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2014.08.06 私の足の回復法

私の長年の足痛を克服して歩ける様になったその方法をブログに書きますと前回お伝えしました。
「2014.07.10「あじさい荘」におよばれ」
それで、頑張っておりましたが、私の場合病歴が大変長く、その経過まで書こうとすると、とてつも
なく大変で、長くなってしまい、全くまとまらなくなって、疲れ果ててしまいました。
それで、それは止めて、新たに簡単に箇条書きにして書き直すことにしました。
お待ち頂いた方に、お役に立ちます様に!


(私の足の回復法 その1)
毎日ストレッチをする。
整形外科で教えてもらった足の体操に、テレビや本などで見た、自分に必要と思える体操を加えて、
毎日ストレッチをしています。

始めてから6~7年程経ちますが、義務感でやっていた頃は、効果はあまり感じませんでしたが、
時間を掛けて充分伸ばす様にしてから、違ってきました。
私の場合は膝に負担がかからない様に、ベッドに寝ながらのストレッチですが、それでもしっかり
やれば、それなりに効果があると思います。

 

(足の回復法 その2)
歩くこと。始めは、少しから初めます。痛い時に歩きすぎは逆効果です。
私の場合、百貨店をリハビリ場所にしました。JRで大阪梅田又は,三宮、芦屋へ出ると駅近に
百貨店があるので、そこがリハビリ場所です。足が疲れたら座れるベンチが各階にあることが
なにより大切です。
喫茶店でコーヒーを飲みながらゆっくり読書をしたり、各階を少し動きます。疲れたら各階の
ベンチで本を読みます。そして、又動きを繰り返します。
私の場合、読みたい本が山ほどあるので、本を読む楽しみも叶えられるので、一石二鳥でした。
(老眼で長い間本を読めなかった私が、…にもかかわらず目を酷使してきて、逆に今では文庫本
が平気で読める程に良くなりました。?^^)
「2013.08.14 目は使えばよくなる?」

少しずつ、歩ける距離が伸びてゆくのは、楽しくて本当に励みになりました。
すいすい歩けるのに、2年はかかりました。焦りは禁物です。
ゴミ出し迄人にやってもらっていた私が、ある日決心して外出し、JR三宮の駅構内に降り立って
いるじぶんに感動した時のことは忘れられません。次回は地下街に降りるぞと思い、その内に
徐々に地下街を往復して帰ることができるようになりました。
ただ、私の場合は、膝の滑膜が異常増殖している(昔は筋肉を落とすと膝に来るなどとは言われて
いなくて何故こうなるかと先生方に聞いても「さあ?」と首を傾げられ分からないと言われるので、
未治療のままで放置していた為)ので、水が大量に溜まります。2年前までは両足ともパンパンで
片方が180ccもう一方が140ccなどという感じで抜かれる状態でした。最高値は、210ccでした。

そうこうしているうちに、昨年から、左右どちらか片方のみ腫れて、片方は溜まらなくなりました。
しかも、腫れていても歩けるようになりました。筋肉が付いたということだと思います。
最近は2カ月に一度ぐらい、何処かへ出かける前に、念の為水を抜いてもらいに行きます。
先日は右足から140cc抜かれました。左は腫れていません。

 

(足の回復法 その3)
お風呂で暖めること。(これは忘れていました。これを書くに当り、あっと、思い出しました。)
実は、私は、暖めることにより一時的に足が治ったことがあったのです。
今の住居に引っ越しが決まった時、偶然にも、前の家をオール電化に替えたところでした。
夜中に温水を貯めておいて昼使うものです。設置したばかりで、さあ今から18年間月賦で払おうと
言う段階で、急に引っ越しの話が持ち上がり、私は残念で残念で溜まらず、せめて元を取ろうと思い、
毎晩気持ちのよいお湯を湯船の縁まで一杯にためてざ~ざ~と溢れるぐらいの湯に首までとっぷりと
浸かり、来る日も来る日も充分すぎるほど暖まりました。
元を取らなくちゃ!元を取らなくちゃ!という思いで、単なる「欲」からでした。
5月頃に引っ越しの話が持ち上がり12月始めの引っ越しまでの約半年、お風呂から上がっても
しばらく汗が引かない程、毎日ぽかぽかでした。真夏は大変でしたが、気持ちの良いものでした。
それまでは、私はお風呂で暖まるのが苦手で、いつもすっと入ってすっと出る早風呂の人でした。

