猫と亭主とわたし

愛猫。虹のかなたに旅だったブラッキーとリリを偲び。家族になったルナと庭に移ろう季節、折々の想いを写真と文で綴っています。

孫と猫

2007-12-31 17:54:32 | Weblog
12月31日 月曜日 晴れ
■「ブラッキー、おいで。エサあげるよ」
孫のMがかわいい声で呼んでいる。ブラッキーがぐっとそりかえってエサ皿のある部屋にはいっていく。猫の世話ができることがうれしい。そんな感じで「ブラッキーがきたよ。呼んだら、きたよ」大声でこんどはわたしに呼びかけている。

■そんな孫をみているのがたのしい。明日はお姉さんのAが猫当番なのだそうだ。都会のマンション住まいだから動物は飼えない。猫と同居しているわたしたちの生活がうらやましくてしょうがないらしい。おばあちゃんたちと、ずっと一緒にいたい。などとうれしいことをいう。

■三人の子どもを育てたときは、ともかくいそがしかった。両親が長い病気で寝ていたので、育児にあけくれたなどという記憶はない。

■あのときの苦労があるから、いま心のゆとりをもって孫に接し幸せを感じられるのだと思う。「ブラッキー、すきだよ。だいすき」MとAが声をはりあげている。

   ちょっと戸惑っているブラッキー

       

       


冬の雹

2007-12-30 13:14:55 | Weblog
12月30日 日曜日 晴れ
■「おーい。カメラ」
亭主の声が二階の踊り場のあたりでする。わたしのカメラウーマンとしての腕をすっかり認めてくれている亭主からのお呼びだ。わたしは、おっとり刀ならぬ、カメラを持って二階にかけあがった。踊り場の北の引き戸が開かれていた。
「なんなのこれ」
おもわず、驚きの言葉が口をついてでる。日光方面、わが家から見て、北の空が真っ暗だ。稲妻が光る。まるでパニック映画のひとコマみたいだ。
「冬の雷雨だ」

■パチパチと撮っているうちに、わたしの周囲でも音がする。雹だ。雹が降っているではないか。あわてて、今度は地上一面に白く降り積もった雹にカメラをむける。よくとれているといいのだけれど。少し不安になる。シャッターを切り続ける。夢中でシャッターを切るわたしに「おれのブログにもピクチャのおすそわけたのむよ」だって。

■このところ、じぶんのブログを立ち上げたので亭主のブログにはあまりピクチャはのせていない。
「はいはいはい」
亭主流の快活な返事をした。

       

       




カスピ海ヨーグルト

2007-12-29 23:29:35 | Weblog
12月29日 土曜日 曇り、のち雨
■なんて暖かな日だったのだろう。カスピ海ヨーグルトが寒くてなかなかかたまらないでいた。それが今日はほどよいかたさになった。自然の温度というのはありがたいものだ。つくづくそう思った。ストーブの傍において、ぶつぶつになってしまって苦労していたのがうそみたい。

■ひややかな感触のヨーグルトがおいしかった。このところ正月料理の味見をしている。口が甘くなっていた。ヨーグルトの酸味が口いっぱいにひろがった。おいしかった。

■大和屋さんまでコーヒーを買いにでかけた。すばらしい水屋が飾られていた。店の展示のメインになる調度品がほしかったので。ということだった。
「ああいう水屋、わたしもほしいわ」
「どこで探してきたのか、聞いてくればいいのに」
亭主は原稿料が入ったら買わなければならない品物の予定表の一番下に書き込んでくれたらしい。予定表はわたしのほしい品物でいっぱいのはずだ。


おせち料理

2007-12-28 23:04:19 | Weblog
12月28日 金曜日 夜雨
■雨音をききながらおせち料理を作る。女にはいろいろな喜びがある。料理を作り子どもたちに食べさせるのもその一つだ。授乳本能みたいなものなのだろうか。おいしい。という言葉をきくとすごくうれしい。

■わたしは痩せていて、子どものころから好き嫌いがはげしかった。そんなわたしの趣向をほめてくれたのは亭主だ。好みがはっきりしているということは、味にもうるさいということだ。おいしい料理をつくる舌をもっているんだよ。たいした財産だ。だいじにしなければ。それからというもの、懐に応じていろいろな店を食べ歩いた。けっして一流の店ではない。だが、わたしの味覚を鍛えてくれた店の思い出を書いたらきりがない。

