goo blog サービス終了のお知らせ 

about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『ムサシ』(3)-3(注・ネタバレしてます)

2016-11-14 00:54:28 | ムサシ
ここでまた蒸し返すのだが、自己本位の生き方をやめて他人のために働こうとすることと、剣客として生きることとは並び立たないものだろうか。
武蔵と小次郎、日本一を競いあうほどの剣の技量の持ち主がその腕を腐らせるのはいかにももったいない。むしろその腕を弱い人々のために用いることの方が、慣れない農作業よりもよほど人の役に立てるのではないか。たとえば人々の生活と命を脅かす無道な盗賊を叩き斬るとか。
つまりは〈一人を殺すことによって万人を救う〉、柳生新陰流の活人剣の思想である。

(3)-2で述べたように、彼らはもともと剣を持つ者はその腕を弱い者のために役立てるべきだという思想を持っていた。二人に責められた宗矩は「目の前の事実を振りかざして膝詰めでこられると、ちょっと弱いのです。つまり、「争いごと無用」は、いわば追い求めるべき理想であって、天下万民の法としてはまだ完成の途上にあるのでな・・・・・・」と尻すぼみにならざるを得なかった。
その宗矩が、乙女が「恨みを断ち切っ」て父親の仇討ちを放棄した後に、沢庵の話を受ける形で「争いごと無用」の唯一の例外として「一人を殺すことで万人が救われるときは、殺すのが正義としている」と活人剣について説明する。

この「一人を殺すことで万人が救われる」ことを正義とする思想は、『イーハトーボの劇列車』(初演1980年)にもキャラクターの台詞のうちに登場してくる。
「ぼくはこれでも三菱商事の切れ者で通っているんだ。来月からは満鉄へ出向することにもなっている。ここだけの話だけれども、関東軍の石原莞爾作戦主任参謀と組んで満州に一大ユートピアをつくろうというわけだ。ちかぢか満州はわが帝国の手引きで独立するんじゃないかな。(中略)立正護国会の指導者のあの井上日召も、それからいま、陸軍の青年将校たちに圧倒的な人気のある北一輝という思想家も、ともに日蓮宗なんだ。(中略)両先生は、「いま、国は、財閥や政府高官のよこしまな私利私欲によって、誤った方向へ流されつつある」という答をお出しになっている。さて、この誤りを、どう正すのか。両先生曰く、「それは法剣によってのみ可能である」。わかるかい、法の剣だぜ。仏法の剣によって私利私欲をむさぼる奴等を倒す。一殺多生。一個の悪を殺して大勢を生かす」(※20)
日蓮宗の僧侶だった井上日召は「血盟団」を結成し、「一殺多生」「一人一殺」を唱えて〈私利私欲のために国と民を軽んじる極悪人〉と見なした政財界の要人たちの連続暗殺(血盟団事件)を企てた人物である。北一輝は国家社会主義(社会主義と国家主義の両面を併せ持つ)的思想家で、「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げて二・二六事件を起こした将校たちの思想的基盤となった人物。つまり両者ともテロリストの思想的主導者といってよい。
そして日蓮宗の一派である国柱会(宮沢賢治も会員だった)に所属していた石原莞爾は台詞のとおりに「満州に一大ユートピア」、王道楽土を建設すべく満州事変を引き起こした。
彼らは─少なくともその思想を奉じて実際に「一殺」を実行した末端の人間の多くは、本気で自分は世直しのため正義の剣を振るっているのだと信じていただろう。しかしそれは視点を替えれば狂信に基づく殺人であり侵略行為となる。「一殺多生」の理念は容易にテロリズムに結びついてしまうのだ(※Ⅰ)

ならば視点を替えることで善悪の立場がひっくり返る可能性のある案件は避け、上であげたような無道な盗賊の退治、乙女のように親を闇討ちされた非力な女性の仇討ちへの助力など、国や時代を問わず万人が善と見做すようなケースにおいてのみ「一殺多生」を認めるべきか。
ただこれだって完全な加害者と思われた側にも相応の事情があるかもしれず、完全な被害者と思われた側にも恨まれる理由があったり、被害の申し立てに誤解や虚偽があったりするかもしれない。
実際乙女の話は全くの嘘だった。正義の剣を振るったつもりで、かえって悪を助ける可能性もあるわけである。

