなのかもしれません。
こう見ていくと実は相当生々しい、ドロドロしたお話なんですが、意外なほどそれが前面に出てこない。さくらと祐樹の、公園やさくらの家でのツーショットに代表される微笑ましい可愛らしいやりとりや、公園の緑と観葉植物の生き生きとした色鮮やかさがドロドロを上手に覆い隠してくれています。
さらに、さくらが羽根に埋もれて床に寝ているシーン、(2)で詳述する職場での鏡の使い方などはっと目を瞠るような絵的に綺麗な画面や凝った構図・演出、さくらの部屋の小道具なども作品全体の空気をおしゃれに彩る効果をあげている。むしろストーリーの持つ生々しさを和らげる目的で、絵的におしゃれ感・さわやか感を積極的に打ち出しているんじゃないかという気もします。
キャラ的にも上で書いたようにローサちゃんの容姿や雰囲気がさくらを“変な子”“いかにも心に闇を抱えた女の子”にしなかったように、多分に問題ある祐樹をとことん優しく、繊細な感受性を持ったさわやかで誠実な若者と感じさせたのは、祐樹の醸し出す穏やかで優しい空気――目の光や柔らかな表情でそれを表現できる勝地くんの演技力に負うところ大だと思います。
正直あまりストーリーを深読みせずに前面に表れた絵的な美しさ、さくらと祐樹の可愛らしくもちょっともどかしい初々しい恋愛模様を素直に楽しむのが一番いいんじゃないでしょうか。これだけいろいろ書いておいてあれですけど(笑)。