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2019.07.28 親友のばらさんの命日(満三年目)

(7月21日)

7月21日は、元職場の友人で50年来の付き合いだったのばらさんが亡くなって、
三年目の命日だった。(四回忌とは言わない。もうお祝いなのだとか。) 

50年前、のばらさんとさくらさんと私の三人は、元職場の窓口で並んで座っていた。
この三人が仲良くなり、毎日毎日、仕事が終わってから甘いものなど食べに行き、
おしゃべりして必ず一緒に帰った。2人は、私よりも8才年下と、9才年下だった。
喫茶店で充分しゃべっているはずなのに、又、別れ際に改札でおしゃべりが続いて
なかなか別れない。 これには、笑ってしまうこともあった。
のばらさんは超おとなしく、さくらさんも口が重い方。私は、おしゃべりの方。
でも、この時だけは3人共良くしゃべった。いや、しゃべらなくても良い関係だった
かも知れない。

その内に、のばらさんも、さくらさんも結婚して、ご主人が東京転勤となり東京へ。
しばらくして、さくらさんが帰阪して2人で会っていたが、その内に駅が隣同士の
2人がJRの階段で電撃的に再会したと、さくらさんから大騒ぎで連絡があった。 
その後、又三人での付き合いが始まった。

のばらさんは、以前の通り格別に優しい人で、人のお世話と車の運転が大好きだった
ので、私達は、彼女の運転で色んなところへ行き、本当に幸せな日々を過ごした。
西宮のおそば屋さんで、当時の職場の先輩男性に会った時(名乗ってくれたので分かった)、
「あんた達、まだ付き合ってるの?」と驚愕していた。 

それからしばらくして阪神大震災で我が家が全壊し、自宅復興に多くの友人達にどれだけ
お世話になったことか。
おとなしいのばらさんは、目立たないところで真剣に「副司令官の役目」をしてくれた。
1年半の避難生活中に、私はもし生きて神戸に戻れたら(無理かも知れないと思っていた)、
その頃めきめきと姿をもたげて来たパソコンにて、第二の人生を得て、多くの方にご恩返し
をしようと一大決心をして、一年半後ようやく神戸に戻った後、マッキントッシュを手に入れ、
始めて握るマウスに突き動かされ、定年1年前に退職し、新しい道を模索する生活に突入した。


始めの10年間はコンピューターグラフィックへの道を模索した。偶然作品展開催にも至った。
この間、この一番大人しい彼女が、どんなに徹底的に励まし続けてくれたことか?
彼女はボランティアで介護の仕事をしていて、帰宅は毎夜11時15分だったが、それから電話
で話そうと言ってくれて、嫌がることは只の一度も無かった。
そんな多忙の中、私のことを全面的にバックアップしてくれた。
遅い帰宅に、私が「喜んでおられるでしょう?」と言うと、「え?誰が?」と言う。
「相手の方がよ。」 と言うと、「え〜?喜んでいるのは私よ。」とサラリと言う。
(この話を、一回忌の時に披露させて貰ったら、優しい3人の娘さんが感激していた。)

その後、車椅子の人をワゴン車で、病院や美容院に連れて行く仕事をしていた。
細い細い身体で、力自慢だった。
その間に、ガラケイで私のホームページ、掲示板、ネットショップ、ブログすべてを毎日、つぶさ
に見てくれた。まるで、自分の仕事の様に。
詳しいことは解らないと言うけれど、しかし彼女の「良いやんか!」がどれだけ力になったことか?
それで、「ストン」と憑き物が落ちて、納得して、先へどんどん進めた。
朝の遅い私に、朝11時過ぎ「おはよう。オーチャン、起きてる?」ときれいな声で電話をくれた。
一日中座り過ぎで、脚が駄目になった時、彼女は仕事の無い日は連日車でやって来て私の脚に
なってくれた。
神戸から今の家に転居する時は、引越迄の2ケ月間毎日車で来てくれて、手伝ってくれた。 

手探りの苦しい時期から、励まし続けてくれて、何かを成し遂げる度に、心から誉めてくれた。
彼女程の誉め上手を、私は知らない。
まるで歩き始めた幼子が、「あんよは上手!」と優しく手を打って誘導されて、キャッキャッと笑い
ながらよちよちと大地を一歩ずつ歩き出す様子、まさにあの風景を思い胸がキュンとしたものだった。 
さすがに孫が6人も居る人だと思った(その後8人となった。) 
こう言う人と巡り会える人は、世の中に何人居るだろうか?
私はツイテイル! 毎日毎日そう思っていた。
(本当は、これの百倍書いても足りない程の出来事があるが、際限がないので筆を擱きたい。) 

大切な人を失うと3年間は辛いと聞いたことがある。しかし、悲しみと喪失感は募るばかり。
今では、「彼女は人間ではなかったんだ、やっぱり観音様だったんだ」と思っている。

ご主人と三人のお嬢さん達に、私達の生きている限り、お邪魔でも今後共命日の墓参に参加
させて頂けないかとお聞きすると、快く応諾してもらえた。私とさくらさんは、ホッとした。 
 

 

「樹木葬」の墓前で。

 



懐かしい思い出話をしながら、お食事を頂く。
娘さん達、お孫さん達、皆さん優しく穏やかで、さすがのばらさんの
ご家族だなとつくづく思った。 



<彼女を失った「魔の半年間」の出来事>
3年前彼女が入院した後、私は6/28に道のブロックに足を引っかけて転倒し、眼鏡が割れて
ガラスの破片が3本頬に突き刺さり、救急車で運ばれて縫って貰う事故があった。
(こんな時、何はともあれ連絡する筈ののばらさんが、真っ先に駆け付けて横にいてくれる
筈ののばらさんさんが居なかった。彼女は胆石の除去手術で入院していた。その後別の重篤な
病気が発見された。)
続いて11/3に夜道の電線に躓いて転倒して眼鏡を割り、翌年1/5に駅のホームで人が正面
衝突して来て眼鏡を割り、私は6ケ月の間に3回事故に会った。
そして、その半年間に、のばらさんを始め、特別に親しい友人を3人失った。

この話をすると、「一体、そんなことってあるの?」と人は驚愕する。
しかし、事実そういうことがあった。 3年前のことだった。 魔の半年間だった。
いつか、書いておきたいと思いつつ、まだ書けないでいる。 

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