チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2010.02.22 阪神大震災の日、香港に居た私(その5)
(その5)
14日(土)15日(日)16日(月)と、楽しく過ぎて行きました。
毎日、有名な中華料理店や、ホテルで、素晴らしい料理を堪能しました。
そして、いよいよ、明日は日本に帰るという前の日の、17日(火)のことです。
皆で、九龍から、香港島へ行くフェリーに乗っていました。
その時、仲間の一人が、怪訝な様子で、「何か変なんよ。…でもそんなはず無いしね。」と言いました。
聞いてみると、「現地の人が読んでいた新聞に、不思議なことが書いてあった。」と言うのです。
もちろん、日本語の新聞ではなく、現地の新聞なので、漢字の字面だけを、とっさに見ただけなので、
まさかと思うけれどと口ごもりながら、「新聞に、<大阪>、<大地震>、<200人死亡>と言う文字が
あった様に思う。」と言いました。
あわてて、廻りの現地の人を見回すと,新聞を持っている人は、見当たりませんでした。
新聞売り場を探しましたが、それも、とうとう見つかりませんでした。
記事を見たという仲間も、勘違いかも知れないと自信が無く、皆も、「まさかね。それは無いでしょう。」
ということになりました。
「でも、もし大阪でそんな大地震があったのなら、神戸も少しは揺れたでしょうね。」
「200人も死亡したのなら、かなり大きいからね。」
「でも、それはうそやわ。関西には地震はこないはずやもん。」
その頃、関西には地震が来ないと信じられていたので、やっぱり間違いだとの意見に落ち着きました。
フェリーが香港島に着きましたので、降りて、一応「日本大使館」に電話することになりました。
私が電話したと思います。
おそるおそる「日本で地震が起こったと新聞に載っていたと言う人が居るのですが、まさかそんなこと
ありませんよね。」と聞きました。
私は、てっきり、「え?何のことですか?」と言われるものと思っていました。
しかし、全く意外な言葉が返って来たのです。
日本大使館員の答えは、「はっきりしたことは分かりませんが、神戸でかなりの地震が発生したのは確かな
様です。でも、こちらも、何の情報も入って来ておりませんので、把握しかねております。後は、ホテル
のテレビを見て確認して下さい。」とのことでした。
(日本国内でも、情報は把握できず、事態が判明し出したのは相当遅かったことを、後で聞きました。)
それを、Tさんに伝えましたら、「今日は、普通にみんなと同じ様に行動してな。気イ使わせたらいかん
から。」というので、それからは、何も無かった様に、香港島の美味しい店へ食べに行って、いろいろな
買物に延々と付き合って、夜遅くになってホテルに戻って来ました。
もう、明日は帰るという最後の日でしたので、遊び納めと言う感じの一日でした。
最初は気になっていた地震のことも、焦りはだんだん薄れて行き、と言うより、心配してもしょうがない、
帰ってみないと何も分からないんだから、と言う気持ちになり、ホテルに戻った時は、不思議なことに、
もうほとんど頭に無かった様に思います。
(その6へ続く)
14日(土)15日(日)16日(月)と、楽しく過ぎて行きました。
毎日、有名な中華料理店や、ホテルで、素晴らしい料理を堪能しました。
そして、いよいよ、明日は日本に帰るという前の日の、17日(火)のことです。
皆で、九龍から、香港島へ行くフェリーに乗っていました。
その時、仲間の一人が、怪訝な様子で、「何か変なんよ。…でもそんなはず無いしね。」と言いました。
聞いてみると、「現地の人が読んでいた新聞に、不思議なことが書いてあった。」と言うのです。
もちろん、日本語の新聞ではなく、現地の新聞なので、漢字の字面だけを、とっさに見ただけなので、
まさかと思うけれどと口ごもりながら、「新聞に、<大阪>、<大地震>、<200人死亡>と言う文字が
あった様に思う。」と言いました。
あわてて、廻りの現地の人を見回すと,新聞を持っている人は、見当たりませんでした。
新聞売り場を探しましたが、それも、とうとう見つかりませんでした。
記事を見たという仲間も、勘違いかも知れないと自信が無く、皆も、「まさかね。それは無いでしょう。」
ということになりました。
「でも、もし大阪でそんな大地震があったのなら、神戸も少しは揺れたでしょうね。」
「200人も死亡したのなら、かなり大きいからね。」
「でも、それはうそやわ。関西には地震はこないはずやもん。」
その頃、関西には地震が来ないと信じられていたので、やっぱり間違いだとの意見に落ち着きました。
フェリーが香港島に着きましたので、降りて、一応「日本大使館」に電話することになりました。
私が電話したと思います。
おそるおそる「日本で地震が起こったと新聞に載っていたと言う人が居るのですが、まさかそんなこと
ありませんよね。」と聞きました。
私は、てっきり、「え?何のことですか?」と言われるものと思っていました。
しかし、全く意外な言葉が返って来たのです。
日本大使館員の答えは、「はっきりしたことは分かりませんが、神戸でかなりの地震が発生したのは確かな
様です。でも、こちらも、何の情報も入って来ておりませんので、把握しかねております。後は、ホテル
のテレビを見て確認して下さい。」とのことでした。
(日本国内でも、情報は把握できず、事態が判明し出したのは相当遅かったことを、後で聞きました。)
それを、Tさんに伝えましたら、「今日は、普通にみんなと同じ様に行動してな。気イ使わせたらいかん
から。」というので、それからは、何も無かった様に、香港島の美味しい店へ食べに行って、いろいろな
買物に延々と付き合って、夜遅くになってホテルに戻って来ました。
もう、明日は帰るという最後の日でしたので、遊び納めと言う感じの一日でした。
最初は気になっていた地震のことも、焦りはだんだん薄れて行き、と言うより、心配してもしょうがない、
帰ってみないと何も分からないんだから、と言う気持ちになり、ホテルに戻った時は、不思議なことに、
もうほとんど頭に無かった様に思います。
(その6へ続く)
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