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2022.03.29 「はじめてCGで描いたお雛様〔その2)」を、再投稿分の続き,その最終」

これまでに書いたことは、そんな私の激動の時代のほんの入り口の幕開けの頃の10年間
のことで、阪神大震災で全壊した家を、ボランティアの皆さんが1年半かかって再建して
下さって、私が神戸に戻ることができたころで、それと同時に、私は職場を辞めて今の
コンピューターの世界に飛び込んで、挑戦したその10年間のことであった。この2つ
の時期は重なっている。
あれほどの思いをして、再建してもらった神戸の家には、10年間住んだ。

その後、思いがけなく家賃生活となったので、年金から家賃を支払う苦しさと経済的な
不安から、体調不調となり、失明事件(勘違いだったが)まで起こった。
これこそ、書くべきことの一つであるが、今回は、触れない。

一大決心をして、仕事探しを初め、たまたま人に差し上げたチタンのカップから思い
つき、これを売らせてもらいたいと、未知のメーカーに直談判して、ネットショップ
運営が始まった。
まだ、ネットショップの黎明期で、私自身、手探りであったが、齧り付くしかなかった。

しかし、その後の苦難こそ、前記の状態の30倍はあったと思うし、よく死ななかったね
と言われるが、それを言われると、分かってくれる人も居るんだと、有り難くなる。
収入については、相変わらず苦しいが、それは、ネットショップに限らない。

最近ストレッチ道場に通った。月謝が高すぎるので、2カ月ほどで止めたが、そこの
所長が、私が重症の脚を直して「近代医学では証明できない」と言われたり、脳腫瘍を
消したり、脊柱管狭窄症で治らないと言われていたのを4ヶ月で治した話をしたら、
すっかり驚いて、「貴女には、覇気を感じる」と言われた。有難い言葉である。

人に私の身体がそこで終わらなかった理由を問われると、私は答えたい。
私の脚が治ったことを先生にも奇跡だと言われたが、私が思うことは、いくら脚と手が激痛
だからいって、自分を守って寝込まなかったから、結果、足と身体がそれ以上は衰えきらず、
今日がある(偉そうに言える程の今日では無いけれど)と思うし、家族のいない私に、
思いもかけず震災復興の協力を頂き、私を神戸に戻すまで頑張ろう」が合言葉だった
という言葉を聞いた時、その感激から、私は一生人様にご恩返しをするのだと言う
決心は、たった一度でさえ揺らいだことはなかったこと。
それ故、全く激痛をものともせず、ひるまず使いつづけて、食事接待も神戸再出発の10年間
で100回はしたと思うし、仕事も含めて酷使に次ぐ酷使をした結果ではないかと、考えるしか
ないと思っている。

そのおかげで、今の幸せにたどり着いた。神様からよくやったと贈り物を頂いた。
毎日深い深い感謝に包まれつつ、生活させていただいている。


長い文章を、お読みいただいて、ありがとうございました。
ここに書かせていただいたのは、16年前、今の住居に移る前の話で、今では、遠い思い出となりました。
今後は、又、やるべきことが多くありますので、今は、それに向かって頑張りたいと思っております。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
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