goo

2007.10.26 Mさんの類い稀な生い立ちと、その味覚

箕面の画廊主のMさんは、子供の頃、大阪の帝塚山に住んでいた
そうです。
お父さんは、実業家で、大変なお金持ちだったらしいです。

家の手伝いの人は、全部で20名、その中には、じいや夫婦が二組
も居たそうです。
その中で、彼女個人に付いている付き人は、6名だったそうです。

その彼女は、3才から15才頃迄の10数年間、一日として欠かさず、
京都の料亭で、夕食をしていたそうです。
(その終わりは、終戦前後とのことです。)

自分用の車で、自分付の運転手と、お付きの若い女性2名と共に、
大阪のお屋敷から京都の料亭に毎日出かけて、そこで、夕食を
とっていたと言うのです。

そこは、お父さんの2号さんが営んでいる料亭だったそうです。
京都の料亭で、贅を凝らした料理が饗され、芸者さん達の美しい
踊りを見ながら、毎晩毎晩ゆったりと食事をとっていたそうです。

子供ながら、毎日そこへ通おうとした、彼女の味覚への執着には
驚かされます。

お母さんは、嫌な顔をしたり、彼女を止めたり、叱ったりしなか
ったのですか?と聞くと、いいえ、それは全然ありません。
嫌な顔をしたことは一度もありませんでした、…とのことでした。

私は、ふと気付き、聞いてみました。
「その、お母さんの優しい性格が、貴女に遺伝したのですね。」
すると、彼女は「そうかも知れません。」と言われました。
そのくらい、Mさんは、優しくて、本当に穏やかな方なのです。

学校には、籍はあるものの、彼女は一度も登校したことはなく、
先生が家に教えに来られたそうです。
小学校から、大学迄、全部そうだったそうです。

その様な、私の知り得ない世界の中で、類い稀な育ち方をした方と、
私は、今年の夏、偶然出会ったのです。
いわゆる戦前の古い日本の伝統を引き継いでいる、この様な方には、
お会いしようとしても、なかなか、お会い出来るものではないと思
います。

その彼女が、チタン鍋を買って下さり、その素晴らしさを発見して
絶賛して下さることになろうとは…。

妹や友人達が、チタン鍋の料理の美味を、私に伝えてくれるのも、
確かに力になりますが、Mさんの様な、長年の間一流料理を味わい、
日本料理の粋を吸収し、その後も長年食を極め続けて来られて味覚
の卓越した方が、このチタン鍋を絶賛し、私に対して感謝で一杯で
すと心から言って下さることが、何にも増して私には嬉しいのです。

彼女が、毎日、チタン鍋で次々と作られては(熱心な研究家です)、
美味しさを発見し、感動してお電話を頂く料理の数々を、今後、
皆さんにお知らせして行きたいと、私は思っています。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )
« 2007.10.24 ... 2007.10.28 M... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。