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『はじまりのみち』 木下惠介と母の情愛、原恵一監督の木下惠介愛•••二つの愛の物語

2013-06-12 21:41:25 | 映画のお噂

『はじまりのみち』(2013年、日本)
監督・脚本=原恵一
出演=加瀬亮、田中裕子、ユースケ・サンタマリア、濱田岳、斉木しげる、光石研、濱田マリ、大杉漣、宮崎あおい


昨年、生誕から100年を迎えた国民的映画監督の一人、木下惠介。
『カルメン故郷に帰る』(1951年)、『二十四の瞳』(1954年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)等々の木下監督が生み出した名作群は、いまなお多くの人びとから愛され続けています。その木下監督の若き日を描いたのが、本作『はじまりのみち』です。
『クレヨンしんちゃん』シリーズや、アニメ史に残る秀作『河童のクゥと夏休み』(2007年)などのアニメーション作品で高い評価を受けている原恵一監督が、敬愛する木下監督を題材として初の実写映画に挑みました。

時は戦時下。木下惠介(加瀬亮)は、戦意高揚映画として製作した自らの監督作『陸軍』(1944年)のラストが「女々しい」と言われ、当局から次回作の製作を中止させられてしまう。自分が思うような映画が撮れない状況に嫌気がさした木下は、映画会社に辞表を出して郷里の静岡県浜松市へ帰り、脳溢血で倒れて寝たきりとなった母・たま(田中裕子)を見舞う。木下はたまに「これからは木下惠介ではなく、本名の正吉に戻る」と言い、再び共に暮らすことを伝える。
戦局はますます悪化し、木下たちがいる場所も安心できない状況になっていく。木下は母親を連れて山間の町へと疎開することを決める。バスに乗せて行っては、という家族に木下は、揺られていては母の体に障るからリアカーに乗せて行く、と主張。かくて木下は、兄の敏三(ユースケ・サンタマリア)と、雇い入れた便利屋(濱田岳)とともに、リアカーを引いての山越えを敢行する。長い距離、夏の暑さ、突然降ってくる激しい雨•••。過酷な行程を乗り越え、なんとか疎開先へと到着することができた。
疎開先に落ち着いてから数日後。たまは木下を呼び寄せ、一枚の手紙を手渡す。そこにはたどたどしい文字で、木下へ向けたメッセージが綴られていたのだった•••。

原監督の初実写作品、実に見事な出来でありました。シンプルな物語、コンパクトな上映時間ながら、互いを深く思いやる木下監督とその母親との愛情が、観ていて心にじんわりと伝わってきました。そしてしっかり泣かされてしまいました。•••いやはや。トシをとると涙もろくなってきて困りますわ。

ちょっと意固地なところのある若き木下監督を熱演した加瀬亮さん。病に伏した母親・たまを、途中までセリフなしで演じ切った田中裕子さん。ともに素晴らしい演技をたっぷりと魅せてくれました。
思いのほか良かったのが、木下監督たちの疎開行に同行する便利屋を演じた濱田岳さん。お調子者ではありながら憎めないキャラクターをまことに巧みに演じていて、大いに楽しませてくれました。特に、戦時下で口にできなくなったカレーライスやビールを口にするマネをする芝居は絶品でありました。
そんな、一見お調子者の便利屋が、実は•••ということがわかる河原の場面は心に迫るものがあり、わたくしにとって最初の「泣きのスイッチ」が入った場面となりました。

『河童のクゥと夏休み』や、前作『カラフル』(2010年)で、アニメながらリアリティあふれる表現をつくりあげた原監督。実写作品への意欲を語ってもおられただけに、実写作品を撮りあげたこと自体には驚きませんでしたが、その最初の作品が木下惠介生誕100年記念映画だったとは。原監督の木下監督に対するリスペクトの深さ大きさを、あらためて感じさせられました。
それがひしひしと伝わってくるのが、ラストで10分以上にわたって綴られる木下監督の戦後における代表作の名場面集。最初は、その異例なまでの長さに戸惑いもありました。しかし、そこには一つのワクには収まらない、多彩な木下ワールドがあり、観ているうちにそれらの作品を観てみたい気持ちが湧いてきたのでした。
『二十四の瞳』などのようなオーソドックスなものがあるかと思えば、画面に楕円形のマスクをかけた『野菊の如き君なりき』(1955年)があり、演劇のような場面転換をする『楢山節考』(1958年)があり、モノクロ映像に人工着色を施した『笛吹川』(1960年)もあり•••。
木下惠介という映画監督が、実はとてつもなく面白い仕事をしてきたことがよくわかりました。あたかも、戦時下に思うように映画が作れなかったことへの反動のように•••。
平和な時代に映画をつくることができ、それを観ることができることがどんなに幸せなことなのかを、しみじみと感じました。

原監督が、日本映画の最良の部分を血肉にして育ってきた映画作家であることを、あらためて認識しました。
『はじまりのみち』は、そんな原監督による、木下監督への深い愛情もたっぷり込められた映画でもありました。

映画のパンフレットは、原監督と加瀬さん、監修として関わった山田太一さん、劇作家の中島かずきさんとの対談3本や、今月『新編 天才監督木下惠介』(論創社)を上梓したばかりの作家の長部日出雄さんによるコラムなども収められていて、こちらも見逃せません。

4日後の16日(日)には、原監督が上映館である宮崎キネマ館に来られることになっています。地元で開催されている「宮崎映画祭」にも、過去に2度来てくださった原監督。宮崎のことを忘れずにいてくださったんだなあ、と嬉しく思います。
16日には、わたくしもまた時間をつくって行こうかな、と思っております。