だからこそ柳生新陰流では「活人剣をふるうときは、まず己れの心の中にある三つの毒を殺す」という制約を設けることで、「一殺多生」が濫用されることを避けようとしている(これは実際には(2)の※24で書いたように柳生新陰流の教えというわけではないようだが)。
三毒のうちには「愚かなこと」も含まれているから、〈被害者〉の虚偽の訴えに動かされるような愚か者は理屈からいけばここではねられるわけである。武蔵などお通たち彼を慕う女を受け入れなかったから愚かだと、ごくプライベートな問題を三毒を断ってない証拠として小次郎にあげつらわれていたのは※13で述べたとおりだ。
しかし本当に〈三毒を殺した〉かどうかを客観的に判断するすべはなく、結局は活人剣を振るおうとする者たちの自己申告に委ねられるというのでは何の抑止力にもなるまい。
己の内の三毒を殺さない限り正義の剣といえど振るってはダメだと言われて素直に三毒を殺すべく禅病─ノイローゼになるまで思い詰めるような人間がいたなら、その人物はその時点ですでに十分聖人君子=剣を抜く資格があると思うが、ノイローゼにかかった彼らには本来の目的だった正義の剣をふるうことはもはや叶うまい。
皮肉にも真面目に三毒を断とうとした人間ほど刀を抜けず、端から自分の正義を信じて疑わない(内なる三毒の存在を自覚していない)、あるいは正義を信じているふりして私欲のために乱を起こそうとする人間は変わらずテロに走るわけである。
ならばもう刀を抜くことを法で制限するか、活人剣の思想を幼時から徹底的に刷り込むか(要はマインドコントロール)、いっそのこと刀自体取り上げるかした方が有効だろう。

(3)-1で書いたように『ムサシ』には日本国憲法第九条の精神が読み込まれている。
「ここに父親を騙し討ちにされた女がいる」「困っている人に、ささやかにであっても手をかす。それが剣を持つ者のつとめでないか」に先立って武蔵と小次郎が口にする「なぜ、武士に太刀を帯びることを許しておいでなのですか」「それはつまり、万一の場合には、抜いてもよいということではありませんか」という言葉はしたがって、〈日本には自衛隊があるのだから、有事の際には軍事行動を行ってもよい〉という主張に容易に変換しうる。
以降の武蔵と小次郎の主張も、『ムサシ』を語るうえでよく引き合いに出される9.11以降の世界情勢(※21)(※22)(※23)になぞらえるなら、〈同時多発テロによって国民を殺傷されたアメリカがその恨みを晴らそうとするのに、自衛隊が協力するのは武力を持つものの努めである〉という話になるだろう。暴虐なテロリストを叩き潰すのは国際的正義であり、まさに一殺多生、活人剣の趣旨に叶っていると。
そうしてアメリカが中心となって〈正義〉を実践した結果が※21~23の文章が指摘するところの「世界を覆う暴力の連鎖」「暴力的報復の連鎖」である。
「一殺多生」の理念はテロリストにもテロリストを討伐する側にも利用され、「憎しみの連鎖」を生み出してしまう、ゆえに否定されるべきだ、というのが『ムサシ』の意図するところである(ように見える)。
活人剣を振るうか否かが活人剣を使用しようとする者一人一人の良心、彼らが自ら三毒を断つことに委ねられるのに対し、現代日本においては自発的良心に代わって憲法第九条が活人剣を振るう上での抑止力となるわけだ。そうなると、〈困ってる人、苦しんでる人を見ないふりしなさいというのが日本国憲法ですか〉という話になるわけだが・・・。
(〈活人剣を振るうためにはまず己の三毒を斬る〉はさしずめ〈自衛隊が軍事行動を行うに際しては、隊員一人一人から防衛省長官、総理大臣に至るまで全員が、この派兵・この作戦行動が妥当かどうか心の奥底をとことん見つめ問い直す〉といったところか。そして全員ノイローゼに陥る・・・・・・国が崩壊するわな)

