貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

長野市: 往 生 寺 刈萱上人父子と一茶の句!

2024-03-02 10:09:11 | 日記
令和6年3月2日(土)
長野市: 往 生 寺           
 正治元年(1199)
創建の伝承を持つ。
<本殿>

 九州博多の城主、
刈(かる)萱(かや)加藤左衛門
尉重氏が出家して
等阿法師と名のり、
妻子から離れて高野山に隠棲し、
修行。    
 そこへ子の石堂丸が来て
弟子入りを迫る。
 やむなく許可。
 しかし、親子の情愛にひかれて
修行の疎かになることを怖れ、
善光寺に参篭。
 如来よりこの地を授かり、
83歳で寂す。
<刈萱一枚法語碑>

 生前、彫刻して遺した地蔵尊を、
子の石堂丸も、
それを手本として同じものを刻む。
これら二体の仏像を
「刈萱親子地蔵尊」と呼ぶ。

 当山は 
父の刈萱上人の終焉の地。
それで刈萱堂往生寺とよぶことに。
 境内には
善行寺如来が来迎して刈萱を招いた
という来迎松と、
刈萱の墓、
苅萱親子地蔵がある。 
<句碑>

 また地元出身の草川信が作曲した
唱歌「夕焼小焼」
のモデルとなった鐘と、
その歌碑がある。
<夕焼小焼の歌>

<一茶の歌碑>

 一茶の歌碑には、
 「かるかや堂           
    花の世ハ 仏の身にも 
         親子哉
  善光寺御堂 
    蝶とぶや 
    しんらん松も
         知った顔 
    咲くや 伊達に
       くはえし 殻ぎせる」 
一茶の真蹟を拡大した碑。