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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

読書は充実した人、会話は機転の利く人、作文は確実な人を作る

2025年03月16日 | エッセイ
コロナ6年3月16日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 今でも、読書が充実した人を育み、会話が機転の利く人を作り、作文が豊かな人を形成するという言葉が脳裏に浮かびます。日々の何気ない生活を送っていると、時が流れるのを何の感慨もなく過ごしがちですが、立ち止まって考えると、この言葉には大きな意味が込められていると気づかされます。

 私たちは毎日、人と会話し、活字を読み、読書をしたりして生活をしています。しかし、作文という行為は意識していないと自然と少なくなることに気づかされます。今や作文はほとんどがワープロで行われており、筆記の機会も減少しています。

 「字は体を表す」という言葉がありますが、筆跡を見ていると、その人の性格を読み取ることができます。筆圧や字体にその人の個性が滲み出ています。

 私のこだわりとして、「触れる」という言葉はひらがなで書くことにしています。その方が心地よく感じるからです。ひらがなには独特の良さがあり、柔らかさを感じます。漢字には漢字特有の響きや力があります。また、文語体や口語体の違いや、漢詩に見られる漢字の美しさも、日本語にはない魅力があります。

 詩を書くときには、その言葉が発するオーラに気を使います。読者がどの字体や文面からどのように感じるかを考えながら表現するのは、とても心地よい作業です。想像力やイマジネーションは、人間に与えられた最高の贈り物かもしれません。

 最近では、書くという行為がPCに頼りがちになっています。文字を選ぶ行為には個性が表れますが、筆跡が見えないため、その奥には迫れません。この面では、随分と画一的になってしまったと感じます。PCで個性を出すためには、行書や楷書、ゴシック体など字体を工夫する必要があります。できれば、自分の字体をPCに登録して、自由に使えるようになればいいと考えています。

 作文は意識しないとなかなか身につかないようです。振り返ると、小学生の頃から作文をやっていましたが、当時の私は書くという作業がとても嫌いでした。書き取りを1ページ書くだけで大変な労力を使いました。また、記録を取ろうとしても、自分の字が読みにくくて、後で読み返すのに苦労していましたので、書かないで、頭の中にいれるようにし意識していました。

 10文字の漢字書き取りテストは、殆ど家で復習しなかったため、私はいつも8文字しかできず、国語が苦手という意識は中学まで続きました。書く習慣がなかったため、言葉を伝えるのは話す方が圧倒的に速かったのでしょう。習慣とは恐ろしいものです。だから、今に時代のように音声入力を使えるAIの時代は私にとってはとても重宝しています。なぜなら自分の声がすぐ、活字になって出てくるからです。いい時代になりました。

 中学生の多感な時期に、三浦綾子の『氷点』に出会い、強烈な印象を受けたことは今でも鮮明に覚えています。主人公陽子の生き方には深い感銘を受けました。この小説がもたらした影響は、今までの人生の中で特筆すべきものでした。陽子が「これが私の原罪だ」と言って永遠の眠りにつくシーンは、今でも私の心に残っています。いずれは旭川の地や大雪山を訪れてみたいと夢見ていたものです。

 また、読書といえば、当時は漫画ばかりで、特に雑誌「少年画法」が楽しみでした。赤胴鈴之助の本を愛読し、漫画がない世界は考えられませんでした。それほど、漫画に夢中になっていたんですね。

 6年生の頃に映画で見た「赤胴鈴之助」の記憶は今でも覚えています。主演は梅若正二で、吉永小百合も出演していました。吉永小百合は当時から輝いていたのですね。振り返ってみると、彼女が長い間人気と美貌を保っていることには本当に驚かされます。

 私は昔から想いをたくさん抱えていて、心情は豊かだったのですが、それを文に表すことが苦手でした。必要性を感じていなかったのかもしれません。今こうして書いていると、確かに会話と異なり、見通しを持って考えながら進めることができるので、作文はより確実な人間を形成できると感じます。

 小学生の頃は小説はほとんど読まず、漫画に囲まれた日々でした。唯一、5歳上の姉が借りていた『まごころ』という本に感銘を受けたことが薄っすらと記憶に残っています。そんな姉も数年前に亡くなり、今は寂しい思いでいっぱいです。たまには彼女の墓前に花を捧げたいと感じます。若い頃、姉にスーパーカブの中古を買ってもらったことが嬉しい思い出として残っています。

