失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

原町田

2007年09月17日 | 幕末写真
 ベアトの幕末写真の撮影位置さがしの話題です。
 

 ベアト撮影の原町田の写真は横浜開港資料館『F.ベアト幕末日本写真集』に2枚のっています。(同書では見開き2ページで左側ページが「24.原町田」、右ページに「25.左の写真の奥の方をアップで写したもの」というキャプションがついています)そのうちの一枚と基本的に同じもの(「24.原町田」に該当)を厚木市のページでみることができます。(URLは次のとおりhttp://www2.city.atsugi.kanagawa.jp/data/images/1165_0000004614_2.jpg)

 『絹の道・原町田』(森山兼光著 発行武相新聞 昭和58年10月 p.16-17)には『F.ベアト幕末日本写真集』の「25.左の写真の奥の方をアップで写したもの」に該当する写真がのせてあります。同書によると、
「(現在のダイエー側から小田急線方向を望んだもの)左側の大きなケヤキのあたりが三橋宝永堂にあたる。道の中の棒杭は馬つなぎ、右手の木柵はおふれ書きを公示した高札場。」とあります。厚木市のページに載っている写真では棒杭も高札場もわかりにくいです。それから「大きなケヤキ」は道路左側画面の奥のものです。

 最新の状況は知りませんが少し前の地図でみるとダイエーは現在の中央図書館の北西側にあり、「三橋宝永堂」の住所は原町田4-4となっています。

 ということで、上の写真は昨年11月に、たまたまそのあたり(中央図書館の北側あたり:中央通り)で小田急線方向を撮った写真です。厚木市ページのベアト写真と同じ位置というわけではありません。まず道路の位置は昔のままだとした場合、撮影者の道路での立ち位置が違います(開港資料館の25とはまだしも近いです)。それにこのあたりはあまりに大きく変わっていますので、ベアト写真に写っているものはおそらくなにも探し出せないでしょう。それで現地観察だけからベアトの撮影位置を探すのはまず無理そうです。(わたしとしては家屋から家屋までの道路幅は当時と変わってないのではないかと思います。???)

 なお、上述の森山兼光さんの『絹の道・原町田』には原町田の昔の村落絵図(正確に読めているかどうかわかりませんが、「原町田村古代旧絵図之写 明和四丁亥四月改? 明治四十三年迠百四十三年成」と書かれている)が載っております。ここに高札場の位置が書かれているかと期待しましたが、わかりませんでした。
 この絵図は、中央通りにある案内板(銅板?)に複製されています。


 町田駅周辺で一番古いのは浄運寺から勝楽寺あたりまでの中央通りだということがわかりました。そこで次回は本町田をとりあげてみたくなりました。

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