貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

ちさと茄子

2019-08-26 08:51:51 | 日記

ちさと茄子

令和元年8月26日

 近くの小学校は、今日から

2学期!

 子どもたちがいくつかの団子に

なって、楽しそうに話し

し合いながら歩いている。

 夏の思い出で話の花が咲いて

いるよう・・・!?

 けさはいよいよ島田市の

博物館。数回目となる。

 博物館は、島田市中心部から

西に1.8キロメートルの、

大井川河川敷近くに所在。

 旧東海道島田宿の大井川川越し

の宿場を再現した国の史跡

「島田宿大井川川越遺跡」の

街道沿いにあり、史跡エリアを

含めて「ヒストピア島田」と

総称される。

 本館の北東約200メートルの

 街道沿いに分館がある。

 今回は、両方訪問。

 先ず、本館。

 可愛い池のコンクリート橋の

上で、近所の母子が散歩に。

 1.2歳で、探索の年頃。挨拶

すると、その男児が私に多大の

好奇心!

 

 暫くの間相手し、芭蕉の句碑に

向かうと、一緒についてくる。

 足取りもしっかりし嬉々とし

ている。

 芭蕉2回目の逗留、元禄7年

(1694)5月中旬に塚本如舟宅に

宿泊した際に詠んだ句。

 この句からは、如舟がもてなした

お膳の汁には、春野菜であるちさ

(チシャ菜)と盛夏のものである

茄子が入っていて、青々として

香り高いちさと色鮮やかな紫の

茄子とのコントラストが印象的

であったことが覗える。

 そのもてなしに感謝を表す

句となっている。

「ちさはまた 青はなからに 

    なすび汁」 


島田駅周辺駆け巡り

2019-08-25 09:13:47 | 日記

島田駅周辺駆け巡り

令和元年8月25日

 さあ、今朝も島田駅周辺

駆け巡り。

 島田信用金庫前に、

芭蕉句碑あり。

句は、

するかの 国に入て

「するかちや 花橘も 

   茶のにほひ」

       はせを
である。

 島田駅前周辺を駆け巡る

芭蕉句碑探訪の時間となる。

 これにて島田駅周辺

駆け巡りは、幸せ一杯で完!


名を名乗らする?

2019-08-24 09:12:35 | 日記

名を名乗らする?

令和元年8月24日

 久し振りの晴天かな?

日射しも夏の日射し、残暑の一日。

 島田駅前は、芭蕉句碑が多い。

 今朝は駅前の公園。

 緑地公園だ。

 見通しのよい緑地公園。

 芭蕉の句碑もすぐ分かる。

 まだ新しい。

二つの説明書きも珍しい! 

 一つは芭蕉の句、

「宿かりて 名を名乗らする 

   しくれ哉」  

の説明。

 もう一つは、

『野ざらし紀行』

の「島田」のくだり。

 さて、芭蕉の句。

「宿かりて 名を名乗らする 

   しくれ哉」

 名を名乗らする?

 時雨に降られる侘しさに、

宿にとびこみ大声に名をなのって

取り敢えず宿を乞う。

 時雨の慌ただしく降る侘しい

本情をいった。

 大井川を渡る前の時雨。

時雨が、急ぎ大声で宿を乞う姿

を想像する。

 大井川を車で渡りながらも、

当時を想い起こし、ようやく

理解できた。


秋雨の空吹き落とせ大井川!

2019-08-23 09:15:06 | 日記

秋雨の空吹き落とせ大井川!

令和元年8月23日

 今週は雨天、曇天、雷雨天の

ご活躍の日々。

 涼しくなって心身とも癒やせて

有難し。

 今朝は、島根の三瓶山の放映。

「男山、女山、小山、孫山の4山

が手を繋いでいる温かい火山の山」

大上が引き寄せたという神話も

紹介される。

 島根と鳥取方面へ再度行きたく

そして、三瓶山への登山と灯が

付いた。

 計画のし直しの楽しみが増す朝、

島田市へ。

 

 室町後期の連歌師で宗祗に

師事した宗長は、文安5年(1448)、

島田に生まれる。

 島田駅前。駐車を迷惑かけない

処に。駆け足で、写真だけ撮りに。

 

 宗長法師句碑には、

「遠江国々の山ちかき所の

千句に 宗長 こゑやけふはつ

蔵山のほととぎす」

と記されている。

左、道路沿いにある

芭蕉の五月雨古碑。

 芭蕉翁を慕う漢文碑の

釈文は、調べたが、現段階不明。

 芭蕉のさみだれ古碑(断碑)

は、

「さみたれの 空吹きおとせ 

      大井川」

である。

 今朝の心境。

秋雨の 空吹き落とせ 

      

大井川

かな。

 

 


名乗る 代々孫兵衛

2019-08-22 08:59:03 | 日記

名乗る 代々孫兵衛

令和元年8月22日

 今朝は涼し。ちょっとだけ

寒いかなと感じるような陽気。

 風邪に留意?

 島田市へ到着。

 塚本如舟(じょしゅう)邸(やしき)

跡へ。

 塚本如舟邸跡は、現在静岡銀行

島田支店前。

 塚本家は代々孫兵衛を名乗り、

元禄9年(1696)、初代の川庄屋を

代官から任命される。

 その他組頭、名主、問(とい)屋(や)

場(ば)の年寄、六代目からは問屋を

努めるなど、代々宿役人要職を務

める。

 三代目孫兵衛は、「如舟」と号

する俳人でもあり、後に子孫が、

彼のことを、

「家業に精を出し、酒造・製茶を

営んで江戸に送り、東叡山上野

寛永寺への献茶の御用を蒙るなど

繁昌して富貴となり、宿高の内

150石を持っていた」

と伝えている。

 塚本家は主に茶商と大地主として

財を成したようだ。

 また彼は、島田出身の連歌師

宗長を偲んで、長休庵という草庵を

南裏に建てる。

 後の宗長庵という寺になる。

 元禄4年(1691)、俳諧師芭蕉が

江戸に向かう途中、俳人として

知られていた如舟宅を訪れる。

 芭蕉48歳、如舟51歳。

 また、元禄7年(1694)、芭蕉は、

江戸から郷里伊賀上野へ向かう途中、

再び如舟宅を訪れる。

 川留めのため四泊五日滞在。

 この時にも、石碑に記されている

ような有名な句をいくつか残し

ている。

 芭蕉の句は、

「田植とともに たびの早起」
 

 如舟の句は、

「やはらかに たけよことしの 

      手作麦」

 なお、芭蕉は、この年十月に永眠。