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鎮守の杜から

葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。

仕事のこと

2010年06月21日 | 思うこと
神さまごとは、純粋にやりたいです。
でもね、カミゴトにのめり込み過ぎると
日常の感覚からずれてしまう恐れがあります。

神さま事だけをやることが日常になるには、
もう少し、時間が必要なのだと思います。
時間というのは、私がそうなるための時間です^^

今は、どんなにのめり込んでも、塾の先生をしている時は、
日常にモードが変わります。
これはとても大切なことで、とてもありがたいことです。

今よりずっとしんどかった時、
塾の先生の時間に救われました。

初めて和佐羅の滝で禊をした時、
実は、午後には塾の講師をしていました。
スーパーのトイレで着替えて、今までの非日常が同じ日だと思えない不思議な感覚で、
生徒を前にして教壇に立って、私はこの子たちに助けられていると思えました。

何もできないまま、放心状態で、動けない時も、
塾の時間には、気持ちが切り替えられました。

何が起こっても、職業としての先生の仕事を放棄することは、絶対にあり得ないし、
その時間は完全に正常に戻せました。

とても良いバランスですね。

もうひとつ、とてもよいことがあります。
私は塾の仕事で生活の糧を得ているので、
必要以上にカミゴトでお金を得る必要が無いのです。
これはとても重要な事なのだと思えます。

良い暮らしをしたいとはそれほど思っていません。
でも、最低限の暮らしが保証されない不安は、
かなり精神状態を圧迫します。
自分の存在価値を否定してしまうような感覚。

その状態で神さま事を行うと、心に隙が生まれます。

なので、神職以外の仕事もとても大切なのですが、
ちょっと新たな決断が必要になってきました。

今は何が起こるか、ワクワクしながら、そのすべてを
私は血肉にしたいと思っています。
そうしてこそ、ようやく、私はカミゴトだけを純粋にできるようになるのかなあと思います。

ふふふっ♪
でも、結構幸せです。
神さまの手の中でころがしてもらってますもん!
いつも、見ていてくださると思えるから、がんばれます。

重なり合う輪

2010年04月27日 | 思うこと
4月18日に崇敬会総会を終えました。
総会では結構熱い議論をしました。
皆さんがとても真剣だからこそです。
新たな黎明期に入った御歳神社は、
これから続く長い歴史の基礎固めの時期です。
だからこそ、熱も入りますし、とても大切な時期なのだと思います。
10年後に懐かしく思い出せるように、
今、真剣に事に当たりたいなあと思っています。
きっと、きっと、大丈夫。
輪の中心には御歳神社の神さまがいらっしゃいますものね^^

会員の皆様に会則等の文書を送付しました。
以下はその時に書いた文章です。
-------------------

崇敬会会員のみなさまへ

ようやく気候も安定の兆しを見せて、若葉が目に美しい季節となって参りました。皆さまにおかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 
 さて、第二回崇敬会大祭・総会も明るい日差しが降り注ぐ中、無事滞りなく終えることができました。これから十年、二十年、三十年と続くであろう崇敬会の礎を皆さまの真摯なお心で真剣に築いていけることを嬉しく思っております。遠くは北海道や九州、山口からも会員になってくださる方もいらして、遠くからも近くからも広く御歳神社の輪が幾重にも広がっていることを何よりありがたく思います。

 今年は10月30日に平城遷都1300年祭記念イベントの一環として「御歳神社の奥山登拝と、能葛城顕彰の会」を御歳神社で開催いたします。皆さまのご協力、ご支援を頂ければ幸いです。
 昨年9月に発足いたしました「おとしだまの森倶楽部」での奥山整備活動も10月のイベントに向けて登拝路の整備に力を注ぎたいと思っております。
 昨年、5月3日の御田祭りではお田植え神事が数十年ぶりに復活しました。少しずつ充実させてよりよいお祭りにしていきたいと思っています。今年は御田祭りの際に宮司就任報告祭を行います。
 御歳神社がお年玉の起源に関わる神社だということも、少しずつ浸透しつつあります。「トシ」の持つ意味、意義を今後も掘り下げて御歳神さまの御神威をもっと知って頂けるようにしたいなあと思っています。

