読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『人生で大切なことは泥酔に学んだ』 お酒でやらかした失敗は「人間力」で乗り越えろ!

2019-07-28 22:51:20 | 本のお噂

『人生で大切なことは泥酔に学んだ』
栗下直也著、左右社、2019年


わたしもよく本選びに活用している、ノンフィクション系書評サイト「HONZ」。代表である成毛眞さんをはじめとした個性あふれるレビュアーの中でも、とりわけ高い人気を集めているのが栗下直也さんです。社会問題や事件もののノンフィクションといった硬派な本を生真面目に紹介するかと思えば、エロ系風俗やお酒に関する本を軽妙な調子で取り上げたりと、守備範囲の広さと語り口の多彩さが、栗下さんの魅力であります。
その栗下さんの「酔人研究家」としての単著デビュー作が、本書『人生で大切なことは泥酔に学んだ』です。自らも泥酔したあげくに失敗を重ねてきたという栗下さんが、歴史に名を残す27人の偉人たちの泥酔エピソードを拾い上げながら、社会人に必要な処世術を学ぶ、という趣向の愉快な一冊です。

今もなお、多くのファンから熱く慕われている作家・太宰治も、酒とは切っても切れない人生を送った人物でした。そんな太宰がやらかした最強の泥酔エピソードが、作家仲間である檀一雄を巻き込んだ一件です。
創作のために熱海の温泉宿にこもったものの滞在期間が長引いてしまい、太宰は檀に滞在費を届けてもらうことに。ところが、そのお金で2人して呑み歩いた挙句、菊池寛のところに行ってくるのでここで待っていてくれ、と檀に告げて東京に戻った太宰でしたが、数日経っても戻る気配はありません。太宰を探しに帰京し、井伏鱒二宅を訪れた檀が目にしたのは、滞在費の工面もそっちのけで井伏と将棋をさしている太宰の姿、でありました・・・。
ずいぶんヒドい話なのですが、そのことを作品として昇華させ、名作「走れメロス」を生み出すことになるのですから、さすがは傑出した才能の持ち主というかなんというか。

太宰と同じく、無頼派の系譜に連なる作家である葛西善蔵の酔いっぷりも傑作です。酒を呑みつつ口述筆記に臨むのですが、行き詰まると畳の上を這いずりまわって犬が小便をするマネをしたんだとか。一方、稿が進んだとき(といっても二枚程度、なのですが)には有頂天のあまり、真っ裸で四つん這いになってワンワン吠えながら室内を走り回っていたんだと。行き詰ってもうまくいっても犬のマネ、って(笑)。
犬のマネくらいならさほど罪もないのですが(異様ではあるけれど)、ちょいと厄介な酔いっぷりだったのは、空手チョップで一世を風靡したプロレスラーの力道山。後輩たちを連れて呑みに行くのはいいのですが、その席でガラスのコップを噛み砕いて食うのみならず、それを後輩たちにも強要したのだとか。・・・どんなパワハラだよ。
そして極めつけなのが、伊藤博文の後を受けて二代目の内閣総理大臣となった黒田清隆。酔っぱらった挙句に乗っていた船から大砲を誤射して、弾が落ちた民家にいた住民を死なせてしまったとか。さすがにここまでくると、間違ってもお酒を呑ませてはいけないレベルではないのか・・・と言わざるを得ません。

本書に登場する泥酔偉人のほとんどはオトコなのですが、女性からは社会思想家の平塚らいてうと、女優の原節子が取り上げられています。
小津安二郎の映画などで見るイメージからは意外に思えるのですが、原は晩酌に毎日ビールを呑み、酔うと陽気にはしゃいだりしていたといいます。のみならず、地方ロケのときには共演者と賭けトランプにも興じ、男性陣が青ざめるほど桁違いの金額を賭けていたのだとか。これまた、ちょっと驚きのエピソードでありました。

偉人たちの傑作な、あるいは驚愕のエピソードや、それまで知らなかった意外な一面を知ることができる人物評伝としても実に面白いのですが、偉人たちが酒による失敗をどう乗り越え、プラスに転じていったのかというあたりも、興味を惹かれるものがあります。
『巨人の星』『あしたのジョー』などのスポ根漫画で一時代を築いた、漫画原作者の梶原一騎は、銀座の高級クラブでの酒の席で編集者に暴行を加え、それがキッカケとなり逮捕されます。釈放後、多くの人が梶原から離れていく一方で、それでも彼から離れなかった人もいました。
「優しい人もいれば酷薄な人もいる。そうしていろんな情が複雑に入り混じって世の中は流れていくものだ」と結論づけた梶原の感慨が、その著書から引用されています。

「(前略)人間は明日のことは闇なのだから、いろんな人間と接触しておくべきだと思った。一本だけの橋にかたくなにしがみついていると、その橋が落ちてしまうと奈落の底に沈んでしまう。普段からの、打算のない交友関係がいかに必要かということだった。忙しい時でも、ある程度の自己犠牲を苦にしない心のゆとりが、打算のない仲間意識を強めていくのだろう。(後略)」

梶原の境遇はいささか極端ではありますが、限られた世界の限られた人たちとしか付き合いがなければ、いざという時に脆弱な状態におかれ、追い詰められることになることも確かでしょう。それを考えると、梶原の感慨はなんだか響いてくるものがありました。

大化の改新で知られる中大兄皇子の孫・白壁王(光仁天皇)のエピソードも興味深いものが。皇位継承争いで候補者が次々と「粛清」される中、白壁王は毎日大酒を呑み、凡庸な人間を装うことで野心を隠して危機をくぐり抜け、結果的に天皇に即位することができたのだとか。
栗下さんはこのエピソードについて、「トンがって生きるのもひとつの手だが、凡庸なふりをして敵を作らず、組織内を泳ぐ『白壁王モデル』もサラリーマンが採るべきひとつの手段だろう」と書いておられます。確かにこれもまた、教訓として覚えておいていいことかもしれません。

本人が意図しようがしまいが、呑む人の本性をあらわにしてしまうのが、お酒の面白いところであり、怖いところでもあります。お酒における失敗の数々もまた、あらわになってしまった本性によって引き起こされるわけで、そのことを自覚したときには大なり小なり、気持ちが凹んでしまいます。・・・というか、気持ち以上に胃腸のほうがキツかったりするんだけども(苦笑)。
そんなときにこそ大切なのは「人間力」。酒によってあらわになった本性を自覚しつつも、それをプラスに転じる前向きな姿勢が、人生を切り拓いていくのだということを、楽しみながら教えられる一冊であります。