道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

05/06 ちんすこう&のし梅

2014年05月06日 | スイ-ツ・お菓子

【ちんすこう】

「ちんすこう(珍楚餻)」とは、琉球王朝時代から沖縄県で作られている伝統的な菓子の一つ。
小麦粉、砂糖、ラードを主原料とした焼き菓子年知られている。他の伝統菓子には無いビスケットのような食感と、上品な甘さが人気。日本茶やコーヒーのお茶請けに限らず、アイスクリームの口休めやトッピングとしても楽しめる。観光を主な産業としている沖縄県の土産物品として特に有名であり、箱詰めされた同商品が土産品店で販売されている。

『由来』

その由来には諸説あるが、中国に同種の焼き菓子が存在することからも、中国菓子に原型がある可能性が高いと考えられる。その昔、中国南部で作られていたと言われている小麦粉に砂糖とラードを加えて蒸したカステラのような蒸し菓子が沖縄県の気候や原料に合わせて創作されたという説や、ポルトガルの焼き菓子として知られるボーロがシルクロードや海路を通じて伝わった説などもある。
また、菓子例帳には現在と異なり、「ちんすこう」は赤、黄、緑の着色がされていたとある。
スペインに古くから伝わる祝い菓子のひとつ「ポルボロン」は、材料や食感の面で「ちんすこう」との共通点が多い。以前は米の粉を使用していたとされる材料も、小麦粉へと変化している。

『来歴』

琉球王朝の後期、料理座の包丁人であった者達が冊封使の食事を賄う為に渡った中国(福州)で習得した中国菓子と、薩摩藩の在番奉行の接遇の為に石原嘉右衛門や柳屋善太郎から学んだ日本菓子を琉球独自の菓子として作り上げたもの。元来は琉球王朝の王族や貴族のみが、祝い事などの時に食べることが出来るお菓子として珍重されていた。

尚瀬王、尚育王、尚泰王の三代に首里城最後の包丁人として仕えていた一世の新垣淑規と二世の新垣淑総から、廃藩置県後に琉球菓子の作り方を伝授された三世の新垣淑康は、1908年に沖縄初の菓子司として新垣菓子店を興し、今日のレンガ釜で焼いた「ちんすこう」を販売した。この焼き菓子の「ちんすこう」は、船で琉球と日本本土を行き来する者達の土産品として既に重宝がられていたようだが、大きい上に、食べるとポロポロと崩れるという欠点があった。

新垣菓子店から分家独立という形で那覇市の久米に店舗を構えた新垣淑扶は、これまでの菊型の丸い形をしていた「ちんすこう」を米軍基地で使用されていたクッキーの型抜きを再利用し、一口サイズの細長い形に改良。と同時に「ちんすこう」の大量生産を確立させた。その後、「ちんすこう」は沖縄県の本土復帰と沖縄海洋博覧会という二大イベントも重なり、沖縄県を代表する土産菓子として認知度をさらに広めていった。

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【のし梅】

「のし梅」は、梅をすり潰し、寒天に練り込んだものを薄くのして乾燥と竹皮で挟んだ山形県村山地方の代表的な銘菓。

『歴史』

山形藩主の典医だった小林幻端が長崎での遊学中、中国人から梅を原料とする秘薬の製法を伝授され気付け薬として作ったのが現在の「のし梅」の原型とされる。その後は夏場の民間薬の胃薬ないしは気付け薬として各家庭で製造されていた。

文献には、「甘露梅」という名でその作り方が残されているが、そこには「梅をおろして汁をとり、瀬戸物に入れて天日で干す」といった内容が記されており、現在の菓子としての「のし梅」とほぼ製法が変わらないことからその原型とみなされている。また、他にも同名の「のし梅」の名で葛を使ったものの記録も残っているが、明治初期に京都にて行われた博覧会に出展されたものの、日持ちが悪く評価も芳しくないことから、寒天の一般への流通と共に、江戸後期から明治初期において現在の形に成立して行ったと考えられている。

現在の形の「のし梅」を製造した祖とされているのが、創業文政年間の「のし梅本舗佐藤屋。日本三大修検山として江戸時代に盛り上がりを見せた「出羽三山詣」の参拝客の宿場町として山形市十日町近辺は栄えており、菓子として「のし梅」を売り出したところ人気を博したという。正岡子規の文献にも「山形の乃し梅」があり、日持ちの良さから全国的に流通していた事がうかがえる。

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05/05 引千切&凍天

2014年05月06日 | スイ-ツ・お菓子

【引千切】

「引千切」とは、餅と餡て作られる和菓子の一つ。その形から「あこや餅」とも呼ばれることもある。

白餅を丸く伸ばしてくぼみを作り、その端の一方に引きちぎったような取っ手らしき形を添える。くぼみに餡を乗せる。
宮中で人手の足りない時に餅を丸める手間を惜しんで引きちぎったのが始まりといわれる。

餡は白餡に限らず、よもぎ餡などを用いることもある。餡も粒餡と漉し餡がある。

京都の雛祭りには欠かせないとされる。その他にも、各地の祝い事に用いられることがある。

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【凍天】

「凍天」とは、福島県南相馬市の餅菓子。

『概要』

保存食として食される凍み餅を水でもどし、ドーナツ生地でくるんで油で揚げることで作られる。揚げたドーナツ生地の歯応えと、凍み餅の食感が独特の特徴を持つ。

『評価』

ネット通販でお取り寄せグルメとして人気となり、テレビや雑誌で取り上げられることで広く知られるようになった。そのため、福島県内より県外での知名度の方が高い。

「凍天」を通信販売している木乃幡は、東日本大震災による原発事故とそれに伴う風評被害のために南相馬市の工場の操業が不可能となり、本社機能を宮城県に移すことを予定している。

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