崇敬会の輪と重なるようにして、氏子さんの輪、「おとしだまの森倶楽部」の輪、「葛城顕彰会」の輪、地域を良くしていこうという地域の方々の輪、ネットを通して全国から御歳神社に熱い視線を注いでくださる方々の輪…など様々な輪が優しい響きで響きあって取り囲んでいるその中心に御歳神社の神さまが居てくださる…微笑みながらご覧になってくださっている…だからこそ、特別な空間であり、特別な御神域は、さらに清らかな光を発しながら保たれているのでしょう。

人一人の小さな力がたくさん合わさって何かができるのだと、この場所に居ると実感いたします。皆さまにもその心地よさを感じて頂けたら嬉しいです。今後とも、良いご縁が広がりますように念じております。どうぞ末永くよろしくお願いいたします。

平成二十二年四月二十日         
葛木御歳神社 宮司 東川優子

樹齢1000年

2010年03月15日 | 思うこと
鶴岡八幡宮の樹齢1000年の大銀杏が根元からばっさと倒れたニュースを見た。

あれだけの大木が倒れたのに、石段にも狛犬にもかからず、
もちろん、けが人も出さずに倒れた。

ああ、さすが、御神木。
見事な最期だなあと思った。

1000年もの間、人々を見守って下さった樹。
本当にお疲れ様でしたとテレビに向かって思った。

根はまだ生きていて、ひこばえが出てきそうだということで、
ああ、幼樹がまた成長していく過程が楽しみだなあと思う。

しかし、倒れた幹を輪切りにして再生を試みるのだと聞いた。

もう十分生きてくださって、ようやくその長い一生を終える。
再生した木は、樹齢1000年の老樹の命なのだろうか。

先の日記で、御歳神社の御神木の老樹をUPした。
少しでも長生きしてほしいと思う。
でも、もし、倒れてしまったら、ただ静かに感謝の祈りを捧げたいと思った。







確信に変わる時

2010年02月03日 | 思うこと
感情的に揺れなくなると、
静かに進むことができます。
確信した…ということかもしれません。

確信が得られれば、よりよい方法も探せるものです。

常に無常。
とらわれずに進むべき時です^^
にっこりほほ笑みながら。。。

今日は節分。明日は立春。
ずいぶん日が長くなりましたね。


簡単なことかも。。。

2010年02月02日 | 思うこと
何をすべきか、迷ったら、
自分が何のためにここに居るのかを考えればよい。

ずんずん掘り下げて、装飾を取り外して、
目的は?と問うてみればよい。

世の中に、確かなことはあまりないものだ。
世の中に渦巻く雑多な人々の思いは、
さながら、風に舞う木の葉のようなもの。

木の葉に翻弄されて、「木の葉隠れ」のように見えなくものの奥を探すのだ。

自分が掴もうとしたものが、その時点での真実なのだ。
真実も刻々姿を変えるかもしれない。
それでも、追い求めれば、いつか、装飾の奥に隠れた確かなものに出会うかもしれない。

