一昨年、ひどい誹謗中傷をブログ上で受けた。ブログは、世界中の誰もが見ることのできる媒体だ。そこに実名で、私の人格を貶めるような書き込みがなされた。ある人物が起こした訴訟を支援する団体が、証言した私(その原告から見れば、一応、立場的には私は敵性証人)の証言が気に入らなかったらしく、私が嘘をついているかのような邪推に満ちたデマを流した。私は、私から見えたことをそのまま証言しただけなので、原告側に不利な点も有利な点も、両方あったはずだが、有利な点は採用しておいて、不利な点について、あたかも私が真実を言っていないかのような情報を、何人もの人が、ことば巧みに言い立てる、という構図だった。いろいろな表現法を駆使して、私が嘘つきであるかのような、被告の団体と手を組んでいる人間であるかのような人物像を作り上げていた。
私は嘘がつけない、友人に言わせれば「正直だけが取り柄のような」人間である上に、被告団体の圧力にもめげず闘い続けたので、あまりの悔しさで、昏倒しそうだった。
原告が被告団体に在職していた当時は、私などよりよほどうまい関係を作っていたと思えるが、それが組織の体制変更のために契約更新なし、ということになり、後任についた私が憎かったのだろう、と今になれば思う。しかし、そのようなことはつゆ知らず、私は原告を気の毒だとさえ思っていた。
証言の直後、裁判所の庭で偶然、支援団体とは別行動の原告と出会った。原告は駆け寄ってきて、私をぎゅっと抱きしめた。私は、自分にとって正しいと思える証言をしただけなので、その相手の感情の表現にとまどっていたが、相手は、「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。私は「あれでよかったの?」と聞いた。なぜなら、被告側にも原告側にも、一切肩入れをしていないからだ。原告に喜ばれるつもりもなかった。「いいの、いいの、あれで良かったのよ」と、相手は感激しているのか、何なのか、ぎゅっと私を抱きしめ続けた。そして、突然「あ、こんなところを見られては、、、」と、私から離れると、足早に立ち去った。
茫然と見送る私に近づいてきた友人たちが、「急に襲われたの?」と笑っていた。
そのような出来事の後で、誹謗中傷記事がブログに出始めた。私は、その頃、心身に不調を来して入院していたので、そのような情報を入れないようにと、ドクターストップがかかっており、詳しい展開は知らなかった。退職してから後、次第にひどい事が書かれている事を知ったのだった。
その後もすさまじい展開があり、人づてに聞くと、まだ私の悪口を言っている人がいるらしいが、まんざら知らない人たちではなかっただけに、私には悲しみが強い。要するに、私は嫌われていたのだな、とは思う。結構、機嫌良く関係を持っていた頃から、私は嫌われていたとしか思えない。中には、やたら親切で、いろいろな物をくれたり、私が入っているグループにはほとんど全部入っていた人もいる。その人などは、私がその人の過剰な優しさに、その人ほどの温度で答えなかったのが悪かったのかな、と思う。
尤も、原告自身からは、とっくに、ブログ上の誹謗中傷記事についての謝罪文が送られてきており、その様子を見ると、完全に支援団体の一人歩きなのだが、そのあたりの内部関係は私にはわからない。
ブログも閉鎖されたし、もう無関係に生きたいとは思うが、しかし、この奇妙な集団心理は、興味がわくものでもある。私の生きがたさの謎がここで解けるのでは、という変な期待だ。支援団体の人々の怒りや敵意の高まらせ方を見ていると、個人と個人がどのようなもので結びつくのか、個人のコンプレックスや私情がどんなふうに組織化されるのか、見えるような気がする。
今、ニュースで騒がれている、厚労省の雇用均等・児童家庭局の女性局長が、なぜ、その違法とされる行為に至ったか、ということもまた、組織集団のからくりのなせるわざだろう。
「組織は魔物」というのが、私の実感だ。
私は嘘がつけない、友人に言わせれば「正直だけが取り柄のような」人間である上に、被告団体の圧力にもめげず闘い続けたので、あまりの悔しさで、昏倒しそうだった。
原告が被告団体に在職していた当時は、私などよりよほどうまい関係を作っていたと思えるが、それが組織の体制変更のために契約更新なし、ということになり、後任についた私が憎かったのだろう、と今になれば思う。しかし、そのようなことはつゆ知らず、私は原告を気の毒だとさえ思っていた。
証言の直後、裁判所の庭で偶然、支援団体とは別行動の原告と出会った。原告は駆け寄ってきて、私をぎゅっと抱きしめた。私は、自分にとって正しいと思える証言をしただけなので、その相手の感情の表現にとまどっていたが、相手は、「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。私は「あれでよかったの?」と聞いた。なぜなら、被告側にも原告側にも、一切肩入れをしていないからだ。原告に喜ばれるつもりもなかった。「いいの、いいの、あれで良かったのよ」と、相手は感激しているのか、何なのか、ぎゅっと私を抱きしめ続けた。そして、突然「あ、こんなところを見られては、、、」と、私から離れると、足早に立ち去った。
茫然と見送る私に近づいてきた友人たちが、「急に襲われたの?」と笑っていた。
そのような出来事の後で、誹謗中傷記事がブログに出始めた。私は、その頃、心身に不調を来して入院していたので、そのような情報を入れないようにと、ドクターストップがかかっており、詳しい展開は知らなかった。退職してから後、次第にひどい事が書かれている事を知ったのだった。
その後もすさまじい展開があり、人づてに聞くと、まだ私の悪口を言っている人がいるらしいが、まんざら知らない人たちではなかっただけに、私には悲しみが強い。要するに、私は嫌われていたのだな、とは思う。結構、機嫌良く関係を持っていた頃から、私は嫌われていたとしか思えない。中には、やたら親切で、いろいろな物をくれたり、私が入っているグループにはほとんど全部入っていた人もいる。その人などは、私がその人の過剰な優しさに、その人ほどの温度で答えなかったのが悪かったのかな、と思う。
尤も、原告自身からは、とっくに、ブログ上の誹謗中傷記事についての謝罪文が送られてきており、その様子を見ると、完全に支援団体の一人歩きなのだが、そのあたりの内部関係は私にはわからない。
ブログも閉鎖されたし、もう無関係に生きたいとは思うが、しかし、この奇妙な集団心理は、興味がわくものでもある。私の生きがたさの謎がここで解けるのでは、という変な期待だ。支援団体の人々の怒りや敵意の高まらせ方を見ていると、個人と個人がどのようなもので結びつくのか、個人のコンプレックスや私情がどんなふうに組織化されるのか、見えるような気がする。
今、ニュースで騒がれている、厚労省の雇用均等・児童家庭局の女性局長が、なぜ、その違法とされる行為に至ったか、ということもまた、組織集団のからくりのなせるわざだろう。
「組織は魔物」というのが、私の実感だ。