井上さんは、「まずテロリストたちを地球上から消すには、遠い道を行くようだが、アラーの神を信じる人びとに、イスラム世界といえど、その他の世界に背を向けては生きて行けないことを知ってもらうのが第一。これをその他の世界から云えば、彼らの暮らしを豊かにしてあげて、国際社会の中でみんなと一緒に生きることの愉快さを知らしめる努力をすること、それがなによりも大事だ。第二にアメリカにはその独歩主義を改めてもらうこと。平和ボケの理想論を云ってやがるという批判は甘んじて受けよう。しかし、この小さな水惑星の上では、おたがいに折り合いをつけていくしか生き方はないのだ。そのことを両者によく知ってもらいたい。」と書いている(※24)
本人もいうように甚だ迂遠な話であり、現に目の前で起きている殺戮にどう対処するというのか。これはあくまで武蔵と小次郎に責められて「「争いごと無用」は、いわば追い求めるべき理想であって、天下万民の法としてはまだ完成の途上にあるのでな・・・・・・」と小さくならざるを得なかった宗矩と同じ「追い求めるべき理想」の域であろう。
しかしいかに「平和ボケの理想論」と思えても、それを実現することでしか人類が生き延びる道がないのだとすると(自分たちさえよければ他の国は全部滅んでも構わないという立場を取るならまた別だろうが)、どれほど遠い道であろうとも歩いていくしかない。
そのためにはどうすればいいのか。そのための思考実験として、日本人にとって兵法家の代表であり、日本人の代表でもある(※5参照)武蔵にあの手この手を尽くして剣を捨てさせる顛末を描こうとしたのではないだろうか。
※15で引いたように製作発表記者会見の時点でさえ構想がまるでできていなかったにもかかわらず、武蔵と小次郎を「戦わせちゃだめだということだけはわかっていた」。
最初の企画から長い時間が経つ中で、井上さんの中でも書こうとする話の筋が二転三転したらしい(※25)のに、作品を通じて「戦わない武蔵」像を生み出すという一点はぶれることがなかった(※26)

井上さんが『ムサシ』に次いで書いた、結果的に遺作となった戯曲『組曲虐殺』は昭和初期に活躍したプロレタリア作家・小林多喜二を主人公とした物語である。
井上さんが、獄中で苛烈な拷問によって命を落とした多喜二にやはり労働運動の活動家で特高による拷問が原因で亡くなった父親を重ねていたことは、井上さん自身を含め方々で言及されている(※27)(※28)(※29)
この戯曲の中に、多喜二を捕らえにきた特高警察の二人組にピストルを向けた内妻・ふじ子を多喜二が諭す場面がある。
「ふじ子、ピストルはいけないよ。(中略)たがいの生命を大事にしない思想など、思想と呼ぶに価いしません。」「ぼくたち人間はだれでもみんな生まれながらにパンに対する権利を持っている。けれどもぼくたちが現にパンを持っていないのは、だれかがパンをくすねているからだ。それでは、そのくすねている連中の手口を、言葉の力ではっきりさせよう・・・・・・ぼくもきみも、そして心ある同志たちも、ただそれだけでがんばっているのじゃなかったか。ふじ子、ぼくの思想に、人殺し道具の出る幕はありません。」(※30)
特高警察に逮捕されようとしているのに、逮捕されれば今度こそ生きて戻れるかもわからないのに(事実獄死することとなった)、暴力で対抗することをせずあくまで言葉の力で戦おうとした。この多喜二の在り様を通して、武力を用いずに敵を消滅させる─敵対関係を解消して仲間とすることが可能かどうかを、井上さんは『ムサシ』につづく思考実験として描き出したのだと思う。
そして父を拷問して死に至らしめた特高警察は井上さんにとっては親の仇といっていい存在のはずだが、この作品に登場する特高二人、古橋と山本は決して悪人ではなくむしろ人情味ある人物として描き出されている。
年少で自らも小説を書く山本など、多喜二に感化されてその遺志を継ぐかのように全国交番巡査組合を作るための運動を起こすに至る。特高を〈いい人〉として描いた井上さんはこの時点で親の仇に対する恨みは捨てているのだ。
古橋が「このまま行くと、地獄へ行くことになるぞォー。」と叫ぶように山本の前途は実に危うい。おそらく彼の運動は実ることなく、今度は彼が投獄され獄死することになったかもしれない。しかし彼の志もまた誰かが(古橋が?)きっと引き継いでいく(※31)(※32)
武器を取らずして皆が豊かに共に生きられる世界を作る─理想の実現は甚だしく困難である。もとより十年二十年で叶うことではない、何百年かかっても達成できないかもしれない、それでも「あとにつづくものを 信じて走れ」(※19参照)。それが井上さん晩年のメッセージだったんじゃないだろうか。



