ここ数年、思いもかけぬ、他人からの攻撃を経験した。子ども時代に、「いじめ」というものがあったが、私はあまり集団から孤立するタイプではなかったので、経験したのは、特定の一人の少女がこっそり近づいてきては、いじめて去っていく、というパターン。どちらかと言うと、いじめる少女の方が孤立していて、私はクラスの中では支持されている子だった。当時も、その少女の行動がわけがわからず、たとえば、なぜいきなり私の手首を爪でひっかいて傷をつけたのか、なぜ、聞こえよがしに私の悪口を言うのか、なぜ、急に優しく近づいて来るのか、さっぱり理解ができず、その少女が近づいて来ても行動パターンがつかめず、全く無防備だった。今振り返れば、終始、私に様々な働きかけをしてきた少女に対して、どうしようもないほど、無関心な私がいた、ということがわかる。
大人になってからのこのたびの攻撃も、思えば、わけのわからない攻撃なのだが、一つ言えることは、私があまりにも無関心であったことかもしれない。基本的に、関心のない人からの攻撃だという共通点がある。あちらさんは、私について、とにかく、とやかく批判をやり続け、私の方は、いやな目に遭って、初めて相手に目を向けるというパターンがある。
興味がないから、基本的にこちらからは関わらない。すると、向こうからとんでもない攻撃が来る、というパターンだ。
無関心だったのが、悪かったのだろうか。無関心だから、相手にとって大事なことに心を寄せない、相手に対して繊細ではない、空気のように無視している、ということだろうか。もちろん、私は、どなたにも基本的に礼儀正しく接している。今、攻撃してきている人達にだって、失礼なことはしたことがない。現職時代にも、届け物を郵送ではなく、わざわざ持参したりしたこともあり、相手も恐縮していて、それなりに礼を尽くしてきたつもりだ。しかし、だからと言って、簡単に彼女たちの傘下に入ったり、彼女たちの思い通りに動くことはない。しかし、それが攻撃を受ける理由になるだろうか?
つまりは、つくづく考えるのだが、攻撃する人は攻撃しているつもりはないのではないだろうか。
仲の良い友人で、悪意や敵意がないとわかっている友人からでも、何なのだ? 喧嘩を売っているのか? と思うような働きかけがあることがある。もちろん、気心の知れた仲だと、その場で問いただしたりする。すると、その相手は、私をどうこうしたいわけではなく、自分自身をどうかしたい、というときに、攻撃的なアクションに出るようだ、という共通点に気づく。
そう思うと、これまで私を攻撃してきた人達の攻撃行動やハラスメントには、私を貶めたいとか、酷い目にあわせたいというような目的はないのかもしれない。だから、結果的に、彼女たちのアクションによって、私に難がふりかかっても、おそらく、自分のせいとは思わないだろう。彼女たちは、自分自身の気持ちを安定させたい、自分を救いたい、浮上させたい、という一心であったりするようだ。それは余裕のない必死な一瞬で、相手の状況が見えなくなっている。たいていは、自分が評価されたい、自分の功績を認めてもらいたい、自分が共感されたい、自分に同調してほしい、自分こそがその賞賛に値する、自分を正当化したい、自分が過小評価されるのは耐えられない、、、、等々、涙ぐましい自己防衛、自己アピールであったりするようだ。
つまり、様々な攻撃、ハラスメントは、相手をどうこうしたい、というような攻撃目的で行われるのではなく、自分を守りたい、浮上させたい、という自己中心的な潜在欲望の結果なのだろう。しかし、この潜在欲望は、ターゲットを絞り込んでしまうことがある。要するに、私の場合は、邪魔な場所にできた目の上のたんこぶだった、ということなのか。
どうして、そういう人達のターゲットになるような場所に、私はいてしまうのだろう。完全には退かない、彼女たちの目につかない所にひきこもっていはいない、しかし、ちょっとしたアクションで取り除けそうな風情ではある、が、結構、しぶとい、というところだろうか。
なぜ、しぶといかは自分でもわかる。それだけはわかる。彼女たちが邪魔に思っていることに気づかないからだ。なぜなら、彼女たちに特別の関心がないから、一通りの配慮はするが、彼女たちのことをいつも考えてはいない。むしろ、攻撃されるまで、忘れている。だから、彼女たちの願望も欲望も、進もうとする方向もわからない。だから、何を怒っているのかさえ、わからない。結果的に、彼女たちの怒りを買うのだろうか。
上に述べたのは、すべて、私の最近の推理。本当のところは、わかりましぇーん。だって、人を攻撃したいと思ったことがないのだもの。
行く道に人が立ち塞がっていたら、そこをよけて歩く、ということしかしないのだもの。欲しいと思ったものが手に入りにくいとわかったら、すぐに諦めて、忘れちゃうもの。そんなに強引に自分の向上や成功を願ったことがないから、わけがわからないのが、本当のところ。