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2018.12.27 さんそう会ランチと、12年前の「支援講座」の仲間。

(12月13日)

12年前、大阪市の主催で「ネットショップ支援講座」が開かれた。
そこで、2ケ月間(週1回  計8回程)講習を受けた。
講座そのものは30回ぐらい続いて、私達はその27回生だったと記憶する。 

ネットショップの運営の仕方や、留意事項、クレーム処理の大切さなど必須の
営業手法を、当時まだネットショップそのものが世間に出始めた頃だったが、
その時すでに先駆けで成功している人々を講師に迎えて、大変有意義な講座を
開いてもらった。

有難いことは、大阪市は、市外県外の希望者も受け付けてくれることだった。
私の様な兵庫県の者も、遠くは横浜、和歌山、広島からの受講者も多く来ていた。
さすが商業の街大阪、商業への支援の姿勢が違うと思った。太っ腹だなと思った。
他の都市では、もしかしてその後も「ネット支援講座」は無かったかも知れない。

30人の受講者は、会社の方針で受講している人、既存の店の後継者で今後の為に
ネットショップを検討している人、花束贈答、餃子屋、タオル、印刷業など自分の
商品や技術をネットで販売したい人など、若い人が圧倒的で、半分以上が20代で、
30代40代も居たが、それ以上はほとんどおらず、もちろんその時68才だった私は
一番年上で、自分の年を隠して居た。

 

 

当時の参加者は30名、その後懇親会を何度かして、最初の頃は大勢集まったが、
12年後の今は、この3名に定着した。
講座の会場であった大阪市の 「大阪産業創造館」(産創館)から名前を頂いて、
私は「さんそう会」と名付けている。 
 

今回のランチは、上海出身のOさんが、来日30年以上になるが来日以来一度も
美味しい中華料理に出会ったことが無いと言うので、それは残念、ぜひ元町の
別館牡丹園で食べてとお誘いしたが、今日は残念ながらどれも美味しくなかった。
いつもは抜群に美味しいのにな〜! 残念!;;

 

 

中華料理の後、Oさんが「ユーハイムのミートパイが食べたい。美味しいよ。」
と目を輝かして言うので、そこへ行く。大阪人なのに、色々知っていてびっくり。
 
先日会った時、男性のKさんが整理しようと考えていたショップを、若いOさんが
引き継ぐ話が急遽持ち上がり、両方共願ったり叶ったりのことになりそう。
若い人は、仕事をどんどん増やして成長する。横に居る私迄、わくわくして来る。
後継者不足の世の中、若い人がやってみたいと名乗り出たケースだった。
 
ネットショップ10年以上のキャリアを引き継ぐと言うことは、新規参入に比べて
圧倒的に有利であるばかりでなく、引き継がれる方も店が消滅する寂しさから免れる。

Oさんは若いだけでなく、プロのネットショプデザイナーなので、もしかしてあっと
言う間に軌道に載せるかも知れない。 
 
 
 
 
お茶が済んで、ユーハイムの店を出ると、入り口で、何と!元の職場の同期入社のOkさんと
ばったり。彼女は、丁度この店に入ろうとしていた。手を取り合って喜ぶ。 
すると、彼女が「私を一人でお茶させるつもり?」と言ったので、了解を得て先の2人と別れ、
彼女ともう一度店の中へ戻る。
 
今度は2階で、又おしゃべりタイム。(写真は、いつも食べかけばかりで済みません。)
彼女は、大変な物識りで、話せば話す程面白い。
特に、神戸の歴史と、食べ物の話が面白い。
 


なお、産業創造館での受講者30人の方々だが、1年程経った頃、ネットショップ構築状況
を調べると、16店UPされていた。
「わ〜!みんな頑張ったんやね。 凄いね。^^」と、Oさんに言うと、彼女はびっくりして
「皆さん、業者に頼んだんよ。え〜?知らんかったん? 自分で作ったのは貴女だけよ。 
皆、250万〜300万掛けて頼んでるんよ。」と言われて、私は仰天した。
私は、そんな大金は無いので自分で作ると決心したのだが(当時大阪市が準備した無料相談の
相談員の1人であるIT会社社長に相談すると絶対無理と言われた)、私以外で自分で作ったのは、
この素人に混じって講習を受けたプロのウエブデザイナーのOさんだけだったと知った。
 
彼女は、その頃ネットショップ制作会社に勤めていたが、自分でもショップを持ちたいと考え
運営方法を学びに参加していた特殊なケースだった。
彼女によれば、ネットショップは5〜6人で協力して作るので、 300万掛かるものらしい。
だから私の様に、素人がたった一人でしかも大量の商品(1400)をUPするのはすごいと言っていた。

確かに七転八倒したが、ネットショップの構築そのものを分かっていなかった私のサイトは大失敗
していて、私はそれさえ分からず、その後彼女のアドバイスで1400個の商品を区分を分けたり、
作り直したりして、全面的な修正を何度も重ねたので、七転八倒どころか辛酸を嘗め尽くした。
脚と手を悪くして動けない程になったが、止める訳にはいかなかった。
13年前、急遽思いがけなく転居余儀なくなった私には、高額の家賃の確保が死活問題だった。
(その目的は、今でも全く叶えられていないが。)
でも、それを続けられたのは、何と言っても、私がこの仕事が大好きだったからだと思う。 
 
何回もの修正を「私がやれると思っていた?」と彼女に聞くと「貴女なら、やると思っていた。」
とOさんは言った。
その答えに感動した。でも、もう今の歳からは出来ない。やっておいて良かった。
0さんというプロの知人が居る自分は、幸せ者だとつくづく感謝している。

 

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