失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

原町田2

2007年09月17日 | 幕末写真
ひとつ前の「原町田」の内容の補足です。

●図書館西隣のダイエーは現在百円ショップの「ダイソー」になっている。三橋宝永堂は現在「ブックオフ」のようだ。(下記参照)
「ダイソー」さんの前で、道路の左右から西方向を撮り直して見ました。
 

●案内板は「商工会議所」の建物の前にあります。

●『目でみる町田市の100年』(小島政孝監修 郷土出版pp.26-27)によると、
ベアトの写真2枚に対してそれぞれ次のようなキャプションと解説がついています。

27ページ(厚木市のページに掲載の写真http://www2.city.atsugi.kanagawa.jp/data/images/1165_0000004614_2.jpgと同じもの)に対して、
(引用開始)
「金森側からの原町田遠景(江戸末期) 道路が広く見えるが市のたつときは前面に両側からせりだしてくるので道路は狭くなった。つきあたりの樹木は原町田の浄運寺で、ここで道はクランクに曲がっている。」
(引用終り)

26ページの写真に対して、
(引用開始)
「原町田の風景 イタリア人フェリックス・ベアトが慶応2年に撮影した。右手の木の柵は名主三橋八左衛門宅の前」
(引用終り)

 両写真とも確かに奥に木立が写っており行き止まりになっているような印象を受けますがこれは道が鍵曲がり(クランク)になっていたためでした。
 現在JTBの建物がある位置が鍵曲がりになっています。
               

●『町田市今昔写真長』(郷土出版p.1 2005年1月)にはもう一枚別のベアト撮影の原町田の写真がのっている。上記の2枚よりすこし西に進んだ位置で撮ったものである。(上記2枚の写真の一番奥の突き当たりに写っている小屋が比較的大きく写っている)
同書の解説によると次のとおり。
(引用開始)
「万延元年ロンドンで発見されたイタリア人写真家ベアト撮影のオリジナル写真。・・・奥の大樹は浄運寺の森である。旧宝永堂(現ブックオフ)の右隣から撮影され初秋の朝の風景と思われる」
(引用終り)

 浄運寺は「中央通り」側からだと見落としてしまいそうです。
 門を入り奥に進むと、「通りの喧騒がウソのようである」という陳腐な表現を本当に実感できます。ベアトの写真に写っているような樹林は見られません。境内で一番樹高の高そうなのはこのサクラの木でした。
 

●ベアトの写真と直接関係ありませんが町田市中央図書館5階から撮った勝楽寺と道路工事状況
 
<左:2006/11/05;右:2007/9/17>

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