出会わなくても良いのだ。
出会えるであろう方向へ向かって、追い求めることこそが、
重要な意味を持つ。

・・・・・・・・・・・・・・

私が大切にするべきもの。。。
私は神社の神主なのだから、もちろん神さまです。
御歳神社におわします神さま。

私が迷ったら、御歳神社の神さまがこうありたいだろうと思える方向へ進みたいと思います。
それが「理-ことわり」なのですよ。

本当に正しいかどうかは、誰にもわかりません。
ですが、正しいと思う方向へ行くことなら誰でもできるのです。

私は神主ですから、神さまの存在を信じています。
ですから、間違ったら、偉大な神様が修正してくださると思います。
その声をいつも聞ける者でありたいと思います。

迷ったら、あるべきお社の姿を思い浮かべて動けばいい。

ああ、簡単なことかもしれない。。。


実り多き一年でした

2009年12月30日 | 思うこと
今年も残り僅かになりました。
今年は喜び多き一年になりました。

4月に崇敬会を立ち上げました。
本当に神さまが集めてくださったとしか思えない素晴らしい方が
会長、副会長に就任してくださいました。

9月には御歳神社の奥山整備のための団体「おとしだまの森倶楽部」を立ち上げました。立ち上げには、なくてはならない方が現れるものです。

ずっとやりたかった活動が、ようやく形になりました。


今から5年前の3月、御歳神社の神職になろうと思い立ちました。
それからの5年間、5年間とは思えない長い長い道程を越えて、
ようやく今年、結実したのです。

霧の中を手探りで。闇の中を壁にぶつかりながら。奈落へ沈み込むような恐怖の中で。。。

自分のやっていることが正しいのかどうか。
それが大きな圧力となって迫ってきます。

それでもいつも、光を感じていました。風を感じていました。
それは日に日に強くなってきました。
そう。
御歳神さまの光と風です。

私の苦しみも、私の喜びも、すべてご存知です。
私が方向を間違わないように、いつも見守っていてくださいます。
だから、私は、自分を信じて進んでみようと思いました。

一人で悩み考えていたことも、今は相談できる人たちができました。
御歳神社は今や、賢者の護りによって守られています。

私一人で守ろうとしていた頃には想像も出来ない喜びです。

人とのご縁は不思議です。
神計らいとしか思えません。

無私の心で、御歳神社に吸い寄せられてくる人々。
これだけの人材の宝庫は、そうあるものではないと思えます。

御歳神社は今、新たな黎明期です。
神さまの計画はすでに発令されているのでしょう。
これからどうなっていくのか、ワクワクしながら楽しんでいるのです。

これほどの喜びが待っていようとは想像だにできませんでした。
そんな私を、御歳神さまは優しく微笑みながら迎えてくださいます。

今、ようやく黎明期を迎え、これからさらなる歩みを進めていかなくてはなりません。
ただひたすら、私は持てる力、持てる業のすべてを注ぎたいと思います。
それは喜びであり、必然であり、「生きること」そのものなのです。

これから先も、様々な困難に出会うことでしょう。
でも、今は、信頼できるお仲間がいます。
神さまの方を向いていれば、きっとお導きがあると信じられます。
だから、大丈夫。
光の方へ向かって歩いていきましょう。
御歳神社を愛してくださるすべての方々とともに。。。

再生の町

2009年10月21日 | 思うこと
NHKで「再生の町」というドラマをやっていました。
見ながら、まさに御所市と重なりました。

http://www.nhk.or.jp/dodra/saisei/about/index.html

御所市は財政状況全国ワースト3位というありがたくないことで、有名になりました。
破たんした夕張市、神戸市に次ぐ地位です^^

私は以前の御所市の市役所の様子は知りません。
でも、ここ数年、神社の神主として市への陳情から始まり、奥山整備申請で市の農林課に通うなど、市役所に出入りすることが多くなりました。

御所市は前回の選挙で、今まで政治とは無関係だった新市長が誕生しました。
市長誕生にも、市民運動の盛り上がりがありました。
私も、市長誕生を応援していたので、その後の御所市のゆくえを見つめていきたいと思っています。

御所市は財政は破たん直前ですが、歴史的な財産があります。
今まで、目を向けられてこなかった、古代からの遺物や歴史のある神社仏閣から、活気を取り戻せないかと考えます。

民間の力も使って官民あげて御所市を良くしていくことを考えていければ、まだまだ再生の道はあるように思います。

御所市には、「ごせまち」の文化保存を考えている「ごせまちネットワーク・創」や、葛城地域の寺社はほぼすべて入っている「山麓の風景ネットワーク」、吐田郷保存会、佐味郷の「さびごーネット」、市政に民間から提言をしようという「東風の会」など、民間の会が活発に活動しています。

いままで単発で動いていたこのような会が、官民入り乱れて、連携していければ、御所市を良くしようという気運が高まります。

みんなが元気になるように。
できることを無理せず行うことで、楽しみながら地域再生を目指していく。
スタンスは楽しむことです。
楽しむために、少しずつ労力を負担します。

楽しむためには、楽しくないこともしなくてはなりません。
それも覚悟の上で、それでも、やってみることは、喜びをもたらします。

今、葛城ゆかりの能楽や狂言を神社仏閣で行う会ができないかと検討中です。
市役所の方にも、頻繁に相談しながら、何とか、御所市に根付く文化事業にしたいと思っています。

とりあえず、来年は、平城遷都1300年記念事業として、御歳神社で能楽公演を行います(11月23日)。そのあと、それをさらにグレードアップして、「葛城能楽会」のような形で、地域の活性化につながる形にできないかと知恵を絞っています。

破たん寸前という危機的な状況は、ある意味、良い機会なのではと思います。
官がしっかりしていたら、私たち民間が関わる隙間もありません。
また、官が危機感がなければ、民間の力を活用しようという気持ちも薄くなるでしょう。
皆が危機感をもっているからこそ、可能になることもあるように思います。

