失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

八軒家の井  狭山市

2007年06月09日 | 古井戸


<『狭山市史編さん調査報告書13狭山市遺跡分布調査報告書第2集』の地図で見て、井戸跡に該当しそうなものはこれしかわからなかった>

 堀兼の井とされている井戸跡はいくつかあるという話を前に引用しましたが、「堀兼神社境内のもの」と、入曽駅近くの「七曲の井」がよく知られています。今回のタイトルの「八軒家の井」は、案内板もなく(正確なことは知りませんが、あるいは私有地にあるからなのでしょうか)、形状も埋まってわからなくなっていて、このままいくと消えてしまいそうに思える状態でした。

 伊佐九三四郎著『武蔵野歴史散歩Ⅰ 多摩編 埼玉編』(有峰書店新社)には、堀兼神社の近くにもうひとつ井戸があることが書かれています。
(引用開始)
 さきほどからキャッチボールをしている子供たちに、この近くにもうひとつ古い井戸はないか、とたずねてみた。
・・・
古井戸は所沢へむかって千メートルほどいった雑木林の中にあった。かつて農家が共同で使っていたものだが、いまは荒れはてて、すっかり底が浅くなってしまっている。子供たちは、二、三年まえにはもっと深くて水がたまっていたんだが・・・・・・と、さもすまなそうにいってくれた。     pp.231-232
(引用終り)

「二、三年まえにはもっと深くて水がたまっていたんだが」という時期ですが、この本の初版は昭和58年(1983年)です。雑誌に掲載されたものを選んだものとのことですので、昭和50年代前半(1975-80年)あるいはそれ以前ということになります。
 また、同書には簡単な地図がついているのですが、1万分の1くらいの詳しい地図にポイントをおとしたものでないと地点を探し出すのは難しいと思われます。
 狭山市立博物館に、狭山の文化財位置の展示があって、それにも、この井戸がありました。私はそれを見て、記憶だけにたよって、変電所周辺(下の地図参照)を探してみましたが結局わかりませんでした。
 
 地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)からコピーし加工した。

 三芳町立歴史民俗資料館の図書室で、『狭山市史編さん調査報告書13狭山市遺跡分布調査報告書第2集』をみたところ、大縮尺の地図があったので、これをコピーさせてもらい、それを頼りにやっと見つけることができました。

<井戸跡はこの道沿いにあった>

『狭山市史編さん調査報告書13狭山市遺跡分布調査報告書第2集』によると
(引用開始)
65八軒家(はちけんや)の井(県番号22076)
所在地 狭山市大字堀兼2332番地ほか
遺物・遺構  遺物
        今回の調査では採集できず。
       遺構
        井戸跡 長径16.5m・短径14.5m・深さ3m
遺跡の性格  遺物が発見されなかったので時代は不詳である。七曲井、堀兼之井とともに鎌倉街道に沿った地点にあり、性格も同様のものと思われる。 
p.22
(引用終り)

 遺跡の性格について、同書の堀兼之井の項を見てみますと、
(引用開始)
64堀兼之井(ほりかねのい)(県番号22047)
所在地 狭山市大字堀兼2221番地
遺跡の性格 埼玉県指定旧跡である。七曲井同様、武蔵野台地のところどころに散在していたと思われる「ほりかねの井」の一つであるとも考えられており、それが事実であれば、本井の掘立ての時期は平安時代までさかのぼる可能性がある。・・・本井の性格は、もしこれが平安時代までさかのぼるとすれば、この付近には奈良・平安時代の集落がないことと、堀兼の集落は江戸時代の新田開発によって誕生したこと、鎌倉街道(堀兼道)沿いにあることなどから、七曲井と同様に、道をとおる人々のためにあったものだと想像される。なお、ここから南方350mには、本井より規模が大きく、同様の性格をもつと思われる八軒家の井がある。 
pp.21-22
(引用終り)


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