令和6年3月6日(水)
千曲市長楽寺 ②
面影塚である。句は、
「おもかげや
「おもかげや
姨ひとりなく
月の友」 。
同行した越人の句碑に、
「さらしなや
三よさの月見
雲もなし」
とあるように、
とあるように、
芭蕉は、8月14日から三日間
晴天に恵まれ、この地に降り注ぐ
満天の星の中の月を眺め、
月光を存分に浴びたようだ。
そして、
月光の下、独り泣き濡れる姨の
姿を幻視して一句詠んだのであろう。
貞享5年・元禄元年(1688)作。
同道した越人の随行塚碑あり。
姿を幻視して一句詠んだのであろう。
貞享5年・元禄元年(1688)作。
同道した越人の随行塚碑あり。
<越智越人随行塚碑>
長楽寺の巨木は桂で、
そこに切りたった崖があり、
「姨石」と呼ばれている上で
一人のんびり風景と涼風を愉しむ。
姥捨山ぐらいの高さでは、
這ってでも降りてくのではないか
と頭を掠めるが・・・?
説明板にも記載されているように、
「くまもなき
説明板にも記載されているように、
「くまもなき
月の光を
ながむれば
まず姨捨の
山ぞ恋しき」
と西行法師が詠った歌を、
芭蕉は口ずさんでいたのだろう?