コロナ3年5月28日(ウクライナ侵攻元年)
高齢者にとって健康は最大の関心事であります。特に最大の課題が認知症問題です。認知症になるには、その前にMCIといわれる前段階を通ります。まれに、脳血管が動脈硬化で詰まってしまったという場合もありますが、通常は徐々になってゆくはずです。
まあ、後期高齢者になれば、誰でもがMCIであるといわれても不思議ではありません。さっきまで、出ていた名前が急に言えなくなったり無意識にドアを閉めたのを忘れていたなどは誰でもあるのです。きっと、脳の中のシナプスの連携がうまく作動しなかったのでしょう。まあ、それは肉体は劣化していくわけですので、仕方がありませんが、その劣化の速度を遅らせることはできるはずです。それが、精神、筋肉、体液の流れ(含む血流)、神経を鍛えることで少しは減らせることは自明の理でしょう。
具体的には、
・今まで経験してないことに敢えて挑戦する。
そのことが出来たことの達成感は何物にも代えがたく、精神に大きなインパ
クトを与える。年寄りは肉体よりも精神で勝負する。
・知識よりも新しい体験を積む。
知識は資料をみれば分かるが体験はその人の血肉となる。
・本質をつかむ。
難問にぶつかったとき、新しい物を作り出す時は本質まで遡りそこから新し
く考え直すと間違いがない。
・なんでも本物志向に心掛ける。
素晴らしい芸術は人の心を大いに打つ。偽物に騙されていては駄目、何でも本物を見抜く眼力をもつ。本物を知ればそれを作り出そうとする意欲化につながる。素晴らしい人に出会えば尊敬の念が生ずる。尊敬できる人がないのは人生でまだ、そういう人に出会ってないだけ、どこかにそういう人はいる。うちの子は読書が嫌いなんですが、と、言っている親がいるが、よくよく調べてみるとそういういい絵本と出会ってないという事が経験上分かった。また、その絵本を魅力溢れる状態で相手に示してない教師の力量にもよる。
・いつも、遥か彼方に自他のwin winを置きその方向にベクトルを向ける。
・人様の喜ぶ姿を生き甲斐にする。
・言葉は言霊のなまったものであり、温かい思いやりのある言葉遣いに一生心掛ける。
・長年の経験をもとに、社会の不正義や矛盾に果敢に挑戦し、総合的なアプロ
ーチで改善してゆく努力を微力でもいいから考え実践に結びつける。
・我々の世代は、次世代の若者を育てていく使命がある。単に知識を学ぶだけでなく、昔の松下村塾のような塾が各地にあってもいい。
・断片的に事象をとらえるのでなく、総合的な視点で物事を見極める。
オギャーと産声を上げてから長い年月をかけて来ているわけですから、肉体は物質ですので、18歳位でピークを迎えやがて後徐々に劣化していきます。自分の身体を眺めていてもそうなんですが、その劣化の速度は後期高齢の前後から加速度的に増していきます。これは避けがたいものですが、受け入れるしかありません。肉体は必ずや滅びて、やがて無になるわけですので、当たり前といえば当たり前の事ですので、すべて受け入れていけばいいのです。
諸行無常という言葉がありますが、諸行無常はいつの時代でも真理そのものです。真理は変えることはできないので、正しく受け入れるのが正解です。それにあがなってはいけません。
しかし、人間には肉体ばかりでなく、精神という高邁な永遠不滅な物質ではない心が誰にも宿っているのです。だから、過去の生まれ変わりだとか、永遠の生命だとか、霊感とか、現在の科学では解明できないものが沢山あるのです。それが畏敬の念に結びついてゆくのです。だから、宗教や信仰も存在するのです。
精神はいくつになっても陶冶し続けることができるのです。ただし、生きている限りはそこに肉体はついて回りますので、肉体にも大いに影響していきます。
認知症は肉体と共にある病気です。そこに、認知症の問題が潜んでいるのです。その辺に高齢者の認知症を防ぐ鍵があるのです。心が常に陶冶され心の若さを保つことが出来れば、肉体はやがて衰えなくなっていくのですが、その速度を遅らせることが出来るのです。肉体は衰えるのが当たり前ですが、精神が生き生きしなくなったら危ない状態でしょう。認知症になりたくなかったら、その精神をいつも前向きに生き生きさせていきましょう。肉体は一時ですが、精神は永遠です。とこしえに続いていくのです。
人類が誕生してから、物質である肉体は必ずや滅びてなくなっていくのです。その肉体に心が結びつき、その心が衰えて行くのが認知症でしょう。西洋医学的に認知症をとらえるから、本質がずれ、忘れることが多くなったから、とか見識障害だとかいう断片的なことが問題となるのです。個別なことが原因でなく、人間は広く人格そのものですので総合的にとらえていかないといけないと想います。
そういう私も、こんなことを考え実践していれば認知症とは縁のない生活を送れるかと想ってブログを発信しています。心配しても一日、笑っても一日なら笑って過ごしたいですね。