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2009.05.16 感謝の仲間(その3)

<感謝の仲間(その3)>

業者の好意で、家の前にあった土嚢袋の山は、徐々に減りました。

でも、庭の瓦礫の山は、懸命に土嚢袋に詰めても詰めても、そして
どんなに廃棄に努めても、庭に盛り上がったままで、全く嵩が減り
ませんでした。
やっぱり、これが天災と言うものかと思いました。
屋根から落ちた瓦礫の嵩は、人の太刀打ち出来る量ではありません
でした。

我が家は昔の家なので、屋根の構造は木を張った上に、分厚い土を
乗せ、その上に重い重い日本瓦が乗せられていましたので、そして、
それらが全部ずり落ちたので(お陰で、梁が折れず家は助かりまし
たが)、半端な瓦礫の量ではなかったのです。

私もそれ迄知らなかったのですが、瓦というものは、小さなかけら
でも信じられない重量で、工具を持たず人の手だけで運び出すには
限界がありました。
あれだけやったはずなのに、全く片付いていない。いつまで掛かる
か、見当が付かないと言うのが実感でした。
すでに4月も終ろうとしていました。

5月の連休には、司令官は毎日来てくれました。私の方は身体を壊
して休みがちでした。寒い小雨の降るゴールデンウイークでした。
彼は、一人で頑張ってくれましたが、「1日中瓦礫を片付けても、
夕方見ると、『一体、何処をどうしたの?』と思うほど、朝と夕方
と、見た目は何も変わらない。」とショックを受けていました。

思いあまった彼は、自分の大学生の息子さんのラグビー部の部員に
頼んで手伝ってもらうと言い出しました。
ところが私が、ラグビー部員ならお腹を空かせているでしょうから、
仕事が終ったら、庭でバーベキューでもして上げないといけないの
では?と言い、そして謝礼のことなどを心配した為、私に心配を掛
けない様にと、区役所にボランティアを頼もうと言うことになりま
した。

バーベキューのことは、近所の人達が、互いを励まし合う為にして
いたことがあったので、これは、良いことだと思ったからです。

そして、私も瓦運びで、とうとう膝を傷め、曲げられなくなったの
で、ボランティアに頼むことを、司令官にお願いしました。
司令官は、区役所まで出向いて依頼してくれました。
彼は、区役所へ行く道は目をつぶっていても行けると、いつも言っ
ていました。(電車で数駅あり、その上、相当距離歩きます。)
私の為の様々な証明を取ったり、質問や相談の為、何度出向いてく
れたか分りません。

ところが、依頼に行くと、もう、ボランティアは解散寸前ですよと
区役所は驚いたそうです。滑り込みセーフでした。
その時、もう、5月の半ばでしたした。(震災後4カ月)

そして、ボランティアの来てくれる日が決まると、司令官は、町中
が全壊しているので、地図とは全く様相が違っているので、ボラン
テイアが我が家に辿り着けないと困ると言って、私の苗字を書いた
白いプレートを特注してきて、我が家の入り口にボンドで張り付け
に来たりして、準備をしてくれました。
ボンドが多すぎたので、乾く迄30分押さえていたと笑っていました。
こうして、全員で来る時以外でも、何度も一人で来ては情報を収集
し、準備してくれました。
この配慮と情報収集力こそが、復興作業に一番大切だと知りました。


いよいよ、ボランティア来訪の1回目、学生十数名と、京都からの
弁当持ちの主婦二人が来てくれました。
学生達は、パン箱の様な、平たい大きなプラスティックの箱を用意
していました。良いアイデアだなと思いました。
そこに瓦礫を入れて、2人叉は3人一組で、とても重いはずのその箱
を幾度も運び続けました。
私達は、そんな便利な道具が無かったので苦労しましたが、でも、
もしあったとしても、私達には、それを運び上げる力は無かったと
思います。
私の支援者のほとんどは、中年の女性でしたので、若い大学生達と
の腕力の差を目の当たりにして驚きました。

ボランティアの主婦二人は、もっと早く申し出られたら来ましたの
にと言ってくれました。
私は、自力で復興しようとしたけれど、膝を傷め曲げられなくなっ
たので、お願いすることにしましたと言いました。
この二人は、玄関脇の瓦礫の撤去をしてくれました。
優しい方々で、癒されました。何回目かの応援だったそうです。

私は、自力で復興出来る者は、ボランティアを頼めないと思ってい
て、自分が膝を傷め、作業が出来なくなる迄、ボランティアを頼む
という発想を持っていませんでした。
これだけの支援者があるのだから贅沢だと。
一人暮らしの年輩の方で、身寄りも、頼める人も無い人のものだと…。

でも、そんなことは無かった様です。
皆さん、積極的に頼まれていましたよ、とのことでした。
本当に、そうでした。天災を、甘く見ていました。
私の無理した膝は、その後、更に筋肉を落として持病となりました。

友人達にも、家には介護の必要な親を持っている人もありましたが、
私は好意に甘えて、苦しい目に合わせました。
役所にボランティアを申し出てくれる方々は、その支援を望んでく
れているのですから、お願いしますと、力に縋っても良かったのだ
と思います。
           
             <感謝の仲間(その4)>へ続く

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