失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

広袴・真光寺川

2015年05月31日 | 流末探訪
5/24に町田市小野路の東京都水道局小野路給水所の近くへ写真を撮りに行き
その後、足の向くまま進んで真光寺川の川沿いにでました。

6/2 追記 真光寺川流域周辺の地図を追加しました。

<町田市 広袴公園 2015/05/30>
行政上の真光寺川の上流端の表示が町田市広袴の広袴公園付近にありました。
<真光寺川上流端の表示 2015/05/24>


<町田市 広袴公園の池の下流の真光寺川 2015/05/24>

上の写真左手の丘陵の縁にちょっと入ってみたくなる小道があり

<町田市 広袴 2015/05/24>
真光寺川沿いに農地と樹林がいくらか残っています。

<町田市 広袴 真光寺川低地部の農地と樹林 2015/05/24>

途中全部省略でいきなり真光寺川の流末まで下ってしまいます。
小田急線鶴川駅の東の方になります。

<真光寺と鶴見川合流点 右が真光寺川 2015/05/24>
真光寺川流域周辺の地図を載せておきます。
図の中央付近「広袴町」の地名を白い四角で囲いました。
その下の水色の水面表示が広袴公園の調整池です。
黒の点線は小田急線で、白く塗ったところが鶴川駅です。

<国土地理院1:25000地形図を加工縮小 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)使用>

日を改めて、先ほどの広袴にすこし足を踏み入れてみました。
というのも柳田國男の『水曜手帳』に「広袴」という文章があったのを思い出したからです。
それによるともともとの集落は「妙全院」というお寺の周辺のようです。

<鶴川街道 広袴中央バス停付近 2015/05/30>
今でも、広袴中央という名前のバス停と交差点が妙全院の近くにあります。
ちなみに現在、広袴1丁目1は国士舘大学のキャンパスです。

<鶴川街道 広袴中央交差点 西北方向 2015/05/30>
広袴中央の交差点で鶴川街道を曲がって、妙全院への小道へ入ってみました。
『水曜手帳』に
 屋敷は文化年間の調査よりもそう増加していないらしい。その中を貫いて古い道が
 一筋、畠場のまん中を西へ通り、突当りにちゃんとした寺がある。曹洞宗にしては
 少しく妙だが、寺の名は妙全院、
・・・『柳田國男全集3』ちくま文庫p.22
と書かれているのはこの小道のようです。

<町田市 広袴 妙全院への道 2015/05/30>

<町田市 広袴 妙全院 2015/05/30>

丘陵(真光寺川の南岸)の上まであがってみましたが、格別な眺望点はみつからず・・・でした。

<町田市 広袴 真光寺川北岸の丘陵斜面を望む 2015/05/30>

『水曜手帳』には
 何か古い事の探し出せそうな村だが、・・・
『柳田國男全集3』ちくま文庫p.21
と書いてありましたが、今は当然ながらごく普通の住宅地で
何か古い事を探し出せそうな気はしません。
(『柳田國男全集3』の解説によると、『水曜手帳』のはじめの7つの文章(「広袴」は5番目)は
昭和15年11月-19年5月に「民間伝承」に連載されたものとのこと)

余談ですが『水曜手帳』では「深見」「柳名」「乞田」そしてこの
「広袴」などと中小河川の川沿い(の斜面)に出来た集落がいくつか取り上げられていて
これがあるいは柳田國男の好みの景観だったかもしれません。
(たった4例で、何か言うな、といわれそうですが)
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