 中学生になった頃から、国語の良さに気づくようになり今までの苦手意識から脱却し始めました。「明日の宇宙旅行」という作文で賞をもらい、市の文集に掲載され、少しずつ書くことが楽しくなり、自信につながっていったように思います。当時の国語の先生の励ましも大きかったのかもしれません。

 こうして時が過ぎる中、私は高校に進学しましたが、大学に進む余裕はなく、工業高校の電気科に入りました。当時、技術者になることを夢見ていましたが、卒業後には技術よりも物理や倫理社会などに興味を持つようになっていきました。

 その後、IBMを受験して失敗し、楽器会社の電子楽器事業部で技術者として採用されましたが、会社の都合で営業に配属され、京都に転勤となりました。その会社には1年弱だけ勤めて辞めました。その後X会社を経て防衛庁事務官となり、夜間と通信で大学を卒業し小学校教員になり、どうにか定年まで勤めました。
 
 
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短編小説『ケ・セラ・セラ』

2025年03月16日 | エッセイ


 朝、目が覚める。窓の外には穏やかな空が広がり、風がカーテンを揺らしている。


 「ケ・セラ・セラ」


 陽気なメロディーを口ずさみながら、桜井はベッドから起き上がった。77歳。足腰は少し弱くなったが、心は若いままだ。


 かつては将来のことを心配し、あれこれ考えた時期もあった。だが、今は違う。なるようになる。運命は天に預け、今日を楽しむ。それだけだ。


 冷蔵庫を開けると、昨日の残りの味噌汁があった。温めなおし、湯気の立つ椀を手に取りながら思う。人生もこんなものかもしれない。一度冷めても、また温め直せばいい。


 散歩に出ると、公園のベンチに同年代の友人・田村が座っていた。


 「おう、桜井。今日も元気か」


 「ケ・セラ・セラ、なるようになるさ」


 桜井は笑って腰を下ろした。


 「お前、相変わらずだな。俺は時々、不安になるよ。この歳で、あとどれくらい生きられるのかってな」


 「任運騰騰さ。運に任せて、流れのままにいけばいい」


 桜井はそう言って、空を見上げる。白い雲がゆっくりと流れていく。


 「先のことを案じて、悩んでいる暇があったら、一杯飲みにでも行こうじゃないか。うまい酒を飲んで、楽しい話をして、笑って生きれば、それで十分だろ?」


 田村はしばらく考え込んでいたが、やがて吹き出した。


 「ははは、お前に言われると、そんな気がしてくるな。よし、行くか。今夜は俺のおごりだ」


 二人はベンチから立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。


 春の風が心地よく吹き抜ける。桜の花びらが舞い、陽射しが柔らかく降り注ぐ。


 人生、なるようになる。

 運命に身を任せ、今日という一日を楽しむ。

 それこそが、ケ・セラ・セラ。

 それこそが、任運騰騰。

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平均寿命なんてナンセンス

2025年03月16日 | 健康

 近年、日本の平均寿命は世界的に見ても高い水準にあるとよく言われてきた。しかし、それだけを強調するのは問題だと私は以前から考えていた。なぜなら、単に長生きすることが重要なのではなく、どれだけ健康で自立して過ごせるか、つまり健康寿命が本当の意味での指標になるべきだからだ。

 実際、日本人の平均寿命と健康寿命の間には、およそ6年から10年の差があると言われている。この期間、多くの人が介護を必要としたり、病気がちで苦しい生活を送っている。こうした現実を考えると、ただ単に寿命を延ばすのではなく、健康寿命をいかに伸ばすかが最も大切な課題であることがわかる。

 健康寿命を延ばすことができれば、本人がより充実した人生を送れるだけでなく、介護の負担も減り、医療費の削減にもつながる。これにより、社会全体の負担が軽減され、より持続可能な未来へとつながるのだ。

 そして、健康寿命の長さだけでなく、人生の質そのものを高めることも重要である。たとえ短い期間であったとしても、ただ生きているだけでなく、できる限り人の役に立つことをする。周囲の人を助けたり、社会に貢献したりすることで、人生に充実感を持つことができる。

 健康で長く生きること、そしてその時間を有意義に過ごすこと。この二つが揃ってこそ、本当に価値のある人生と言えるのではないだろうか。

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