40年間過ごした家をたたむことが、どんなに大変なことか?
なのに、それまで足の激痛で動けなかった私がその難関を突破できた訳ですが、それが全く不思議で
不思議でたまらなかった私は、これは奇跡だと思っていました。いつもの様に「私はツイテいる。
又父母が窮地を助けて下さった。父母がこの際だから、治してくれたのだ。」と固く信じていました。
随分後になって、「あ、そうか!あの様に徹底的に暖めたのが良かったのではないか。」と思いました。

引越の半年後に、ハワードさん夫婦がサンフランシスコから来日された時は、私は足の痛みなど全く
なく、楽しいパーティーの時も、ちょんちょんと飛ぶように元気だったことは本当に幸運でした。
近所に銭湯がある方は、一度試してみて下さい。もちろん自宅のお風呂でも、効果があると思います。
(なお、撤去した温水塔の代金は、引越後分割で清算しましたが、大変だったことを思い出します。)

(※ なお、ここ数日、足が痛くて外出して帰宅するのが辛かったので、あっ、と思いました。
このところ忙しくて、お風呂を沸かさずに、2~3回シャワーで済ませました。元々私はお風呂派で、
シャワーはしない人でしたが。冷房が少しきつかったことが関係あるのではないかと思います。
それで、この2日間熱つ目のお湯にゆっくり浸かりましたら、何と!思った通り足は回復しました。!)

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私の場合、足を悪くした発端は、阪神大震災で家が全壊した為、瓦礫搬出作業で膝を痛めましたので、
病歴は大変長いのです。(震災後来年1月で20年目だそうですので、20年の病歴があります。)
全面的に撤去するのであれば、市がブルドーザーで一挙に壊して瓦礫は持ち去ってくれますが、我が家は
梁が歪まず残っていたので、修復することにしましたので、自力での瓦礫撤去が必要でした。
梁が歪まず、窓やドアが開け閉めできる家は、町中でも我が家だけで、知人の大工さんが驚いていました。
(何故、我が家だけ助かったのか?その理由を、私は声を大にしてお知らせしたいのですが、又いずれ。)

その時の作業で、膝を折ることが全く出来なくなったので、避難先(1年半寝屋川に避難しました)の
和室で洗濯物を畳む時、後ろにひっくり返りそうになりながら、難儀していたことを思い出します。
職場では、膝が全く折り曲げられなくても、足は机の下に隠れているので、そして何故か歩くことは
すいすい歩けたので、職場では私の脚の故障を知っている人は誰も居なかったのです。
(何故か、いつも同情されない様にできている!と思いました。「職場は大阪!神戸人は私一人!」
ボランティアで旧友達が集結してくれて、信じられない協力があったとは言え、独力での自宅再建!
大阪に勤務し、寝屋川へ避難しながらの再建は、筆舌に尽くせないとはまさにこのことでした。
生きて神戸に戻ることは無理と何度思ったことか?しかし、有り難いことに再建できました。
(その1年半の避難先での日記は10冊ありますが、もう見る勇気はありません。)

その後、定年を迎え退職後、一念発起した私は明け方までパソコンの前に座って格闘する日々が続き、
それが膝の悪化につながりましたが、その頃、足の筋肉を落とすと膝に来ることなど言われておらず
(今では常識ですが)、朝昼晩の食事を自分できちんと作っている私が病気になるはずは無いと固く
信じていたのです。

 

来年で震災後、20年経つのですね?
その間、自分の身体をどれだけ過酷に扱ってきたことか?誰よりもそれを知っている私は(自分だから
当たり前ですが)私の脚と身体に、この20年間、本当にごめんなさいと言いたいと心から思います。

普通、定年と言えば御身お大切にと言われ、こころ穏やかに余生を送るものかと思いますが、私はその
真逆を選んでしまった訳で、そして払った代償は人に言えぬ程大きいものでしたが、でも未知の世界に
飛び込んで死に物狂いで頑張った過酷なこの年月に悔いはありません。それなしに、今の世界は得られ
なかったのですから。


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最近、1年ほど悩んだひどい咳は今までの漢方薬治療では治らずますます激しくなるので、数日前から、
近代医学の薬に替えました。(転院しました) これが効いてくれると良いのですが。
しかし、私には近代医学の薬は胃に応えます。もう翌日には胃が痛くなってきましたので、勝手に回数
を減らして対応しています。
今度の先生の見立てでは、アレルギー性鼻炎が原因だとのことで、それを治すことになりました。
鼻の奥にワイヤースコープを差し込んで、目で確認しての診断であることと、もともと私はアレルギー
体質ですので、これはこれで正しいと思います。
これ以上病状が進むと、今に喉が潰れてしまいます。そのくらいひどい咳なのです。
今回は何としても治したいと思っています。

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