■おせちを作ることはそうした一年の総決算だ。子どもたちに今年もよろこんでもらえればいいのだが。

■いま11時。雨音をききながらキンピラをかきまぜています。



枯野

2007-12-27 22:49:14 | Weblog
12月27日 木曜日 晴れ
■ 家の隣の空き地では、背高あわだちそうや、ススキ、そのほかもろもろの雑草が亜麻色になって枯れている。わたしは、このうらさびた麦色にちかい色がすきだ。この色をなんと表現したらいいのか残念ながら、いまのところわたしの語彙では無理だ。この色彩を見るとワイエスの絵をおもいうかべる。ワイエスは見事な色調でこうした冬枯れた野原を描いている。

■ 12年前になるが東急文化村でアンドリュー・ワイエス展を見てすっかりとりこになってしまった。家の亭主が好きな絵描きさんだ。アメリカ文学を読んでいるとワイエスの絵をかけておくような書斎がほしい。なんて文章によく出会うらしい。それほど人気のある絵描きさんだ。

■ 色彩の消えていく冬にもこうした色のたのしみかたがあるものだ。

   実際はもっと白茶けている。

        


母の思い出の椿

2007-12-26 21:31:06 | 身辺雑記
       

12月26日  水曜日 晴
■ 今年はいつもの年より正月の準備がおくれてしまった。

■ 客が尋ねてくる予定。玄関だけでもと思い立ち掃除をはじめる。

■ 凹凸のあるガラス戸はおもいのほか汚れているのでびっくり。天井の煤払い、ガラスを磨く。玄関の空気まで澄んで清々しい。

■ 下駄箱の上に一輪椿の花をさす。

■ 椿は冬がきてもつややかな濃緑色の葉をもちつづけている。花は色あせないうちにふいに花ごとおちてしまう。

■ 花びらがひらひら散るようなことがない。そんないさぎよさが好きなのかな。

■ 生前、母が生家の椿を挿し木してくれた。裏庭に二本、表に一本すっかりわたしの背丈よりおおきくなった。

■ 椿の花の季節になると母をおもいだす。穏やかな、忍耐強いひとだった。



思い込み

2007-12-25 17:14:34 | 身辺雑記
12月25日 火曜日 曇り
■ 「あら、白木蓮の木に小鳥がきているわ」二羽仲良く寄り添っている。わたしはあわてて部屋にかけこむ。

■ 枯れ草を踏む音で逃げないように、カメラを持って静かに近づく。わたしの足音で二羽は、はなれてしまったらしい。

■ 大気が灰色によどみいまにも雨が降り出しそうな空。白木蓮の蕾が白くけぶっている。

■ シャッターをきる。逃げられないようにソオット何枚か撮る。

■ いや、まてよ。おかしい。人の気配ですぐ逃げるはずなのに、うごかない。

■ 裏庭に回る。屋根よりもたかくなった木蓮の木。真下で見上げるとなんと枯れた葉っぱだった。

■ 鳥だとおもってシャッターを真剣にきっていた。おかしさがこみ上げひとり声をたてて笑ってしまった。

■ 思い込みのはげしいわたし。

鳥にみえませんか?
 
       

   こどもの頭ほどある木蓮の葉

       

       

       

       


冬の欅

2007-12-24 16:12:56 | 身辺雑記
       

12月24日 月曜日 晴れ
■ 珍しく暖かな日だ。昼過ぎは風が強くなった。買い物に出かける。

■ いつも通る神社の欅の木を見上げると葉がすっかり落ち、その全貌をみせていた。
その姿は堂々として天にむかって枝をひろげていた。
葉の落ちた木のシルエットも素敵だ。水が枯れ、木の葉が落ち、石や崖がむきだしになったとき初めて真実の姿がみえてくるという。

■ 「最も喜びをもたらしてくれる季節は、夏であり、秋であり、冬であり、春である」ウイリアム・ブラウン

■ 四季の移ろいを身近に感じながら生活できるのも田舎住まいのおかげかとおもった。恵まれた環境で生きている。そう感じるようになったのもブログをはじめ、写真をとるようになったからだ。周囲を文章でとらえようと、よく見るようになったからだ。そんなことをかんがえながら初冬の神社の境内を抜けて、街にでた。





月光に酔う

2007-12-23 19:08:02 | Weblog
12月23日 №2
■木戸を閉めるため外にでた。東の空に冬の月がでていた。あまりの美しさに部屋にカメラをとりにもどった。

