読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【閑古堂の映画千本ノック】6本目『砂の器』 コロナパニックに陥った令和の世をも射抜く「負の歴史」についての重く鋭い問いかけ

2023-10-23 20:01:00 | 映画のお噂

『砂の器』(1974年 日本)
カラー、143分
監督:野村芳太郎
製作:橋本忍・佐藤正之・三嶋与四次
原作:松本清張
脚本:橋本忍・山田洋次
撮影:川又昂
音楽:芥川也寸志(音楽監督)、菅野光亮(作曲・ピアノ演奏)
出演者:丹波哲郎、加藤剛、森田健作、島田陽子、山口果林、加藤嘉、春田和秀、佐分利信、緒形拳、渥美清、笠智衆
DVD発売元:松竹


当ブログにてこの「映画千本ノック」を始めるにあたり、わたしはその動機について1回目でこんなことを申し上げました。
「「映画好き」などと言っているくせに、キチンと観ていない作品があまりにも多いことに、自分でもげんなりしたから」
「誰もが知っているような、映画史に輝くような名作、傑作、ヒット作と言われているような作品であっても、まともに観ていないままになっている作品がなんと多いことか」
実は今回取り上げる『砂の器』も、これまでキチンと観ていなかったままだった、名作映画のひとつであります。

東京・蒲田の鉄道操車場で、一人の初老男性が殺害されているのが発見される。ベテラン刑事・今西(丹波哲郎)と若手刑事・吉村(森田健作)が捜査を開始するが、被害者が殺害される前夜、近くのバーで別の男と交わしていた、東北なまりの会話の中に出てきた「カメダ」なる言葉以外はなんの手がかりもなく、捜査は難航する。それでも、今西と吉村による地を這うような地道な捜査により、少しずつ真相が明らかとなっていく。やがて、捜査線上に一人の男の存在が浮かび、彼が辿った痛ましいまでの“宿命”も明らかとなっていくのだった・・・。

ミステリー小説の巨匠・松本清張氏の代表作のひとつを、同じく清張氏が原作である『張込み』(1958年)や『ゼロの焦点』(1961年)などを手がけてきた野村芳太郎監督が映画化した本作は、今もなお多くの人から愛され続けている、日本映画史上に輝く名作であります。
にもかかわらず、冒頭で申し上げたようにわたしはこれまで、本作をまともな形で観ないまま、馬齢を重ねてきてしまいました。今回初めてDVDで鑑賞して、なんで今の今までこれほどまでに素晴らしい映画を観ないでいたのか!との激しい羞恥と後悔の念に駆られ、自分で自分をぶん殴りたくなったのであります。「お前それでよく“映画好き”などと言えたもんだなあ」との軽蔑、嘲笑は甘んじて受けます。笑わば笑え。

自らもプロデューサーとして、設立したプロダクションの第1作目にこれを選んだ橋本忍さんと、映画監督としても名高い山田洋次さんが共同で手がけた、脚本構成の巧みさ、素晴らしさには、つくづく唸らされます。
すでに多くの方によって指摘されていることですが、すべての謎が解き明かされていく捜査会議の席上、加藤剛さん演じる作曲家・和賀のコンサート会場、そして苦難に満ちた父子の巡礼の様子が交互に積み重ねられ、そのバックに菅野光亮さん作曲の交響曲「宿命」が鳴り響くクライマックスがもたらす比類なき劇的高揚感には、ただただ圧倒されるばかりでした。原作者の清張氏をして「原作を超えた」と言わしめたこのクライマックスは、まさに映画だからこそ成し得た至高の表現でありましょう。そこに到るまでの、少しずつ真相が明らかとなっていく謎解きの過程も、ミステリーの楽しさを満喫させてくれます。
映画の中に映し出される日本各地の風景もまた、本作の見どころでしょう。その時々の季節を映し出す、父子の巡礼シーンもさることながら、今西らが真相を追って東北から山陰、伊勢、北陸へ鉄道を使って移動するところには、なんだか旅心がそそられてしまいました(今西と吉村が食堂車で飲食するシーンは鉄道好き垂涎)。

