想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

コノマチョウ?~ノーベル賞迄

2015年10月29日 | エッセイ

 コノマチョウではないかと思いますが、正式名は分かりません。羽を開いた所を取りたかったのでのですが、残念ながら、カメラを向けた時には、もう、開きませんでした。撮れただけでも、ラッキーでした。

 昔は昆虫採集といいうのを夏休みになると宿題でやりましたが、今ではカメラで何でも撮れるので、自然にも優しいし便利になりました。

 

 ちょうちょで思い出すのですが、よく子どもの頃はちび蝶といっていましたが、セセリチョウを草のひもで縛って動かして塩からトンボをつったことが目に浮かんで来ます。魚釣りならず、とんぼつりです。あのころが、なつかしいですね。今の子はそんな遊びはしらないでしょう。それから、太いの花穂を揺らしながら蛙をつったことも今となっては楽しい思いでです。
 
 
先日、テレビで昔のことを思い出すことは認知症予防にもいいというようなことを言っていました。過去を振り返らないで前を向くポリシーでしたが、たまには過去に思いもはせることも今後はしたいなと思いました。

 それにしても、とどまることをしらないネット社会の未来はどうなることかと、興味はつきません。やがて、ハードでは、息をするバイオコンピュータの出現も視野に入ってくるのではと思います。

 ハイブリッドという言葉があります。異種接合とやくすらしいのですが、ますます、垣根が無くなって来ています。昔の自動車はメカだけで動いていたわけですが、最近ではデザイン、環境、エレクトロニクス、アメニティなど、色々な要素が絡み合って出来ています。やはり、それも、快適な生活道具ということからの手段の多様性というところでしょうか。益々、境目が無くなって来ている感じがします。

 

 先日は、連日ノーベル賞のことが話題になり、受賞者の経歴も随分現実的になってきたとびっくりした次第です。今迄ですと、ノーベル賞と言えば象牙の塔の中で理論を研究していた人が受賞していたことが当たり前でしたのに、今回のノーベル生理学・医学賞では大村先生が受賞され、ビジネスでも活躍されていると聞いてびっくりしました。

  結構、昔はあの人は理系だ文系だとステレオタイプ的に人を評価していた人がいましたが、大村さんを見ていて、やはり文系理系の別は無いんだなと我が意を強くした次第です。

 困った人がそこにいれば、どうアプローチしてもいいわけですし、人間の生身の生活に文系も理系無いわけですから、助ける為にどう、方法を考えるかが大事です。

 そのことを実践してきた素晴らしい方の受賞は、まさに今後の学生の生き方にも大いに影響を及ぼして来るのだろうと推察されます。私も大村智先生の生きた方にはすごく共感できました。今後も多いに御活躍して欲しいです。

 

 日本にとって、とっても明るい今回のノーベル賞だったと思います。土の中の微生物を発見という初歩的なところから先生の壮大な構想をとおして、人類に貢献する素晴らしい快挙となりました。久々の満塁HRと言うところでしょう。

 今後の日本の教育も各人の良さを多いに認めてその個性を十分に発揮させていく方向に行ってほしいです。学校では優等生でも社会ではだめでは何の為の教育かわかりません。

 特に今迄、不足していた考え方は、決められたパイの中での適応力ばかり求めていたように思います。今後はそのパイを打ち破ってゆく自主性溢れた人材の育成が大事です。起業家も育てるようにしないといけません。

 

 

コノマチョウ?

おきてがみ

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