貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

大垣結びの地その3 初旅の不安から歓喜へ!

2023-05-27 11:15:20 | 日記
令和5年5月27日(土)
 長旅の疲れを、
大垣で木因らと俳諧に興じ、
癒やすことになる。
<谷木因の俳句の道標>

 木因の俳句道標は、
手前にあり。      
「南いせ 
  くわなへ十里ざ 
     いがうみち」 
と詠む。                 
 伊勢まで船旅もいいなあ!           
 芭蕉句碑を挟むように、
木因白桜塚がある。  
<木因白桜塚>
   
「惜むひげ 
   剃りたり窓に 
      夏木立」           
      白桜下 木因
と刻印されている。
 旧友木因との再開のくだりでは、
「大垣に泊りける夜は、
木因が家をあるじとす。
武蔵野出でし時、
野ざらしを心におもひて
旅立ければ、
「死もせぬ 
  旅ねの果てよ 
    秋の暮れ」
 と旅の緊張感をほぐし、
冒頭の句文に対応させて
大垣での様子を表現している。
 ちょうど大垣が
この旅の締め括りのような感じを
与えている。
 初旅の不安は見事に消去され、
歓喜の大垣という印象。
 元禄元年(1688)の春より、
大和から大阪・兵庫を巡歴しての後、
京都に滞在していた芭蕉は、
夏五月、
大津より帰東の途中、
岐阜妙照寺住職である己百上人の
案内で、美濃に来遊する。
大垣木因亭にて、
「来てみれば 
  獅子に牡丹の 
     住居哉」
という句を詠み、
ここから芭蕉は、
名古屋・鳴海方面をまわり、
8月11日、
美濃路を経て、
「更科紀行」の旅に出立する。
~つづく。