震災6年3月10日
放射能 漏れた後では もう遅い 漏らさないより 作らない

早いもので、2011年3月11日からまる5年がたってしました。月日のたつのは早いものです。
東北大地震の時は、地域のコミュニティセンターに勤めていました。地域の方とちょうどお話をしていて、座っていましたが、今までに経験してなかった程、その揺れの長いこと、そして、振幅の大きなゆれが、ゆっくりずっと続いていたように記憶しています。
まるで、大きなブランコに乗っているようでした。何事が起こっているかと思うほどでした。それもそのはず、未だかって経験したことがないほどの大きな地震だったからです。しかも、大津波により、原発の被害も起きてしまいました。私たちの近くにも原発があるので、とても心配です。
今日も、マスコミではその話で持ちきりです。そのとき、私としては、このことは絶対忘れてはいけないことと、心に決めました。そして、ブログには自分なりに震災という年号をつけ、脳裏に刻むことにしたのです。
私にできることは、ささやかなものですが、ブログに震災の年号を刻み、いつも、その日のこと、東北の人に痛みを忘れないことです。確かに日本の年号を変えるにあまりある事件でした。ほっておけば、いつのまにか、忘れられてしまいます。
そのとき、次のようなことを考えていました。何より、学問は、自然界にないものを作るために使わないことを自分に言い聞かせました。自然界の仕組みを理解することはいいのですが、自然界にないものを作り出すことのはかなさをひしひしと感じたからです。
生物は結局は自然界の一員なのですから、この自然を壊すということは天につばするものだと思います。やがて、それは、生物の上に降りかかってきます。まさに、原子力発電の放射能が今回のそれだと思います。放射能の自然消滅には10万年かかるというのではありませんか。天文学的な数字です。
放射能は自然界にも微量に存在しますが、それは自然のサイクルの中でのことです。今回はそれを必要以上に作ってしまいその結果津波に遭い、大量の放射能漏れを起こし、人類に悪影響を及ぼして来ているのです。
しかも、それを消滅する術をまだ持たないうちにこんなことを進めてしまっているのが困りものです。早く自然エネルギーにシフトさせなくてはいけません。
先日も、大津地裁で原発稼働差し止めの判決がでました。朗報です。この流れが加速していくことを願います。あってからでは遅いのです。放射能の害は孫の世代まで響いていきます。
先日も、NHK特集で、東北の森での生物への影響の研究の画面が流れました。この点、解明が進んで行くでしょうが、メルトダウンまで引き起こした原発問題は後世まで語りつながれていく問題でしょう。もっと、人間自然の前では謙虚にならなくてはいけません。人間おごるなかれです。