※20-『イーハトーボの劇列車』(『井上ひさし全芝居 その三』、新潮社、1984年)

※Ⅰ-「東北は飢饉で、兵隊さんたちの故郷はひどい状態になっている。やっぱり資本家が悪い、財閥が悪いというので、昭和一けた代にはいろんなテロ、クーデターが起こりますが、その中には国柱会の会員が多いのです。つまり人が一人死ぬことによって、ほかの人が助かるというのが、国柱会の根本思想の一つです。暗殺事件は一殺多生というのを拡大解釈したものです。」(井上ひさし『講演 賢治の世界』、井上ひさし・こまつ座編著『宮澤賢治に聞く』(文春文庫、2002年))

※21-「フツーの人々のかけがえのない生を言祝ぐことが、恨みの鎖につながれた者の決闘を阻むのだとしたら、『ムサシ』は戦争小説『宮本武蔵』を深くくぐりぬけ集団の戦いのみならず個人の戦い、その精神主義的な戦いの境地(「精神の剣」)までも不可能ならしめた。 恨みと恨みが連鎖し、暴力と暴力とが連鎖して、九・一一事件以後、アフガン戦争、イラク戦争をへたのちも、各地でつづく「新しい戦争」。 この忌まわしい時代に、『ムサシ』は、おなじみの時代ものをステージとして「日本人」の薄暗い伝統にまでさかのぼり、「戦さと恨みの鎖」を断つ亡霊たちの生の賛歌と「ありがとう」の言葉を響かせた。『ムサシ』はいままでにない、そして、いまこそ求められる戦争時代ものの傑作といってよい。」(高橋敏夫『むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく・・・・・・ 井上ひさし 希望としての笑い』(角川新書、2010年)

※22-「現に世界を覆う暴力の連鎖が、ニューヨークの9・11に始まりました。そこから始まったブッシュの復讐、これは復讐ですから、戦争ですらないのです。戦争ならば、戦時国際法、国際人道法 humanitarian lawをお互いに、厳密に守ったことは今まで例がないにしても、とにかく守ろうとしなければいけません。しかしビン・ラーディンの殺害に、アメリカの善良な市民たちが一斉に喝采しました。これは、9・11のときに、パレスチナやアラブの諸国で人々が喝采したのと同じことを、一〇年後のアメリカの善良な市民たちがしているということです。そういうふうに現に世界を覆い続けている暴力の連鎖を、どうやって止められるか。いや、止めなくてはいけないということが『ムサシ』の主題です。これは憲法で言えば、もちろん第九条の問題です。」(樋口陽一「ある劇作家・小説作家と共に〈憲法〉を考える─井上ひさし『吉里吉里人』から『ムサシ』まで─」(井上ひさし・樋口陽一『「日本国憲法」を読み直す』(岩波現代文庫、2014年)収録、初出2013年)

※23-「「ムサシ」が登場するのは、9・11以後「新しい戦争」という暴力的報復の連鎖が世界にひろがり、憲法第九条を「改正」し戦争のできる国家へと押しあげようとする勢力が跳梁する時代である。これはまぎれもなく「現在」の状況だが、ただ「現在」(ママ)おいてのみあらわれた状況ではなく、「決闘好き」「戦好き」「武力での決着好き」としてずっと「日本人」に保持されてきた傾向でもあり、戦後は「日本人」の薄暗い領域で保持されてきた傾向の顕在化といってよい。 井上ひさしは、そんな「日本人」の「決闘好き」「戦好き」を象徴する人物として武人宮本武蔵をとりだし、宮本武蔵から刀と戦をすてさせようと試みたのである。」(高橋敏夫「「日本人」を永く深くとらえる薄暗い領域へ─「ムサシ」、報復の鎖を断つ反暴力の物語」『国文学 解釈と鑑賞957 特集 井上ひさしと世界』(至文堂、2011年2月号)

