朝起きると、待ちかまえていた猫にご飯をあげて、自分の食事の用意をしたり、コーヒーを淹れて亡夫の写真の前に置いて、線香をつけたりして、一日が始まる。
その間、猫に話しかけないと、自分の声を聞くこともない。猫にご飯をあげたのに、気に入らないのかまだ鳴きながら寄ってくるので、「どうしたの?」と言った自分の第一声がひどく嗄れているのに気づく。
今朝もそれで、風邪をひきかけていたのをあらためて思い知る。昨日も一昨日も不調だった。そして、ものを食べるとノドが痛い。ノドからきた風邪だ。
今日中に治したい。そうでないと、また一週間が辛い。
こういう時、寂しいと思う。「遊ぼう」と電話をかけてきた友人は、風邪だと聞いても「お大事に」という社交辞令の言葉で電話を切る。遊びたいのに遊べないから、そっちの方でがっかりしているのだ。この友人は、暇つぶしに見舞いに来かねないので、今度の電話で断ろうと思っていたら、母から電話がかかってきた。
昨日の夕方、出先で買った和菓子を母に届けたとき、大きなマスクをして「風邪をひいたので今日は早く帰って来た」と言っていたが、母は和菓子のお礼は言うが、風邪には無反応だった。いつものことなので気にしていなかったら、今日になって、電話をかけてきて「大丈夫?」と聞いたのだ。退屈なのでかけてきたのはわかるので、「大丈夫、寝ていたら治るから」と早々に電話を切る。
なんだかなぁ、、、。まぁ、こういう人間関係しかつくれなかった自分の問題なのだろう。希薄な人間関係しかつくれない。それが私なのだろう。
そして、寂しい。寂しいが仕方がない。それが私の不徳の致すところか。不徳? 不徳と言うほどのものではない。
人間関係の作り方もなんとなく、自分の親の影響は否定しがたくあるように思われる。
母は、父には依存しきっていたが、それ以外の人とは距離を置くひとだった。母と父は、何一つ隠し事もなく、べったりと互いの人格を溶け込ませるように依存し合った夫婦だったが、それはある種、昭和の理想の夫婦像を体現していたのだろう。父も、「家族が一番」と言い続け、あの年代の人の多くがそうなのかもしれないが、「他人は信用できない」という人間観で貫かれていた。と言っても、決して、疑り深い人だったわけではない。他人を疑うとか信用するとか、そういう具体的な次元ではなく、人間観がそうなのだ。だから、「家族なら何でも許される」と信じ、極度の依存状態となる。そして、他人には距離を置いて礼儀正しく接する。ウチとソトの区別が激しいのだ。
もちろん、自分の意志に関わりなく、その「ウチ」に組み込まれた子どもの側はたまったものではない。親にとっては、何でも許される関係だと思っているから言いたい放題、何のためらいもなく自分の価値観を押しつけてはばからず、親としての自分の存在に恬として恥じない。イエ制度の中では小さくならざるを得なかった次男以下の男達や嫁達は、核家族の形成の中で自分の王国を築くことができ、そこで家父長制を敷いて、君臨しようとしたのだ。
こうした親たちの価値観に反発したのが、おそらく団塊の世代以降なのだろう。
こういう家族関係の中で、夫に依存することに慣れきった母のような人が夫を失った時、誰ともそのような人間関係を築けないのは当然だ。母は、娘が自分にべったりと生活の細々としたことを共有する姿を漠然と期待していたようだが、娘は夫とは違うから、そのような都合の良い役割は引き受けない。だから、よそよそしく、社交辞令で交流する。
私の娘は、私たちは他人行儀な親子だと言う。が、それも仕方がない。それ以上の関係を作ることができない。私が母に対して他人行儀なように、娘にもそれに近いところがあろう。娘に対しては、他人行儀というより親しい母親は結局権力になるのではないかと懸念するので、距離を置いてきたのだけれど、、、。
そして、それはまさしく、自分の親たちが敷いた強権的な核家族内の家父長制を再現したくないという、新しい価値観に裏打ちされた節度の保ち方だった。ものすごく、苦しんだ結果なのだ。
しかし、伴侶以外の人と親しい関係を築くことができるかと言えば、それもまた困難だ。なぜか、伴侶だけは他の関係と異なる、という奇妙な思い込みで、この世の人はまだそこに賭けている。
しかし、その世界にとけ込めない私は、結局、誰とも親しく交流できず、病気になっても本気で気にかけてくれる人はいない。まぁ、死にかければ死に水をとってくれ、とこちらから頼むことのできる人は何人かいるし、誰も断らないだろうと思うので、それでいいか、とは思う。
しかし、それでも孤独は深まる。誰もが独りなのだが、それに気づかずにわちゃわちゃと賑やかに生きるか、かみしめて生きるかの違いなのだろう。
御神酒徳利のようなカップルの人たちは、パートナーが亡くなったらどうするのだろうと思う。ある人達は片方が亡くなったが、結局、最期はそれほど仲良くなく、残された人もからだが衰えて自力では暮らせなくなっている。どっちみちそうなるのだ。意気盛んな働き盛りに忙しくそれなりに仲良くしたり喧嘩したり、そういう時期を過ごせたのだからそれでよいのだろう。
最期にあまり見苦しくなく終えられたらそれでいいな、と思うこの頃。孤独はついてまわる。見送る人も見送られる人も、それぞれが自分の心の中に小宇宙をかかえ、独りぼっちでいる。それを感じないのは、単に目を覆っただけのことだろう。
