goo blog サービス終了のお知らせ 

貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

八丁畷の八丁とは?

2019-05-26 08:48:35 | 日記

八丁畷の八丁とは?

令和元年5月26日

 今朝は、京浜急行八丁畷駅へ。

 京急線八丁畷駅前で、旧東海道

の歴史を伝える無縁塚(川崎市

川崎区下並木)が、地元の町内会

員らを中心に再整備され、完工記念

式典が開かれる。

 雑草が生え、寂れていた塚を

「魅力あるものにし、誰もが歩き

たくなるような旧東海道にしたい」

と3年越しの活動が実った。

 やはり地元の人の力の結集は、

魅力ある。

 八丁畷という名は、一度耳にしたら

忘れない響きがある。

 畷葉、たんぼ道、あぜ道の他

まっすぐな道という意味もある。

 八丁畷は、8丁(約870メートル)

にわたるまっすぐな一本道の意だ。

 川崎宿の外れにあり、江戸時代の

人骨が戦後、道路工事などで

たびたび発見されたという。

 震災や大火、飢餓などで亡くな

った身元不明の人々を街道の並木

に埋葬したと推定されている。

 当時は一帯は麦畑。

 今は、その俤もないが・・・。

 駅前の道は入り組んでいて、駅前の道?

 交番で聞いて、何とか芭蕉の句碑へ

辿りつく。

 


泊船寺の夜泣き芭蕉像

2019-05-25 09:06:47 | 日記

泊船寺の夜泣き芭蕉像

令和元年5月25日

 30度越えの後の夜は、軀も

火照り、寝付きも流石に・・・。

 皐月の夏日は今日も続く。

 室内は過ごしやすし。

 仲夏の暑さとは違う。

 少しずつ暑さに慣れて、また

この夏を楽しんで・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 泊船寺は、別名俳句寺といわれる

ほど句碑も多い。

 説明書きがそろそろ必要かな?

「泊船寺の夜泣き芭蕉像」という

昔話を初めて知る。

「ある夜、寺から芭蕉坐像が盗ま

れてしまいました。

 みんなで手を尽くして探しました

が見つかりません。

 盗まれた像は、古道具屋に売られ

ていましたが、古道具屋の主人は

その像が、泊船寺から盗まれた

芭蕉像とは知りませんでした。

 その日の真夜中、『おい!おい!』と、

どこからか人を呼ぶ声に、店の主人は

目をさまします。

 周りには誰もいません。

『気のせいかな』と思って眠ろうとし

ましたが、しばらくすると、また、

声が聞こえます。

 表の戸を開けてみても、だれもい

ません。おかしいなと思いながら、

布団に潜り込むと、やはり声がす

るのです。

 主人が声のする方へ辿って行くと、

どうやらその日に買った像から聞こ

えてくるようです。

 おそるおそる像に近づいてみると、

像は目に涙を浮かべて、

『わしは、早く寺に帰りたい』

と、かすかな声で言っています。

 次の日も、また次の日も、同じよう

に泣くので、主人が調べてみると、

泊船寺から盗まれた芭蕉像だと

わかりました。

 かわいそうに思った主人は、

ある夜、芭蕉像を白い布に包んで、

泊船寺の門のところにそっと返し

ておきました。

 翌朝、寺の小僧さんが、門前で

白い布に包まれた芭蕉像を見つけて、

元の場所に戻しました。

 これを聞いた村人たちは寺に

集まり、『芭蕉様が戻ってきたぞ』

とみんなで喜びました。」

という話。

これは泊船寺の六地蔵。

 やっと参拝!ありがたや!!!


はせをの前に・・・、芭蕉の後に・・・!

2019-05-24 08:34:49 | 日記

はせをの前に・・・、芭蕉の後に・・・!

令和元年5月24日

 熱中症の発症が出始める。

 運動会の練習で、と近辺の町で

数名の児童が……・というニュース。

 大したことなく一安堵!

 皐月の下旬は、以前からプールに

入りたい天気が続くことが多かった

・・・?

