貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

親鸞聖人七不思議「片葉の葦」が玉江に繁茂!

2023-05-16 10:41:06 | 日記
令和5年5月16日(火)
 歌枕となる証の古歌。

まず、後拾遺和歌集の一首。
「夏刈の 
  玉江の芦を 
   ふみしだき 
   むれいる鳥の 
     立つ空ぞなき」
 藤原俊成(古今和歌集)の歌は、
「夏刈の 
   芦のかりねも 
     あはれなり          
   玉江の月の 
     あけかたの空」 
忠房親王の歌は、
 「夏刈の 
    玉江の芦の 
       短夜に            
   見る空もなき 
      月の影かな」
 承元元年(1207)、
親鸞聖人は越後に流されたが、
その道すがら沿道の人々に
一向念佛を説かれる。
 越後の親鸞聖人七不思議の一つに、
「片葉の葦」
というのがあるが、
越前にも七不思議があり。
 その片葉の葦は
先年までここ花堂玉江一帯に繁茂
していて、
聖人の遺跡として伝承されている。
 玉江二の橋の竣工を記念して、
有志相計り聖人の御遺徳を偲んで、
この石碑を建立したという。



歌枕「夏苅りの葦の玉江」を訪ねる!

2023-05-15 10:11:59 | 日記
令和5年5月15日(月)
福井市:  玉江跡:玉江二の橋      
<朝六つ橋>
 
 この附近一帯の小流は、
歌枕にとりあげられたりして、
往時から知られている

「玉江の跡」である。
 この橋はその名残を伝え、
「玉江二の橋」の名で呼ばれる。 
 元禄2年(1689)8月13日
(新暦9月26日)、
芭蕉は神戸洞哉と共に
夜明け前に福井を立つ。
<朝六つ橋>

 あさむつ橋を渡り、
玉江の蘆を見ている。
<芭蕉と西行の句碑>


 芭蕉の句は、
「月見せよ 
  玉江の芦を 
   刈らぬ先」 。  
 福井県福井市の八幡山の
南東麓あたり、
福井鉄道の花堂駅から江端駅に
かけての一帯は、
昔の浅水川の氾濫原であり、
中世まで湿地帯が広がっていた。 
 沼地には葦が群生し、
様々な水鳥が飛来している。
 北国街道は
この湿地帯を南北に縦断して
通っており、
旅人たちは風光明媚な風景を
楽しむことになる。
 ここは
玉のようなきれいな川が
流れていたのか、
「玉江」という地名である。
この地では、
夏に伸びた葦を刈る「夏苅り」が
盛んに行われていたようで、
『夏苅りの葦の玉江』
として歌枕になっている。 
 以下歌枕となる証の古歌。
 まず、
後拾遺和歌集の一首。
 「夏刈の
   玉江の芦を 
    ふみしだき 
   むれいる鳥の 
      立つ空ぞなき」
~つづく。

等栽と名月を観賞に!福井左内公園その2

2023-05-14 10:47:13 | 日記
令和5年5月14日(日)
 1689年9月24日、
芭蕉は知人の等栽に会いに行く。
「福井は三里ばかりなので
夕飯を食べてから出たが
黄昏時の道なので
迷い迷い歩いた。
ここには、等栽という古くからの
世捨て人がいる。
何年前か江戸に来たとき
私を訪ねてきた。
もう老いぼれているか? 
或は死んでしまったか?
と人に尋ねるとまだ存命で
どこそこに住んでいると言う。
町の中から引っ込んだところの、
粗末な家で夕顔・糸瓜が
生えかかり、鶏頭・箒草で入口を
隠している家だった。
たぶんこの家だろうと門を叩くと、
みすぼらしいなりの女性が出て
きて『何処から来た仏道心のある
お坊さんでしょう。
主人は今近くのどこどこにいますので、
用事が有るのならお訪ね下さい』
と言う。 
然と彼女が等栽の妻と分った。
昔の物語(※)には
このような風情があるものだ。」
※源氏物語・夕顔をイメージして
いるらしい。
「すぐに等栽を訪ねて会い、
その家に2晩泊まり、
名月は敦賀の港で見ようと思い
旅立った。
<芭蕉と月の句一覧>

等栽も送りますと
着物の裾を面白い様子に
はしょり道の案内をしようと
ウキウキして出発した。」
 芭蕉宿泊の地
「等栽宅跡碑」もあり。
<等栽と左内町説明>

奥の細道関連の資料も
案内板にて紹介されている。
<奥の細道の旅の図>

 大理石でまん丸の月を
かたどられた芭蕉の句は、
「名月の 
  見所問はん 
   旅寝せむ」



安政の大獄で処刑された橋本左内と芭蕉名月碑!

2023-05-13 10:57:27 | 日記
令和5年5月13日(土)
福井市:  左内公園   
<左内公園笠碑>
     
 左内とは橋本左内のこと。
 松平春嶽に認められ藩政に参画。
安政の大獄により
26歳の若さで処刑される。
 この公園は、
左内生家跡地でもあり、
橋本家の墓所でもある。
 凛と立つ左内の立像は、
昭和38年、市民の寄付                             により建立されたという。 
<橋本左内立像>

また、
左内が15歳のときに著した
『啓発録』の碑も
建立されている。
<左内十五歳啓発録の碑>

 その近くに、
芭蕉句碑が祀られる。
<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「名月の 
  見所問ん 
    旅寝せん」
 1689年9月24日、
芭蕉は知人の等栽に会いに行く。
~つづく。

福井市天龍寺その2 余波の碑!と菩薩!

2023-05-12 16:54:04 | 日記
令和5年5月12日(金)
 そして、もう一つ。
 芭蕉と北枝の別れの銅像。
 「余波の碑」だ。

 北陸の冬は寒く、
冬は二人とも防寒着を着用して
いるという。
 『奥の細道』では、
「丸岡天竜寺の長老、
 古き因あれば尋ぬ。
 又、金沢の北枝といふもの、
 かりそめに見送りて此処まで
 したひ来る。
 所々の風景過さず思ひつヾけて、
 折節あはれなる作意など聞ゆ。
 今既別に望みて、
「物書て 
  扇引さく 
    余波哉」
と記載されている。 
<芭蕉句碑>
  
                 
 明治維新と共に
その後援者を失い、
1977年寄進によって
禅修行のための僧堂(古木堂)が
建てられ、
現在では世界中から多くの人が
訪れる坐禅の道場となっている。
 道路沿いに水子供養なのか、
観世音菩薩が二体、

慈悲深く、豊かな表情を
拝顔する。
<松岡三十三観世音菩薩>