凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

一人でいるということ

2012-03-05 10:34:42 | 日々の雑感
 何度か、これまでもプロジェクトをやって来た。私のやることだから、大したことではないが、公開集会を企画したり、冊子を作ったり、なんとなく私が音頭を取ることがよくあった。やるたびに、達成感よりも、疲労感が大きい。うまくやれた感覚がいつも持てない。上手くやれなかった感が残る。

 一つは、誰にも弱音を吐けないことがあるだろう。うまくいくだろうか、不安だ、最後はちゃんと閉めなきゃ、、、と、あれこれ思いが動くが、それを言う相手はいない。一緒にやっている人たちは、たいてい、ついてくる人たちだし、頼りにしたい人は遠方にいて、メールを送っても全然レスをくれなかったりして、こちらはやたら心が疲れてしまう。一人、空回りをしているような気分、誰も私の苦労を知らない辛さ、自分が主体的に関わる気がないから、「言ってくれたらやるよ~」レベルで暢気にいる。

 私自身も立場が変わればそんなものだから、文句を言うつもりはない。しかし、疲れるのだ。中に、あら探しするだけの人が混じっていたりすると、もうアウトだ。

 今回も、昨年からずっとやって来たことの一応の区切りをつけて終わったのだが、なんか徒労感が大きい。集まりがいやなら来なければいいのに、来てはくれるので気に入っているのかと思えば、そうでもない。招集をかけるととりあえず来ているらしい。なんだかなぁ~。しかし、区切りの学習会をやったので、それはよかったらしく、いい機会だったと言ってくれる。それはよかったけど、私の苦労はかなりなものだったんだけどね。複数の人との調整は本当に難しい。腹が立っても、ぐっと押さえる。私が不安がっているわけにはいかないから、それは見せない。同じトーンでずっと準備をしていくのだが、相当苦しかった。

 鬱のようになってしまった。感情をおさえるのはなかなか負担だ。それをただ聞くだけでも聞いてもらうと気分が救われるのだろうけれど、そういう相手がいない。
 遠隔地にいる人は、同じプロジェクトの人と同居しているので、二人でいろいろ話し合い、協働し合っているから、こちらと連絡をとれなくても全然困らないのだろう。一人であれこれ考えたり作業をしている者の気持ちなどわかるはずもない。

 プロジェクトのメンバーは協力者というより、私がメンバーに活躍の場、癒しの場をつくって提供した、という感じだから、それは私自身が企図したことである。私が彼女たちをエンカレッジしたかった、そのために企てたプロジェクトだ。だから、それでいいのだけど、結果的にその役目を果たせたのだったらそれでいいのだけど、、、。

 なんか、挫けている。ひとりぼっちで、他の人のエンカレッジのために、様々なストレスを経験して、今、こうして鬱っぽくなっている。
 自分のことなど顧みないで動くのだけど、最後に残っているのが、砂をかむような孤独感、不充足感、小さな悔恨、というのはどういうことか、、、。

 まだ、私の覚悟の足りないところなのかな。見返りを期待したことなどないのだけど、報われなさが残る。
 にもかかわらず、また次に、別のステージで人をエンカレッジするために動く準備をしているのだけど。