※24-「あてになる国のつくり方 二」(井上ひさし・生活者大学校講師陣『あてになる国のつくり方 フツー人の誇りと責任』(光文社文庫、2008年)収録。初出は『オール讀物』二〇〇一年十一月号)。なお同書籍収録のコラムと締めの文章を見るかぎり、井上さんは(思想的立場からいって不思議ではないが)同時多発テロでアメリカが受けた打撃について大分冷やかです。(「胸の内では、「一晩で市民を十万人も焼死させ(東京下町大空襲)、一瞬のうちに九万人(ヒロシマ)、七万人(ナガサキ)を生きながら焦熱地獄に突き落としておきながら、なにをバタバタ騒いでいるのだろう。原爆死没者は今年の八月で三十六万人にも達して、来年もまた原爆死没者が数千をかぞえるはず。つまりあの二発の原子爆弾はいまも静かに爆発を続けている。けれども、日本人はあなた方のそういう非人道的行為に報復しようとしただろうか。報復など考えずに、二度とそういうことが起こらないようにただただ静かに祈り続けている。少しは日本人を見習ったらどうか。思うに米国人は、『こんなひどいことが米国で起こってはならない。米国以外の国で起こるのはちっとも構わないが・・・・・・』と金切り声をあげているようにも見えるが、ちょっと手前勝手ではないのか」と切なく叫んでいるのですが、これを云ってはおしまいです。なによりも三千余人の犠牲者の方々に申しわけがないし、だいたいが人間にとってなによりも大切な生存権を侵すような手段にはぜったいに賛成できない。(中略)ちなみに、米軍の誤爆でアフガニスタンの市民が何人犠牲になったか、それをマーク・ヘロルド教授(米ニューハンプシャー大)が試算していて、その報告書によれば昨年十二月六日の時点で、少なくとも三千七百六十七人が誤爆で亡くなっているということです。」(「あてになる国のつくり方 一」(初出は『オール讀物』二〇〇二年十月号)、「アメリカは今、ミサイル防衛システムの早期配備構想を打ち出しています。そういうこともあって、国連人権委員会は、アメリカをならず者国家というふうに判断しています。ですから、二〇〇一年の五月三日に開かれた国連人権委員会では、強大国のアメリカが人権委員会に選ばれていません。「ならず者国家は、国連人権委員会に入る資格はない」という思い切った決定をして、アメリカを人権委員会から外したのですね。国連分担金の払いも悪い。わたしはそういう状況をみて、アメリカというのは悪い国だと言ってきました。そういう折りも折りの、九月十一日です。 日本の過去にさかのぼっても、五七年前の三月十日の東京下町大空襲では、一晩で一〇万人もの一般人が焼き殺されています。(中略)それから、八月六日の広島、八月九日の長崎への原爆投下です。その日のうちに広島で九万人、長崎で七万人の方が殺されています。同時多発テロをはるかに上回る同じ人間が殺されています。わたしはこのことを忘れていません。やはり驕りたかぶった国というのは罰を受ける。」(「終章 競争か、共生か」)

※25-「次は剣豪の宮本武蔵をやります。以前からやりたかった題材です。武蔵と言うと吉川英治さんの名作のイメージが強いですが、私のは少し違う方向になる予定です。焦点は剣が強い、弱いじゃなくて、隠居した武蔵の穏やかな日々の暮しの中で剣の道の思想を描こうと構想していることころ(ママ)です。」(「アーティストインタビュー 世界8カ国語に翻訳された『父と暮せば』に込める国民作家・井上ひさしの平和への祈り」、http://performingarts.jp/J/art_interview/0710/1.html、2007年)。・・・まあ、『ムサシ』でも決闘三昧の時代を卒業しているという意味で隠居してると言えば言えるか。

※26-「(ミュージカルの『ムサシ』について)この計画は頓挫しているのかに見えたが、二〇〇一年になってからもひさしは「また続けてやります」と話している。ひさしがなぜ「ムサシ」(この主人公はもちろん宮本武蔵である)にこだわるかといえば、どうしたら人間は闘わないですませられるか、というひさしがこれまで延々と考えてきたテーマとまさに通底するものがあるからである。(中略)「剣豪の盛りは三十代前半までといわれています。野球選手でも同じで、どんなすぐれた選手でもいつか若い選手にやられてしまうのです。剣豪は、自らの盛りを過ぎたときから、どうしたら試合をしないですませられるかを考えるようになります。 アメリカで武蔵がなぜ売れたのかということを分析してみると、デカルト風の二者択一の分析主義に手詰まりが生じてきたからなんですね。二十一世紀を考える上で、強いものがいつも強いわけではない、それを上回るものが出てきてひどくやられることもあるだろう。それならば、どうしたら闘わないでコトを収めることができるのか、ということです。今年一杯でもう一度検討し直してみるつもりです」」(桐原良光『井上ひさし伝』、白水社、2001年。カギカッコ内は井上さんの発言)