 さあ、句碑の林立!

 その中で目立つのは、

芭蕉翁像安置碑。

 碑陰に、芭蕉の句、

「旅人と 我名呼れん 

     はつ時雨」

が刻印されている。

 芭蕉100回忌の折、俳人石河

 積翆(せきすい) が芭蕉像を

造って寄進。

 続いて、芭蕉詩碑。

 谷口楼川(木犀庵)の作。

「はせをの前に 芭蕉なく

 芭蕉の後に はせをなし

 芭蕉々々 大なるかな 

       はせをの葉」

 三つ目は、芭蕉句碑。

 句は、

「いかめしき 音やあられの

             檜笠」

 芭蕉150回忌 天保14年(1843)に

俳句の会、星野連が建立する。


思いは通ず!

2019-05-23 09:14:52 | 日記

思いは通ず!

令和元年5月23日

「東海道は国道1号、しばらくは

箱根駅伝コースだなと少し気楽な

車マラソンのような感じであった。

 3時25分に出発したが、

5時前には目的地に着く。

 しかし、泊舩寺そのものと駐車場

が見つからない。

 2・3回同じ所を巡るが、一方

通行路が多く、やっと見付けたら、

普通の住宅に近い新たな建物で、

がっちりと北門と塀で隔絶され

ていた。

 侘し!」

 これは、4年前の訪問記。

 随分早い時間に出かけたもんだ。

 意欲先行!?

 たぶん、この正門で、驚いた

よう?

 ぐるっとこちらへ回れば

よかったんだけど。

 駐車場がないことは二度目で

分かる。

 二度目は電車利用の訪問。

そして、参拝。

 楽しみは後に残すという

一回目の決断は正解!

 六地蔵も参拝!

 パートⅡ           

 室町時代の永徳2年(1382)に開寺。

 江戸時代の初期、1680年代に

住職を勤めた千巌(がん)宗億が俳人、

松尾芭蕉と親交が深く、境内に

牛耕庵(泊船堂、芭蕉堂)を建て

芭蕉を迎えたと伝えられる。

 文化年間(1804~18)には、

俳人2世杜格斎(さい)山(さん)奴(ど)

(白牛禅師)がこの寺に住んだ

ことから、たびたび句会が開かれる。

 芭蕉を慕う多くの俳人が集まる

ようになる。

 泊船寺彫刻として、白牛禅師坐像

(彫刻第10号)、俳人石川積翠が

刻したとされる松尾芭蕉坐像

(彫刻第11号)、芭蕉の弟子の

服部嵐雪(彫刻第12号)、と

宝井其角の坐像(彫刻第13号)が

ある。

 いずれも木造の寄木造。

 そして、住職のお言葉。

 相手になる人のことだけでなく、

時流もそのひとつか?

 ほんと、もっと落ち着いた行動を

心がけていこう!


奇抜な境地

2019-05-22 08:33:00 | 日記

奇抜な境地

令和元年5月22日

古池や 蛙飛びこむ 

       水の音

 貞享3(1686)年春の作。

「静かな春の日、さざ波もなく、

水の淀んだ古池の辺りは

ひっそりとして何の物音もない。

・・・・・・・・・・・・・・・

 すると、

「チャポン。」

と、蛙の飛び込む音によって

静寂の世界に動きが与えられ、

また元の静寂に還るという

奇抜な境地を捉えた代表作」

と説明も加えられている。

 

旅人と 我名よばれん

      初しぐれ

 貞享4(1686)年冬の作。

「笈の小文」の最初の句。

その旅に出立する前、其角亭で

送別の句会の吟。 

 この句の前文に、

「神無月の初、空定めなきけしき

身は、風葉の行末なき心地して」

とあるように、旅への思いが

込められている。

 その他、

「行く春や鳥啼魚の目は泪」、

「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」、

「此秋は何で年よる雲に鳥」、

「行秋や手をひろげたる栗のいが」、

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

の句碑がある。

 

 ふるさと芭蕉の森公園の

バショウももっと根っこを張って!

と願って次の地へ。