■亭主は漢詩にあるように冬の月を友としてお酒を飲みたいところ、昨夜飲んだので我慢。

■わたしだけ冬の名月に酔う。

       

       

       

四季の移ろい

2007-12-23 12:24:08 | Weblog
       

12月23日 日曜日 朝雨、昼近く薄日が差す
■ 昨夜いらいの雨で庭石が色、文様を鮮やかに浮き立たせている。石に生えた苔も雨水を含み緑がみずみずしい。義父が好きで集めた石。それをわたしが庭を作るとき花壇の周りにおいた。

       
■ すっかり葉を落とした夏椿、藤、モミジ、カリンの木、はこねうずき……。これから花が咲く椿の葉が薄日をうけきらきら輝いている。沈丁花の花芽がうっすらとピンクをおびている。

       

       
■ 自然は移り変わっていく。「……盆池拳石の間にも、煙霞具足す。……風月自からはるかなり。」菜根譚より。こんなあばら家にものどかな風月が自然におとずれてくる。




幸せの余韻

2007-12-22 18:17:32 | Weblog
   霧降の滝への道

       

12月22日 土曜日 曇り 今にも雨が降り出しそうな空

■ 昨日の楽しかった余韻がまだのこっている。

■ 霧降の滝までの1時間20分。歩きながら今までの生き方をふりかえり交わした会話。

■ ご馳走とは走りまわって美味しいものを探すということらしいが。山のレストランの食事も美味しかった。亭主といろいろ話し歩いたのもご馳走とわたしはおもった。

■ 雑木林、山々を見ながらこれからくる厳しい冬に猿やほかの動物はどのように冬を過ごすのか……霧降に近づくにつれて猿の糞らしきものがおおくなった。

■ 帰りは霧降から二社一寺まで歩いた。紅葉で燃えるように美しかった三仏堂のわきの庭園は枯山水のような風情をみせていた。あまりの落差におどろいた。

■ 「水木落ちて石痩せ崖枯れて,……」という言葉が好きだという、亭主に言わせればこのほうが自然の美しさだと言う。

■ なるほど。

   霧降から見た男体山
       
       

       

霧降「山のレストラン」にて

2007-12-21 22:53:11 | お出かけ
  日光駅から写す
 
      

12月21日 金曜日 晴れ
■ 重装備をして家をでた。コートのしたに太い毛糸のとっくりのセーターを着る。足にはレッグオーマ。オンパックスを腰に貼る。日光はそうとう寒いだろうとおもって。

■ 東武日光駅から霧降の滝まで歩き「山のレストラン」で食事をする予定。

■ というのは、昨日はわたしの誕生日だった。一ヶ月前から予定をたてていた。

■ 日光駅についた。目の前に冬の峰々が厳しい姿をみせていた。ぴんとはりつめた空気のなかで山が輝いていた。

■ 街をぬける。葉の落ちつくした雑木林が両側にある。道は急勾配となる。左右にゆるくカーブした道は林間をさらに奥へとつづく。静寂がそこにはあった。湧き水のかすかな音だけが聞こえてくる。穏やかな天気のせいか風の音すら聞こえない。ときおり亭主の甲高い声が空気をゆるがす。

■ 一ヶ月前に来たときとはすっかり風景がちがっていた。燃えるような紅葉の秋は終わり冬の到来をつげていた。

■ 山藤の大きなサヤが道に沢山おちていた。見上げると太いツルが木にからみ上まで伸びていた。「藤の花が咲くころまたこようね」と亭主と話しながら歩いた。

■ 往きはかなりの急な坂道。写真を撮ったり、湧き水が出ている小さな川を眺めたり景色を堪能して歩いた。

■ 霧降の滝へついたのは12時近かった。1時間20分ぐらい歩いた。

■ 霧降の滝への石畳の道は雪が残り凍っていた。道の端を歩くと霜柱がくずれさくさくと音をたてる。

■ 観瀑台は紅葉のシーズンには写真を撮る人でひしめいていたのに、今日は亭主とわたし「霧降の滝」を独り占め。滝も木の葉が落ちて全貌を現している。岩壁がそそり立つ。

■ 「山のレストラン」へ。中は暖炉に薪がくべられ心地よい暖かさだった。わたしは舌平目のムニエル、彼は虹鱒のチーズヤキ、「霧降」という銘柄のお酒を熱燗で一合。容器のブルーとワイングラスがすてき。そのために、ワインでも飲んでいるような雰囲気が食卓にただよう。お酒は麹のにおいなのだろうか、芳醇なかおりがしていた。彼がさしだすまま、わたしがまず一杯飲む。すすめられれば、何杯でも飲めそうなほど美味ししかった。食後、チーズケーキ、モカコーヒー。楽しかった。

