令和5年5月20日(土)
敦賀市: 金 前(こんぜん) 寺
泰澄大師が天平8年(736)に
泰澄大師が天平8年(736)に
開創したと伝えられる由緒ある
お寺。
<本殿>
境内には
五重塔や除夜の鐘突きを行う鐘楼堂
などがあり、寺歴も掲示されている。
<寺暦>
近くには金崎宮や金ヶ崎城跡があり、
特に桜の美しい春には多くの人が参拝する。
延元元年(1336)10月、
延元元年(1336)10月、
新田義貞は金ヶ崎に城を築き、
翌2年3月6日、
足利尊氏の軍に攻められて敗走。
後醍醐天皇の皇太子恒良親王は
後に囚われ、皇子尊良親王及び、
新田義顕(義貞の長男)は、
金前寺の観音堂にて自害する。
<袴掛け観音の謂れ>
この戦いに敗れる際、
義貞は陣鐘を海に沈めた。
その後、
国守が海女に命じて探させたが、
鐘の竜頭がさかさまに落ち込んで
泥に埋まり、引き揚げることが
できなかったと云われている。
芭蕉は
芭蕉は
元禄2年(1689)8月15日、
雨の中を天屋玄流らに案内されて
金前寺を訪れる
<芭蕉翁鐘塚>
そして、延元の戦い、
陣鐘の物語を聞いて歌を詠む。
「月いつこ
「月いつこ
鐘は沈る
うみのそこ」
はせを。
この鐘塚の句碑は、
この鐘塚の句碑は、
宝暦11年(1761)に
敦賀の俳人、白崎琴路らが
芭蕉の没後68年目に建立。
<芭蕉句碑>
真筆を刻んだと伝えられているが、
この真筆は不明。
鐘塚は県内に残る句碑の中で
最も古いもの。
<鐘塚の説明碑>
ご近所の方が迎え入れる
おもてなし!
金前寺のパンフレットも
金前寺のパンフレットも
持ってきてくださる。
有難し、ありがたし!
「清浄心」
日々掃き続け、清浄心を、
そして布施の命、
老いて今日より遍路!
<遍路姿の老夫婦の句碑>
ほんと、実感!
健康的な朝は、
健康的な朝は、
掃き浄める清掃から
始まるのかもしれない。
清浄が正常かな。
毎朝、家の掃除から
私の1日も始まる!