まだまだ、机上の話ですが、これが長い伝統行事になっていければと思います。


「何のために?」

理屈はいくらでも付けられますが、
ひとつ、言えることは、葛城を愛してしまったのですよ。

葛城の土地の記憶を呼び覚ましたい。
長い長い間、土地にしみ込んだ歴史の重みを
私たちは肌で感じているのです。
それが、大きなうねりとなって、私たち個々の人間を動かすのです。

突き動かされる快感。。。
葛城の神さまが強い後押しをしてくださっているのかもしれませんね。

思いがけず。。。

2009年09月18日 | 思うこと
一度は諦めて先送りしようかと思っていたことが、
突然、ふいに180度転換してうまく運びました。
それも、マイナス×マイナス=プラスになるような不思議さで。。。

面白いなあ~

今回は、ちょっと悪い流れが来そうな予感があって、
かなりドキドキしました。

その時にいかに冷静に対処できるかですね。
焦りから、悪い幻影におびえては、正しく事を動かせません。
気持ちがくさってしまうとどんどん悪い流れを呼びます。
目の前の事柄を冷静に見て、導き出す道筋を探ります。
うまくいく時と、失敗する時がありますが、
やはり信じて進めば道は拓けるということかもしれません。

今回は、結構、力技も使いました。
如何に説得するか。
自分の利益だけを言ってもうまくいくはずがありません。
うまく折り合いをつけて、自分が冷静になることで、
相手にも冷静に考えてもらえます。

思っていた以上に良い形で決着出来てホッと安堵しました。

その日の午後、市役所の農林課の方が整備対象の山を見たいとお越し。
頂上まで登りたいという話で長靴を履いて出発。

秋の爽やかな陽気と、安堵感からのルンルンで、
ハイスピードで頂上まで一気に登りました。
(農林課の一人が途中でギブアップでしたが^^;ごめんなさい!止められなかった!)

気持ち良かったです♪
まだもうひと頑張りですが、
神様のお導きを感じて進んでいきたいです。





判断に迷う時は

2009年08月26日 | 思うこと
常識というのは、誠に厄介です。
自分の基準が結構常識だと思っているのですが、
実は常識とは、基準があるわけではなく。

100人の人間がいて、80人がYesと言えば、常識なのでしょうけど、
実は、80人の人間にとってどっちでもよい問題の方が多い訳で。

残りの20人のうち、一人が声高に宣言したら、
19人が「違う」と思っても、さっきの80人が、「うん!」というかもしれない。

それも、「常識」なのかもしれません。



思うに。

どっちが良いか、判断に迷う時は、
出来るだけ、即、判断をせずに、流れるままに流してみるのが良い気がします。

そのまま流れるままで、問題が生じなければ、それで良かったということでしょう。
それで、「やっぱり違うのだ」と肌で感じたら、方向変換すればよいのです。
一旦決めれば、動けるものです。


違和感がある時は、無理をして動かないのが良いように思います。
「時機を見る」というのは、そういうことなのでしょう。

最近、そんな動き方を心がけています。
ですので、進む時は一気に進みます。
でも、実際の動きに入る前に、容器の水がいっぱいに満ちるように
内側では目に見えないですが、動いているのだろうと思います。
網の目のように布石があってこそ、一気に動かせるのだとも思います。

「こうあるべき」にとらわれ過ぎると、
容器に水が満ちる前に動いてしまいます。
その時はエネルギーは十分でなかったりします。
「機」を見て。「気」を見て。
それとともに、自身の気力を充実させておかないとね!
動き出す時にちゃんと動けるように。。。♪


物事を進めるのは。

2009年07月21日 | 思うこと
明日は新月で日食です。

ようやく奥山整備の申請書類が整ってきたので、
明日はその総仕上げをする予定でした。

ですが、今日の夕方から夜、
バタバタと明日紹介したい人がいますと電話が二件。
夏越しも近いのですが、こういう御縁は、断れない。
繋がりかけた糸を自ら切るのは賢明ではない。
多少無理すれば会えるのなら、会う方を選択します。
御縁はそうして繋いできました。