その間、猫に話しかけないと、自分の声を聞くこともない。猫にご飯をあげたのに、気に入らないのかまだ鳴きながら寄ってくるので、「どうしたの?」と言った自分の第一声がひどく嗄れているのに気づく。
今朝もそれで、風邪をひきかけていたのをあらためて思い知る。昨日も一昨日も不調だった。そして、ものを食べるとノドが痛い。ノドからきた風邪だ。
今日中に治したい。そうでないと、また一週間が辛い。
こういう時、寂しいと思う。「遊ぼう」と電話をかけてきた友人は、風邪だと聞いても「お大事に」という社交辞令の言葉で電話を切る。遊びたいのに遊べないから、そっちの方でがっかりしているのだ。この友人は、暇つぶしに見舞いに来かねないので、今度の電話で断ろうと思っていたら、母から電話がかかってきた。
昨日の夕方、出先で買った和菓子を母に届けたとき、大きなマスクをして「風邪をひいたので今日は早く帰って来た」と言っていたが、母は和菓子のお礼は言うが、風邪には無反応だった。いつものことなので気にしていなかったら、今日になって、電話をかけてきて「大丈夫?」と聞いたのだ。退屈なのでかけてきたのはわかるので、「大丈夫、寝ていたら治るから」と早々に電話を切る。
なんだかなぁ、、、。まぁ、こういう人間関係しかつくれなかった自分の問題なのだろう。希薄な人間関係しかつくれない。それが私なのだろう。
そして、寂しい。寂しいが仕方がない。それが私の不徳の致すところか。不徳? 不徳と言うほどのものではない。
人間関係の作り方もなんとなく、自分の親の影響は否定しがたくあるように思われる。
母は、父には依存しきっていたが、それ以外の人とは距離を置くひとだった。母と父は、何一つ隠し事もなく、べったりと互いの人格を溶け込ませるように依存し合った夫婦だったが、それはある種、昭和の理想の夫婦像を体現していたのだろう。父も、「家族が一番」と言い続け、あの年代の人の多くがそうなのかもしれないが、「他人は信用できない」という人間観で貫かれていた。と言っても、決して、疑り深い人だったわけではない。他人を疑うとか信用するとか、そういう具体的な次元ではなく、人間観がそうなのだ。だから、「家族なら何でも許される」と信じ、極度の依存状態となる。そして、他人には距離を置いて礼儀正しく接する。ウチとソトの区別が激しいのだ。
もちろん、自分の意志に関わりなく、その「ウチ」に組み込まれた子どもの側はたまったものではない。親にとっては、何でも許される関係だと思っているから言いたい放題、何のためらいもなく自分の価値観を押しつけてはばからず、親としての自分の存在に恬として恥じない。イエ制度の中では小さくならざるを得なかった次男以下の男達や嫁達は、核家族の形成の中で自分の王国を築くことができ、そこで家父長制を敷いて、君臨しようとしたのだ。
こうした親たちの価値観に反発したのが、おそらく団塊の世代以降なのだろう。
こういう家族関係の中で、夫に依存することに慣れきった母のような人が夫を失った時、誰ともそのような人間関係を築けないのは当然だ。母は、娘が自分にべったりと生活の細々としたことを共有する姿を漠然と期待していたようだが、娘は夫とは違うから、そのような都合の良い役割は引き受けない。だから、よそよそしく、社交辞令で交流する。
私の娘は、私たちは他人行儀な親子だと言う。が、それも仕方がない。それ以上の関係を作ることができない。私が母に対して他人行儀なように、娘にもそれに近いところがあろう。娘に対しては、他人行儀というより親しい母親は結局権力になるのではないかと懸念するので、距離を置いてきたのだけれど、、、。
そして、それはまさしく、自分の親たちが敷いた強権的な核家族内の家父長制を再現したくないという、新しい価値観に裏打ちされた節度の保ち方だった。ものすごく、苦しんだ結果なのだ。
しかし、伴侶以外の人と親しい関係を築くことができるかと言えば、それもまた困難だ。なぜか、伴侶だけは他の関係と異なる、という奇妙な思い込みで、この世の人はまだそこに賭けている。
しかし、その世界にとけ込めない私は、結局、誰とも親しく交流できず、病気になっても本気で気にかけてくれる人はいない。まぁ、死にかければ死に水をとってくれ、とこちらから頼むことのできる人は何人かいるし、誰も断らないだろうと思うので、それでいいか、とは思う。
しかし、それでも孤独は深まる。誰もが独りなのだが、それに気づかずにわちゃわちゃと賑やかに生きるか、かみしめて生きるかの違いなのだろう。
御神酒徳利のようなカップルの人たちは、パートナーが亡くなったらどうするのだろうと思う。ある人達は片方が亡くなったが、結局、最期はそれほど仲良くなく、残された人もからだが衰えて自力では暮らせなくなっている。どっちみちそうなるのだ。意気盛んな働き盛りに忙しくそれなりに仲良くしたり喧嘩したり、そういう時期を過ごせたのだからそれでよいのだろう。
最期にあまり見苦しくなく終えられたらそれでいいな、と思うこの頃。孤独はついてまわる。見送る人も見送られる人も、それぞれが自分の心の中に小宇宙をかかえ、独りぼっちでいる。それを感じないのは、単に目を覆っただけのことだろう。