失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

戸山公園 新宿区

2016年05月22日 | 失われた風景
5/1に都立戸谷公園(箱根山地区)周辺を歩いてみました。

<公園外にある「この辺り尾張徳川家戸山荘古駅楼跡」の標柱 下の地図の①付近
 だいたいこの方向に御町家通り(下の記述参照)があったようです
 (写っているこの道が御町家通りだったというわけではありません)
 古駅楼は御町家通りにあった建物の名前です>

私がにわかにこの場所に気を魅かれたのは
この標柱にある「戸山荘」(尾張藩江戸下屋敷)の写真を
「写真集 尾張徳川家の幕末維新」(徳川林政史研究所編集 吉川弘文館 2014年)で見たからです。

<箱根山 下の地図の②>
戸山荘には小田原宿の街並みを模した町家街が作られていたと、そこには書かれていました。
昔の人(将軍や藩主や武士階級の堅苦しい人たち)もバーチャルな世界が好きだったんだ
という妙な共感のようなものを感じました。
 
<左:国土地理院1/25000地形図を「カシミール3D」を使って加工し縮小したもの
   ●で囲った範囲が尾張藩江戸下屋敷のおよその位置
 右:箱根山にあった解説板の図を90度回転してテキトウに色をつけたもの
 ①古駅楼のあったあたり ②箱根山(玉円峰) >

以下は上の地図(左)の赤い数字の順にならんでいます。
当時の遺構は箱根山以外にはないということですが
とりあえずおよそ昔の藩邸の周囲をぐるっとめぐってみることにしました。

<1 公園内 昔は池(あるいは池畔?)だった>


<2 明治通り 学習院女子大学>


<3 諏訪通り 戸山3丁目20 東方向>


<4 諏訪通りと箱根山通りのぶつかるところ 
   地形的にはこのあたりもうすこし右手が蟹川(藩邸内を流れていた川)の出口だったようです>


<5 国際医療研究センター前 西方向>


<6 大久保通り 戸山図書館のあたり 東方向>


<7 大久保通り 西方向>


<8 明治通りより東側にある道 北方向>


<上の地図の①から9の方向>


尾張藩江戸下屋敷(戸山荘)を扱った書籍のごく一部ですが、

・「尾張藩江戸下屋敷の謎」(小寺武久 中公新書 1989年)は新書1冊まるまるこのテーマを扱っています。

写真や絵画、絵図では
・「江戸のワンダーランド 大名庭園」(徳川美術館 平成16年) 平成16年に行われた特別展の図録です。
上で述べた「写真集 尾張徳川家の幕末維新」の写真も載っています。(この特別展行ってみたかったという感じ)
・「大名庭園」(サライ編集部編 小学館 1997年)「尾張公別荘道図」の絵図が7ページにわたって紹介されています。

地形については
・「東京の公園と原地形」(田中正大 けやき出版 平成17年)が
 「第6章大名庭園と谷戸」の中で9ページを戸山荘にあてています。

2016/5/29追記
地元新宿区の新宿歴史博物館の特別展図録を見落としていましたので追加します。
・「新宿歴史博物館平成18年度特別展 徳川御三家江戸屋敷発掘物語」
  - 尾張家への誘い - 展示図録 (新宿歴史博物館 平成21年第2版)
 戸山荘だけでなく、尾張藩の江戸上屋敷(市ヶ谷)、中屋敷(麹町)についても扱っています。
 「戸山荘図」(絵)や発掘調査の結果など、さすが歴博です。
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