失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

港区三田 

2010年05月03日 | 幕末写真
斎藤多喜夫著『幕末明治横浜写真館』(吉川弘文館、2004、p.77)に、
ベアトのある写真の撮影地点について次のような話が載っていました。
要約すると、

「薩摩屋敷」のタイトルの写真は、これまで高輪の薩摩藩島津家の下屋敷を写したものと考えられていたが、
この写真は三田の綱坂で写したもので、写っているのは「肥前島原藩松平家中屋敷」であることが判明した。
この綱坂の両側は現在、慶應大学、イタリア大使館と三井倶楽部である。
これを立証したのは、港区立港郷土資料館の松本健氏である。
(「フェリックス・ベアト撮影『高輪 薩摩屋敷』への疑問-幕末写真の撮影地点についての一考察-」
港区港郷土資料館『研究紀要』4号、1997)

ざっとこんな内容でした。

「薩摩屋敷」の写真の場所が今どうなっているのか、私も興味があり探してみたいと思っていたので、
東京がいつもより静かになる祝日をみはからって行ってみることにしました。
上記の研究紀要の発行年が1997年ですから、13年遅れの追いかけになりますが、
このブログは「週進年歩」の歩みなので遅くても平気です。
ということで4/29に三田の綱坂に行ってみました。

『F.ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料館発行)の「薩摩屋敷」(p.100)の次のページには
「113有馬屋敷」(p.101)という写真が載っています。
この撮影地点は、特定されているようです。
「有馬屋敷」の他に、説明文にある「秋月藩黒田家の上屋敷」「神明宮」を手がかりに「古地図」で見当をつけると、
この場所は綱坂のすぐ近くです。
ですのでこちらもあわせて探してみました。
その後、港区三田図書館で『研究紀要』4号を閲覧しました。
(後で知りましたが、切り絵図に描かれている幕末期の江戸のまちの各地点が現在はどこなのか調べるには、
書籍としては『復元江戸情報地図』(朝日新聞社,1994)が便利です)

●綱坂
綱坂の写真は、『F.ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料館発行)では写真番号112 (p.100)です。
ネット上では、長崎大学図書館のものが拡大できるので迫力があります。http://www.city.atsugi.kanagawa.jp/shiminbenri/shisei/atsugilibrary/archive/beato/p005925_d/img/002.jpg
(超高精細画像アイコンをクリックして拡大版を見てみますと最大1280×1024まで拡大できます。
さらに部分拡大機能が使えます。)
超高精細画面の解説には上記の研究経緯のことも書かれていました。
ここでは、厚木市のページのもの(500×398のサイズなので)と現在の写真とを対比してみます。
別窓で厚木市のページの画像を表示
守衛さんが同じような場所に立っていて面白いです。


<綱坂を見上げる。左側は三井倶楽部。2010/4/29>

●有馬屋敷
『F.ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料館発行)では写真番号113 (p.101)です。
こちらは、ネット上でまだ画像を見つけていません。
(一緒にならべて見ないと興味半減ですが)

<神明坂を下ったところ。左側は東京専売病院。2010/4/29>


●松本健氏の論考
ベアトが港区内で撮影した32点の写真のうち、「疑問の余地がないもの」を除いて、
4点について詳しい検討が行われています。
(「肥前公の屋敷」、「有馬様の屋敷」、「溜池」、「芝高輪の薩摩屋敷」)。
いずれも緻密に検証されていて、パズルを解くおもしろさに近いものがあります。

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