■ 23718歩いた。

霧降の滝への道

       

     霧降の滝

        

     観瀑台から写す


       

     山のレストラン

       



誕生日

2007-12-20 22:42:03 | 身辺雑記
              
 
12月20日 木曜日 晴れ
■ 暖かな一日だった。正月に子供たちが来る。客用の布団を二階まで運ぶ。ボツボツ布団を干しておこう。孫娘がかい巻き(綿入れの広袖長着を大きくした形のもの)でねるのを楽しみにしている。かい巻きをかけ喜んでいる顔を想像するだけで楽しくなる。

■ 暖かなので体が動きやすい。トイレ、洗面所を掃除する。

■ クローゼットの中でケイタイがなっている。コートのポケットにいれたままだった。息子から「お袋 誕生日おめでとう!! 正月にはI子と帰る よろしくね」とメールがはいった。

■ またケイタイがなった。娘からおめでとうとメールがはいる。電話がジリジリ。受話器のむこうで孫娘達がハッピーバスディを歌って祝ってくれる。

■ 今日はわたしの誕生日だった。

  亭主から贈られたフォーエバーローズの鉢植え
       


シャッターチャンス

2007-12-19 22:46:12 | Weblog
12月19日 水曜日 晴れ
■ 空気がはりつめ頬がつめたい。いよいよ本格的な冬のおとずれ。

■ 歯科によってパソコン教室に行く。途中F橋から男体山をみる。今朝は男体山から女峰にかけて日光連山がくっきり姿をあらわしていた。

■男体山に白く雪が美しいヒダをつくっていた。

■ 写真を撮ろうとおもつたが急いでいたので帰りに撮ればと撮らなかった。

■帰りにはすっかり男体山はかすみ見えなくなっていた。

■ ……残念……

■ 『物のみへたる光、いまだ心にきへざる中にいひとむべし』(三冊子)

■ いつも亭主が言っている言葉だ。亭主の好きな言葉だ。それを、実感として体得した。一瞬一瞬を写したり、書きとめないとわすれてしまう。変化してしまう。かならず紙と鉛筆を持って書きとめなさいと。わたしがものぐさをしたので被写体は消えてしまった。

■ なるほど、こういうことなのか。無常迅速。はかないものの移り変わりを心に留めて生甲斐としたい。一瞬のきらめきにこころをうばわれる。感動する。

    12月15日写す 公園でひっそり咲いていた 
       
       
       


ポケットの中の子供たち

2007-12-18 15:11:57 | 身辺雑記
ポケットの中の子供たち
12月18日 火曜日曜日 晴れ
■ ことし携帯をかった。
■ ポケットの中でブルブルとふるえる。ピピーと音がする。
■ わたしの気持ちがネガティブなとき、ポケットのなかでビビーと不吉な音がする。あわててでる。何かあったのかしら……。明るい声がかえってくる。「元気」をもらう。
■ 決して不吉な音などではなかつた。わたしに幸せを運んでくる音だった。
■ メールでおしゃべりができる。
仕事、子供の世話と忙しい息子や娘たちとの距離が縮まったようなきがする。

■ 特に息子との距離が。男の子はよっぽどの用事でもないと連絡がない。あるとき二、三ヶ月連絡が取れないときがあった。心配のあまり会社に電話をした。元気に仕事に出ていると聞いて安心した。思わず「生きていたんですね」といったのをおぼえている。
ケイタイでメールを入れると必ずメールが戻ってくる。励ましの言葉だったり、喜んでくれたり、心配してくれたり。
息子や娘がますますいとおしくなる。

■ 子供たちからメールが入る。東京と鹿沼の200キロの距離の隔たりが一瞬にしてなくなる。
子供たちがすぐそこにいる。
街を歩いているときでも、キッチンにいるときでも、寝ているときでも、文字や言葉がケイタイを通してわたしに語りかける。

■ ケイタイはわたしたちをつなぐ分身。
■ それも手軽に時をえらばず寄り添ってくる分身。
■ポケットの中の子供たち。いつもいつも一緒だね。