佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

講演会その後

2012-11-13 | さよなら原発

講演会の後のデモ行進でも、その後の交流会でも、一番元気だったのは鎌仲ひとみ監督。

監督の周りは、常にワイワイガヤガヤ、そしてブンブン。

そう、まるでミツバチの羽音のような感じ?

そして、翌日、

五島行きの船に乗り込んでも、出発間際まで笑顔で語り続ける監督。

2階のデッキに立つ監督の姿が見えなくなるまで、私たちも手を振り続けました。

船は無事に上五島に着き、この日の上映会も大成功だったと聞きました。

 

まさに監督自身がミツバチ。

ブンブンと日本中を飛び回り、

原発なんか無くそうよー、安全な未来を作ろうよー、とbuzzして回ってる感じです。

 

でも、このbuzzが大事なんですよね~

佐世保での講演会には、長崎市や諫早市、西海市、松浦市、

また佐賀県の唐津市や伊万里町から参加してくださった方々もいらっしゃいました。

このような方々が、それぞれの隣人たちにまたbuzzしてくださることでしょう。

 

平戸市から来てくださったSさんからは、翌日お電話をいただきました。

平戸でも是非、鎌仲監督をお招きしたい、微力だけどできることをやっていきたいと、

真剣に熱く語ってくださいました。

 

そしてSさんは、ご自身が書かれた詩『十年後の夢』を紹介してくださいました。

今年の長崎県文芸大会「現代詩」の部門で入賞なさったその作品は、

福島原発事故後のドキュメンタリー番組を見て、詩になさったそうです。

とても心に沁みる内容でした。

ご本人の快諾を得ましたので、ここにご紹介します。

 

  十年後の夢                          里崎 雪


わしは今日も 牛に餌をやる

たった一人で 牛の世話をする

ほんの一年前 家族で汗水たらし

一生懸命 雨の日も風の日も

家族で力を合わせて 牛の世話をしてきた

牛の花子が 難産でやっとの思いで

仔牛を産み 死んでしまった時

孫のゆう子は泣いた

泣いて泣いて大変だった

そうだよな

よちよち歩きの頃から

友達だった花子が死んだのだから

見ていて本当に可哀想だった

でも生まれた次郎を花子の分もと

家族みんなで可愛がった

一生懸命育てた

雨の日も風の日も家族で力を合わせて

牛の世話をしてきた

ほんの一年前までは―――

牛のたか子が出産間近だった

家族みんなで楽しみに待っていた

三月十二日 フクシマゲンパツジコハッセイ

牛たちは高いベクレルの渦の中に取り残された

牛の世話をしたくても

「警戒区域」

ピピピッ 警官隊に止められる

「そんなバカなことがあるか!俺の家だぞ 

俺の土地になぜ入っちゃいかんのだ」

みんな詰め寄った

「犯罪です」

国命により立入禁止区域は

入ったら犯罪なのだ

「俺の家だぞ」

「俺の土地だぞ」

「牛が待っている!俺たちが世話をしなくちゃ牛は死んでしまう

たか子は出産間近なんだ!・・・・

ちきしょう!」

どうすることもできない

泣いて泣いて泣きに泣いた

地獄――――

原子力地獄――――

 

わしは今日も 牛に餌をやる

たった一人で 牛の世話をする

息子家族は都心へやった

若いもんは未来に責任がある

わしは一人で 牛の世話をする

それが生かされたわしの使命だ!

わしは七十二歳

大丈夫だ あと十年は牛の世話ができるだろう

十年後――

昔のように 家族総出で 牛の世話をしている姿を

夢に見ながら

 

十年後の夢が実現することを祈りつつ、

祈りだけでは実現できないことを思います。

声を上げなければ、行動しなければ、この国は変わらない。

エライ人に任せっきりにするのではなく、私たち一人ひとりが意思表示しなければ、

ミツバチのようにブンブンと…

 

コメント
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