※27-「小林多喜二と、井上さんが四歳のときに亡くなったお父さんがまったく同世代だったということです。井上さんにとって小林多喜二の死は、父・井上修吉の死と同列のものとして受け止められていたんですね。井上修吉は左翼運動にかかわり、前後三回、検挙され、最後は背中を拷問されて脊髄をやられて死んでしまう。(中略)二人は「戦旗」の読者であるばかりでなく、シンパとして配布もしていた。そしてまた、井上修吉は投稿者でもあったということを初めて知りました。それまで小林多喜二・井上修吉・井上ひさしという三者のフォーカスがうまく結ばなかったのですが、その話を聞いて、ピシャッと結びついたことに、一瞬言葉をなくしました。」(今村忠純+島村輝+成田龍二+小森陽一「座談会 井上ひさしの文学① 言葉に託された歴史感覚」、『すばる 5月号』(集英社、2011年)より今村発言)

※28-「井上ひさしの父・井上修吉氏は、最初に書いたように小林多喜二と同時代に、小説投稿者として何度か入選した人で、特高警察に拷問されて、それが原因で亡くなったそうです。井上は、父の志を受け継いで作家になったと言います。(中略)『組曲虐殺』には、井上ひさしの“父の志と、小林多喜二の仕事を、次の時代に受け渡したい”という想いが、あふれんばかりに詰まっています。」(小田島雄志『井上ひさしの劇ことば』(新日本出版社、2014年)

※29-「小林多喜二には、井上ひさしが幼少のころ亡くなった父、小説を書き戯曲を書きそして青年共産同盟の活動家であった井上修吉がかさねられていること。これは同時期に書き継がれていた未完の長篇小説『一週間』(死後刊行、二〇一〇)の主人公小松修吉からも、明らかである。井上ひさしみずから『組曲虐殺』を「父への鎮魂歌」と語っていたという(NHK教育テレビ「ETV特集 井上ひさしさんが残したメッセージ」)。」「小林多喜二と同世代の左翼活動家で、小説や戯曲も書いた井上修吉、そして多喜二と同じく拷問をうけ、じわじわと「虐殺」されていった修吉、「働く者が主人公の世の中が必ず実現する。そうかたく信じていた」修吉。この井上修吉が、『組曲虐殺』の多喜二にかさねられていたのはたしかだろう。」(高橋敏夫『むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく・・・・・・ 井上ひさし 希望としての笑い』(角川新書、2010年)

※30-『組曲虐殺』(『井上ひさし全芝居 その七』、新潮社、2010年)

※31-「最後の「ヤーマーモートー! このまま行くと、地獄へ行くことになるぞォー」という呼びかけがあります。地獄だけれども、そこに向かってあえて進んで行く人たちが存在したこと、そのことを考えさせる芝居として、井上さんの『組曲虐殺』はあると思うのです。」(今村忠純+島村輝+成田龍二+小森陽一「座談会 井上ひさしの文学① 言葉に託された歴史感覚」、『すばる 5月号』(集英社、2011年)より成田発言)

※32-「考えてみれば、社会変革の希望は多喜二にだけあったのではない。人々がそれぞれの苦しい体験のなかでそだてながらも、はっきりとした言葉にできなかった希望を、多喜二が言葉にかえたのである。そして、絶望におちこもうとする多喜二をふたたび、みたび、希望へとさしむけたのはそんな人々の思いだった。人々のやむにやまれぬ希望は、多喜二に受け渡され、そしてつよい言葉によってきたえあげられた希望は、多喜二から人々へと受け渡される。そんな受け渡しの具体的なあらわれが、「九 唄にはさまれたエピローグ」での、山本と古橋の叫びとなった。(中略)二人の二つの絶叫は、多喜二から受け渡された、絶望をくぐりなお捨てない希望の炸裂である。多喜二と接することで、特高もそれぞれのやり方で変化した。」



11/14追記-(2)-7に※34を追加しました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする