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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

旬から想うこと

2010年05月15日 | インポート

  旬の意味を調べてみたら

 魚介類や蔬菜(そさい)・果物などの、最も味のよい出盛りの時期。「―の魚」「たけのこの―」 物事を行うのに最も適した時期

と、辞書に載っていた。
 
  最近、この言葉も昔ほど、聞かれなくなったきた。旬がなくなってきたせいではないか。自然より離れ人間が自己中になってきたこととも関連していると思う。前回、稲作も年々早く栽培が行われるようになり、レンゲソウの緑肥も必要がなくなってきたようなことを述べたと思う。それにより、自然界の一員である人間が益々横暴になり、自己中に走ってきているように思う。残念なのはそのことに気づいている人間がすくないことだ。
  
米も何もそんなに急いで、早く植えることはないのではないか。自然の流れの中でゆっくり動植物や天地自然と協力して昔のように11月頃実りの秋を迎えるようにしたらどうかと思う。優しさやゆとりや空間やファージーなほのぼのとして部分が、何でもかんでも、効率や生産性のもとに切り捨てられてきた結果をゆゆしく思う。
 その点タケノコという食材があるが、これは温室や畑でできないため、いわゆる自然体でできるので、旬がはっきりしている食材だと思う。
  アレルギーが増えた、ストレスやいらいらが目立つ今日、もっと、自然に目を向けていかないと取り返しのつかないものになっていってしまう危険性がある。

 私たちの地域にもコミュニティセンターができたが、この活動についても、今後考えて行かなくてはならない問題がある。人と人とのコミュニティでいいのだろうかという問題である。人は自然の一員である。ならば、今後の活動の中に人と環境や自然との関わりを入れる。これも、大きくコミュニティの問題である。この辺にも目配せをしていかないと、真のコミュニティは生まれないと思う。幸い周りには水田があり、色々な動植物が生存している。これらのものとのコミュニティも考えながら進めて行く必要性を最近感じることが多くなった。人間だけで生きているのではない、自然や周りの環境と共に人間も生活しているのだから、それらとどう折り合いをつけていくかは最も大事な部分であろう。

 今後も、折りに振れこの辺のことを考えていこうと思う。

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