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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

考え方 点、線、ベクトル

2019年03月19日 | エッセイ

震災9年3月19日

 いつの時代も、次から次へと色々な事件がマスコミを賑わします。最近の子どもへの虐待、いじめ、高齢者へのアポ電詐欺等あげれば切りがありません。

 それを見ていると、点という概念が私には浮かんで来るのです。個人が単なる自分だけの思いで行動してしまっているのです。そのことを起こしたら、将来どうなり他人にどう影響を及ぼすかに考えが行って無いのです。むしゃくしゃしたから、欲しかったから、やりたかったからと自分のことしか考えていないのです。世界は自分中心に回っていると思っているのでしょうか。そう考えているとしか言いようがありません。地球とて自転しながら太陽の周りを公転しているのです。地球も太陽との関わりの中で動いているのです。もっと、大自然から学んで欲しいと思います。大自然があるから今の人間が安心して暮らして行けるのです。そこに畏敬の念があるのです。この畏敬の念も現代人が忘れ去られている言葉です。悲しいかなです。

 電灯もなく、夜になればいろりの火を見るか星を見るしか無かった時代では、昼夜、人間は自然と暮らしていたのです。まさに自然の中に自分もいたのです。そういう時代は自ずと自然への尊敬というか畏れみたいなものが醸成されていたのでしょう。天につばするも同じ系列にある言葉だと思います。その中には必ず自分一人でなく、周りの環境が関わっていたはずです。いつから、人間にはおごりが出て自分だけよければという考えになったのでしょう。自然は征服するものでなく共存するものです。もっと、本来の人間はこのような自然への畏敬の念や感謝の念を持ち合わせていたはずです。

 前で述べたよう自己中からの事件は皆、人との関わりから離れてしまった結果です。今こそ、夜空を眺め星に祈りをささげ、月明かりを思い浮かべ、夜な夜な天地に感謝する大きく広い心を持って欲しいです。

 自分がいて他人がいて国家があって社会が成り立っているという自分という点と自分以外の点が繋がっていないのです。点と点を結べば線ができます。その行為が前後や周囲とどう繋がっているのかという視点が見えてこないのです。

 思いつきや点だけで考えるのでなく、つながりで考えて欲しいのです。そして、それは自他の幸せという方向につながって欲しいのです。点となって湧いてくる事件に心が痛むのです。人間は考える葦であります。

 さて、数学では点が動いて軌跡となり線ができるという考え方があります。しかし、人の生き方には、その先に自他の幸せがなければいけません。点は発生したら、線となり、ベクトルとなり勢いと方向性を持たないといけません。その先にあるのが、自他の幸せなんです。これを忘れて行動して行ったら世界はどうなるのでしょう。火を見るよりも明らかです。

 今、点で物事を処理したり考えたりする人間が余りにも多すぎると感じたことはありませんか。困ったものです。個人以外、法人でも同じです。自分の会社の利益を考えることでいっぱいの会社も沢山あるでしょう。消費者を騙したり、国民を欺いたりする法人もいっぱいいます。厚労省のように嘘の統計値や、医学部の不正入試問題もありました。これも根は同じでしょう。人間性のレベルが低すぎます。

 私は社会を眺める時いつも、点から起こった行動は線となり自他の幸せにベクトルが向かっているかということを考えます。この視点から社会を考察しています。何をなすにも最終的な方向性が大切です。ここに向かう思いやエネルギーこそ素晴らしい社会を気づくものだと思います。すべてのことがこの方向性の線上にあらんことを願わずにはいられません。その中にこそ、希望という光があるのです。これがなかったら何の為に生きているのでしょう。

 今の世相から、こんなことに想いを巡らせている私です。まだまだ、現実世界は力の論理が優先してしまってます。北朝鮮の問題も力な論理や力の均衡ばかりを優先しないで、世界平和や自他の幸せに目を向けて、どうにかその方向で解決に向かって欲しいです。

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