明日は、新月で、日食。
岩戸が開くのかな~

明日お目にかかる方々はきっと浅からぬご縁がある方なのでしょう。
楽しみ、楽しみ。。。

プラスの方向で忙しい時は疲れても回復します。
ああ、夏越しはバタバタで突入せよ!ということね^^
今回の課題はそういうことか。。。

祭典前日にぐ~っと気持ちを高めないと。。。
その心構えですね^^

奥山整備も同じタイミングで仕上げます。
新月と日食のエネルギーを頂かないと~

ちょっとくらくらします。
そのすべてをワクワク楽しみにしています。

物事を進めるのは、起こる事象ではなく、
心構えです。
状況ではなく、意志の力です。

私はそんな風に信じています。。。



おみくじ

2009年04月26日 | 思うこと
夜半から、葛城は嵐です。

春の嵐というより、冬の嵐の様相です。

季節の進み方がちょっと変。。。

たくさんの人のエネルギーが、
自然に働きかけるという事があるのかなあと思うことがあります。
もちろん、科学的な根拠はない話ですが、
良い気を発するとその場の空気が和む。
悪い気は、空気を乱す。
それが、集合体となって、大きなエネルギーになるというのは、
何となくありそうな気がします。


昨夜、ちょっと気になることがあって、
神様にお伺いをしたくて、おみくじを引きました。

御歳神社のおみくじ、ものすごくストレートでいつも驚きます。

昨夜引いたおみくじの和歌

「ひきしおの
  引くはみちくる
    あしたあり
心静かに
  ときをまつべし」

先日引いたおみくじの和歌

「吹く風に
  沖辺の波の
    高けれど
心静けき
  我が港かな」

そんな心境でいられたら良いですよね。

騒がしい周りに同調しない。
ダメな時は、慌てず騒がず、
いつか何とかなるさ!と
大きく構えて動じず。

細かい一つ一つにこだわると、
大切なものが見えなくなることがあります。
個々の事象は全体像のパーツと捉えて、
やるだけの事をやったら、
そのことに自信を持って、
あとは、優しい風が吹くのを静かに待つ。

そういうことですよね?
神様、優しく見ていてくださっている気がして、
嬉しかったです^^


ブランデーを飲みながら。。。

2009年03月29日 | 思うこと
お酒は色々美味しいけど、
ブランデーはやっぱ、良いですよね~
時々、ブランデーが無性に飲みたくなります^^
(ただの酒好きですが^^)

ブランデーは寝る前のお酒ですよね^^
チョコをかじりながら。。。

今日は懸案事項が解決!
ホッとしました~
皆さまのご協力の賜物です~

このところ、ああ、すべてが流れるままに流れるのだと思えたりします。

懸念があったりして、あたふた焦ることもよくあったのですが、ああ、あせらずとも、きっと良い方向に流れていくはず。。。という気持にもなります。

今日がまさにそうでした。

神社の事は、神様にお任せしていれば、ああ、なるほど、ベストかも?と思う所に帰着します。

今日がそうでした^^
本当に良かった!


さて、今日のことではないのですが、
何事も焦りは禁物です。
焦りのまま感情に流されることだけを気をつければ、
心配することはないのですよね^^

時々落とし穴があります。
感情のポケットですね^^
そこに落ち込むと、マイナスのエネルギーを出してしまったりします。
それは、せっかくの道筋を壊しかねません。
感情のポケットに落ちて、もがけば余計に出れなくなります。
冷静になるまでしばらく待たねば。。。
その間、時々誰かに迷惑をかけてしまうこともあります。
それは自分をも落ち込ませます。
落ちない工夫も必要ですが、人間だから落ち込むこともあります。
落ち込んだ時にいかに冷静さを取り戻すか。
反省材料にできるかですね。

ふふふっ、道のりはなかなかに遠いなあ~
でも、少しずつでも、歩いて行きたいな^^

あはは、まだまだ、未熟者ですが、
これが今の私。
それを認めるのも大事なことですね^^

年の瀬2008

2008年12月30日 | 思うこと
いつも年を越す前に、何か書いています。

今年は久しぶりに穏やかな心持ちで年の瀬を迎えています。

嵐も過ぎてしまえば、微笑みながら眺められます。
もしかしたら、もっと違ったやりようがあったのかもしれません。
でも、私は私なりに、精一杯やってきた結果が「今」です。
だから、後悔はありません。

ようやく乗り越えて、少しはたくましくなったかも?
色々な経験は、一つとして無駄にはなりません。
生きてさえいればね^^

「公」としての役割が、ずいぶん高まった年でした。
ようやく動き出せた私に、新たな舞台が用意されていたような嬉しい気分。
「公」として動きたい。
それを強く思った後半でした。

