凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

約束

2011-02-03 21:27:50 | 人生
 私が生まれてくる前から、既に決められていたこと、、、明言されないが、既に共有されているに違いないこと、、、こうしたことにずいぶん苦しんだ記憶がある。

 昔、誰だか忘れたが、あるフェミニストが、「女たちはいつ約束したのだろう、一生、食事を作り続けると」と、書いているのを読んで、自分が交わした覚えのない取り決めに不可解な思いを拭えない女性が、他にもいるのだと知った。
 が、母達は、何かわかっているようなのだった。いつ、どこで、そのような約束を取り交わしたのか、語られたことはないが、納得していることがたくさんあるようだった。私は、「なぜ?」と訊き続ける子どもだった。自分の回りの皆が、わかっているらしいのに、私だけが承知していない、ということがたくさんあって、なぜ? なぜ? と食い下がってはうるさがられた。
 なぜ、怖いこと、危険なことを、母は「お父さんに任せておきなさい」と言って、私を引き留めるのか? 怖いこと、危険なことは、父にも怖くて危険ではないのか? スーパーマンでない父が、危険でないはずがない。それでも、母は、自分と私だけが安全な場にいることを、何のためらいもなく、選んでいた。そして、なぜか?と問う私に、明確な答えが与えられたことはなかった。

 「世間の常識」というようなものがあって、それを共有している人たちが多数派で、そういうものが存在することは知っているが、その内容に理不尽なものを感じる私は、少数派だった。
 理由を尋ねても、「そういうものだ」としか答えない人たちは、何をどのように了解しているのだろう。
 私の講演はわかりやすい、と言ってくれる人たちが、結構いる。たぶん、私が、「そういうものだ」と言わないからだろうと思う。理由を述べ、構造を述べる。「そうなっているから仕方がない」というような言い方はしない。それは、私自身が気持ちが悪い。もし、説明のつかないことがあれば、「そうなっているが、まだ理由は解明できていない」と、課題として提示する。だから、真面目に聞こうとする人にとって、不可解な余韻を残さないのだろうと思う。それがわかりやすい印象につながったのかもしれない。

 ここ何年も、本を読めなかった。仕事でやむを得ず目を通す以外は、本を読むことが困難だった。何かが、私の中で、変わった。が、やっと、少し戻ってきたかもしれない。それまでの人生にはなかったほど、あまりにも理不尽な出来事の連続で、情報を習得する回路がマヒしていたかのように、読書力がストップした。少し、治ってきた気がする。

 昨夜、彼が生き返った夢を見た。生き返らせたのは私だった。賢明に努力をして、彼が生き返ったので、長年の苦悩も悲哀も宿題も、すべて終わった気がした。あぁ、やっと~、彼が帰ってきた、と安堵した。あれは、私の中の何を示すものだったのだろう。
 一つ、関わっている団体の起動しなくなったPCを直したけれど、それだったのかしら? それが、でも、彼になる。ほんとうに、よみがえらせたいのは彼だから。私の目の前で確実に亡くなったのに、最後の息を吐くのも見届けたのに、未だに彼がよみがえることを願っている。ありもしないことを、、、。
 決してかなわぬとわかっている願いを願い続ける私は何?
 そんな話聞いてないよ! と、最も理不尽な出来事に抵抗し続けている。