いよいよ当日。
会場いっぱいの参加者の前で、いつものように元気満タンの鎌仲監督。
縦横無尽のトークに、メモをする手もいつしか止まり、
(書くのが遅くて、ついていけない…)
ただ、耳を傾けることにしました。
記憶に残ったのは、
○ 劣化ウラン弾の破片が残るイラク。
そのイラクでは小児白血病の子どもが増加して苦しんでいる。
だが、そのイラクの空間線量は東京よりも低いという事実!
○ イラクよりもはるかに汚染された空間線量の福島では、
学校で普通の授業(=グラウンドで体育の授業)がおこなわれてる。
こどもたちは汚染されたグラウンドで体育をし、遊んでいる…
○ そういうことに異議を申し立てると、
「国が大丈夫だと言ってるのに、そんなに心配なら、あなたが出ていけば?」
というリアクションがかえってきて、
福島のお母さんたちは不安を口にできなくなっている。
○ 「六カ所村ラプソディー」の撮影の時、推進派の人たちの話をよく聞くと、
彼らは好き好んで核燃料再処理工場を選択したわけではなかった。
普通の工場を建設すると思い込まされて、土地を売った。
その工場で雇ってもらえるということで土地無し農民になったが、
15年間工場は建たず、出稼ぎに行かざるを得なかった。
途中から工場の正体がわかってきたが、反対する気にはならなかった。
工場を建設するあいだは雇ってもらえて出稼ぎに行かずに済むし、
その間は放射能の心配もない。
村に大金も入り、豊かになる。
本当の意味で核燃料サイクル推進というわけではなかった。
○ 取材を終えて三沢空港から夜もどるとき、上空から見ると、青森は真っ暗だった。
羽田に戻ると…光の海。
六ヶ所村に放射性廃棄物を押し付けて、都会では電気を無駄に消費している。。
○ 去年は福島のお米も豆も野菜も最高に売れた。
それらは、すべて外食産業に流れた…
○ スウェーデンでは、国中の公共バスの燃料はウンチ!
トイレの便器は、大と小が分かれて溜まるように造られている。
大は乾燥させてバイオマスにして、バスを動かし、
小は熟成させて有機肥料にしている。
便座は木製で冬も冷たくないので、日本のように電気で温める必要はないし、
林業の支援につながる。
○ エネルギーシフトには選択肢が必要。
電力市場の開放ができていないのは、先進諸国の中では日本だけ。
○ 事故の補償金を東電が国に求めたとき、もっと社員の給料を下げるよう枝野さんに言われたが、
当時の東電の平均給料より、九州電力の社員の給料の方がずっと高かった。
その平均給与は、なんと835万円!
○ 脱原発に進むには意思表示することが大事。
市民が諦めずにやることが大事。
質問コーナーでは、たくさんの手が上がった。
ほとんどが女性。
皆さん、とても真剣で、切実な思いを込めて発言されました。
中には、東北にいる友人たちのことを思って、泣きながら問いかける若い女性も…。
友人のY子さんは、知人のお嬢さんが甲状腺検査でA2(5mm以下の結節や20mm以下の嚢胞)
にランク付けされたのに、次の検査は2年後と言われ、とても心配していることを紹介。
それに対し監督は、ベラルーシでは移動検診でこまめに検査をしているし、
ポーランドでは事故後すぐにヨード剤を子どもたちに飲ませたので、
国境をはさんで、甲状腺がんの発症率がベラルーシよりも劇的に少ないと説明。
それを受けて、Mさんが発言した事実に、監督もみんなもビックリ!
Mさんの夫はオランダ人で、子供が一人いる、三人家族。
福島原発事故直後、オランダ政府から3人分のヨード剤が送られてきた。
「私は国籍は日本なのに、オランダ政府に守られている」
そう語った時のMさんの声はふるえていた。
会場にいた皆の心もふるえたと思う。
他にも、たくさんの女性が、多くの疑問を投げかけ、不安を語ってくれた。
もちろん、この場では何も解決しないけれど、
たくさんの人たちが原発をなくし、安心して暮らせる社会を望んでいるし、
その思いを伝えたいと感じていることが、とてもよくわかった。
講演会の後、監督を真ん中に、暗くなった佐世保の街を、「原発いらない」の幟を掲げて歩きました。
いつもより、もっと明るく、もっと元気に・・・