でも、それは「私」を置き去りにするのではなく、
「私」があっての「公」の立場。
「私」の感性をもっともっと磨いて、理解できる範囲をもっと広げたい。
心と心の繋がりを大切にして、心に響き合う関わりを持ちたい。

何をするにも、人との関わりは不可欠です。
しんどい事も多いけど、本当の喜びは、人との関わりの中で生まれます。

まっすぐに、まっすぐに。
それしかできないなら、それでいいですよね。

新しい年がやってきます。
大切に過ごしたいな。

世の中、なんだか暗くなってきました。
厳しい時代に入りそうです。

でも、それを何とかするのも、人の力の集合体。
新しい年が、良き年となりますように。。。


ようやく。。。

2008年11月25日 | 思うこと
ようやく、動き出せる状態になった気がします。
この2年、どうも空回りしていた感がありました。
こういうときは焦れば焦るほどかえって空回りします。
芽吹きに向けてじっと待つべき時期かもしれないと自覚していました。
色々な状況を乗り越えて、やっとまた衣を一つ脱ぎすてて身軽になったかもしれません。
昨年からこの一年、心がざわつくことが多かったなあ。
失敗も繰り返しつつ、ようやくあるべき自分を取り戻せたかも?

いつものことで、ホッと一息もつかの間、また次なるステージへ登って行かなくてはならないことでしょう。
それは、生きている証しでもあります。

新嘗祭のお祭りを心穏やかに迎えられたことを嬉しく思います。
新たな素晴らしい出会いもたくさんありました。

ようやく、自分の立ち位置とか、進みたい方向が、おぼろげながら見えてきた気がします。ひたすら走り続けたこの数年。いつもちゃんと見守って下さる存在があったのだと思えます。

私はここに居ます。
それは必然で、間違っていなかったはず。
というより、私はそれを自ら選択したからこそ、ここに居るのです。
「間違っていようがいまいが、ここに居るんだからしゃーないやん!」ってのが本音ですがね^^

人生って面白い。
まだまだ面白がって進んで行きたいです。
ああ、人生は楽し!
そう思える自分がここに居ることを幸せに思います。

シイの木さま

2008年06月05日 | 思うこと
今朝も長いこと、座ってました。
ここの拝殿で。。。

気持ちいいのですよ。
誰もいない拝殿ですが、気配がいっぱいなのです。
風や鳥の声、木がきしむ音、何かわからない音。

座った瞬間。あっ、風が来た。。。ということがよくあります。
で、気が済むまで、目を閉じて風を感じて心を巡らせます。
考えている時もあるけど、ただ、夢のような感覚で、
漂っているほうが多いです。
しばらくして、目をあけると、さっきと違う風景が目に飛び込んできます。

心に澱みを感じている時は、流すように念じます。
誰かに教わったわけではありませんが、手の先から、
さらさら流れるような感じ方で、流していきます。

心の中には、必ず、光と闇がありますよね。
誰でも両方持っていて、人なのだと思います。
でも、光の部分を出していたい。
闇とか、負のエネルギーが湧いてきたら、うまく流すように試みます。
こういうとき、部屋の中より、屋外の方がうまくいきます。
私は、私がお慕いしている神様の御前で話しながら、流すようにします。


大いなるモノの前で、私は小さきものとして、
伏して拝む。
この感覚は、何というか、とてもありがたいのです。
突っ張らないで済むというか、肩肘張らずにいられるというか、
子供のように甘える感覚というのかな。

「祓い給へ 清め給へ 護り給へ 導き給へ」

神道の拝礼はこの四つの言葉で良いのだと思います。

神道では、明るく元気に活き活きと生きていくことが、
何よりのこととされます。
至極簡単な教え。
でも、これが結構難しい。

「笑顔でいられますように。」

この一言でも良いかもね。

このところ、これがキーワードだと心底から思えるようになりました。

難しいけれど、誠実に前向きに歩いて行ければ、
満ち足りた歩き方なのかもしれないと思います。

なかなか、言うは易しですがね。

でも、一人では、とてもしんどいです。
友たちがいるからこそ、できるのかもしれません。
ありがたきかな。

私の大好きなシイの木さまを久々に写真に撮りました。
いつも守ってくださっている大いなるお方です。