貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

二つの伝承

2019-05-28 09:12:24 | 日記

二つの伝承

令和元年5月28日

 昨夜は29.9度が、就寝前の

室温。暑いはず。熱帯夜?

 冷房を入れるが、寝付きは

いつものようにいかず。

 久し振りの異変?

 けさは、やっと平年の皐月気温。

一安堵!

 自然への適応が追いつけず。

 ある種の適応障害かな?

 さあ、やっとお参りできる

川崎大師へ。

 平間寺、「へいけんじ」というのも

初めて知る。

 大師線の大師駅で降りると、

 すぐに厄除門。

 商店街通りを進む。

 仲見世通り。お店も開店している。

 

  これは、大山門。

 四天王が・・・。

 

 五重塔だ。

 本殿、拝殿へ。

 初の参拝!

 平間寺は真言宗智山派の大本山で、

金剛山金乗院平間寺と称し、厄除

弘法大師または川崎大師として、

昔から庶民の厚い信仰を集めて

いる。

 縁起によれば、平安時代・大治3年

(1128)平(ひら)間(ま)兼(かね)乗(のり)を

名のる漁師が操業中弘法大師像を得、

持ち帰って一(いち)宇(う)を建立安置。

寺号を平間寺とし、開創。

 一方、『新編武蔵風土記稿』は、

下平間村に称名寺という寺院があり、

ある時同寺は真言宗から浄土真宗に改宗し、

このため従来の本尊が不用となった。

 そこでこれを多摩川へ流すと、

河口の漁師が拾いあげ、堂宇に安置

して寺号を旧地の村名をとり平間寺

とした、

との異伝を記している。

 この2つの伝承から、平間寺は

日本人が昔から持っていた民俗信仰

である海上漂着、または水上漂着の

神仏を祀るという素朴な信仰によっ

て成立したこと、

有力な貴族・武士などによって

造営された寺院ではなく、地元の

漁師などによって支持され、地域に

結びついた庶民信仰の寺院である

という特徴をうかがうことができる。