名優揃いの出演者の中でも、とりわけ良かったのがベテラン刑事・今西を演じた丹波哲郎さん。一歩一歩真相に迫っていく執念深さと人間味を併せ持った今西は、まさに丹波さんのハマり役であります。クライマックスの捜査会議の場面、明らかとなった事件の経緯を語っている途中に、思わず声を詰まらせるところには、こちらまでもらい泣きしそうになりました(なんとか踏みとどまりましたけど・・・)。
そしてなんといっても、撮影当時はまだ7〜8歳だったという子役・春田和秀さんの素晴らしかったこと!劇中では一切セリフを発することはなかったにもかかわらず、苦難に満ちた巡礼の旅の中で、この世の不条理を一身に受けることの辛さと悲しみを全身で表現していて、観ていて胸が詰まらされました。目力の強さも印象的です。
この春田さん、本作の前後にも『はだしのゲン 涙の爆発』(1977年)などの映画やテレビドラマに出演するも、子役を卒業すると同時に芸能界からも遠ざかり、現在は自動車関連会社の経営者だとか。昭和の名子役も、自らの「宿命」と向き合いつつ、自分なりの道をしっかりと歩んでいっている、ということなのでしょう・・・。

住み慣れた故郷を離れ、苦難に満ちた巡礼の旅に向かわざるを得ない境遇に父子を追いやったもの・・・それは、かつて「らい病」と呼ばれ、“不治の病”として恐れられてもいたハンセン病に対する、非科学的な認識に基づいた世間の偏見と差別でありました。
細菌による感染症の一種であるハンセン病ですが、その感染力は極めて低いうえ、適切な治療を受けることにより治癒することができる病気なのです。にもかかわらず、学界で“権威”とされる人物がハンセン病の恐怖をことさらに強調し、患者を強制的に隔離することを主張したがために、それに引きずられる形で国は「らい予防法」を制定。その上、自分たちの県からハンセン病患者を一掃しようとする「無らい県運動」が各都道府県でも高まったことで、強制隔離や断種、優生政策といった、患者に対する自由と人権の侵害が「社会政策」の名のもとに横行しました。そして、患者やその家族に対する世間の偏見と差別は、日本人独特の“穢れ”意識と相まって、根強く残っていくこととなったのです。
ハンセン病をめぐる日本の「負の歴史」は、2020年の初頭から3年以上にわたって続いた、新型コロナウィルスをめぐるパニック状況の中で、かたちを変えて再現されることとなりました。テレビや新聞といったマスコミはコロナの恐怖を煽り、それらによって重用された「専門家」やコメンテーターらは、感染者とされた人たちの「隔離」を主張し続けました。
そんな中でパニックに陥り、冷静さを失った世間では、コロナに感染した人たちとその近親者や勤務先、県外から帰省した人たちに対しての偏見や差別、そして誹謗中傷が横行しました。さらには、「感染を広める」要因だと決めつけられた業種(飲食店や映画を含むエンタメ、アミューズメント業など)に従事する人たちや、マスク着用にワクチン接種、「自粛」などといった「コロナ対策」のありように異を唱える人たちもまた、差別や誹謗中傷の対象とされました。
かくして、恐怖と“穢れ”意識が生み出したハンセン病の「負の歴史」は何ら活かされることなく、「コロナ禍」と称される「緊急事態」の中で繰り返されることとなりました。そして、そのことについてまともな検証や総括もなされないまま、いまだマスクと消毒薬から離れられない人たちの群ればかりが残されたのです。

実はこの『砂の器』のつくり手もまた、長い「負の歴史」からくる認識の歪みから自由ではありませんでした。丹波哲郎さん演じる今西がハンセン病療養所を訪れるシーンは、シナリオの段階では今西は予防着を着用していたといいますが、当時はすでに伝染力の弱さから予防着を着ることはなくなっており、誤解されかねない、とのハンセン病患者団体からの要望を受け、映画にあるような背広姿に変更されたのだとか(小学館DVD BOOK『松本清張傑作映画ベスト10 第1巻 砂の器』の作品解説より)。
「映画を上映することで偏見を打破する役割を」(これも前掲書より)という、良心的で高い志のもと、日本映画史上に輝く素晴らしい名作を生み出したつくり手をして、いったん心の底に根づいた恐怖と“穢れ”意識、そしてそこからくる認識の歪みを完全に払拭することがいかに困難なことなのかを、如実に物語っているエピソードといえましょう。

映画『砂の器』が投げかけた、「負の歴史」についての重い問いかけ。それは、コロナパニックに陥って冷静な判断力を失い、「負の歴史」を繰り返してしまった令和日本の世をも、鋭く射抜くものとなっています。


※参考文献
小学館DVD BOOK『松本清張傑作映画ベスト10  第1巻 砂の器』(小学館、2009年)
小林よしのり『ゴーマニズム宣言Special コロナ論02』(扶桑社文庫、2022年)


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